Chapter 18
*** Chapter 18 ***
「父上、マクシミリアンにも聞く権利はあると思います。次期ドルミダ王がこのことを知っていれば、もう間違いは起こらないと思います」
『間違い』? 普段無口なマシアス兄上がこんなことを言うなんて。でもそのおかげで助かった。
「……そうだな。同じ失敗は2度も繰り返すものではないからな」
『失敗』? ドルミダと谷には何の関係がないようだが……。父上はまた俺たちを蔵書室へ連れて行った。そして、本棚と思っていたものが隠し扉になっていた。
「この部屋は……?」
「ここも基本、領主以外は立ち入り禁止だが……」
陛下と一緒に行った王室専用の図書館に少し似ていた。天井が低い。おそらく作られたのはかなり昔だろう。
「ここにはアンデミーラ侯爵家と谷との関係の歴史が保存されている」
「歴史? そんなに付き合いが長いのですか?」
驚いてるのは俺だけだった。アンドレアス兄上もすでにご存じのようだった。
壁に数枚絵が飾られていた。谷の住人の絵だ。誰かの肖像画のようなのもあった。全員、黒い髪に黄金の瞳。絵に釘付けの俺に父上が言った。
「お前によく似てるだろう」
「え? そうですね……」
「アンデミーラ家には谷の血が入ってるからな。マクシミリアンには強く出たようだな」
「それって……」
「そう、以前はアンデミーラと谷の住民間でで婚姻が行われていたのだ。それはアンデミーラ侯爵家も例外ではなかった」
「そうだったんですか?」
じゃあ、黄色の目を持つものは少なくとも谷の血が混じってるってことか。
「お前にも後で教えるが、アンデミーラの森から谷へ行く道がある。その昔はたまたまそれを知った谷の人間が、こっちで行商を始めたのが行き来することになった最初だそうだ」
父上が開いた本は、絵本のように大半が絵で谷の歴史を記していた。ドラゴンを神殿のようなところで人々が敬っている絵もあった。あの神殿は谷にあるのか?
「谷は閉じられた場所だったからな。近親結婚で異常な子供が生まれ始めたのをきっかけに、往来がさらに活発したと聞かされている」
「ではアンデミーラの領地に黄色とオレンジが多いのは……」
「そうだ、谷の血が入ってるからだ。谷の住民が激減する前はもっと多かったはずだ」
「そのことは陛下はご存じだったのですか?」
「いや、ご存じないはずだ。それにアンデミーラ家の当時の領主は、最初は谷の住民だと気づいていなかったとここには書かれているし、『世界の狭間』と繋がってるとも思っていなかったのだ」
霧が晴れてよく見えるようになってわかったことだが、あの谷はかなり広い。ドルミダとヴァルムートの間にあるから、ヴァルムート側からも何度か谷に降りた者はいるはず。アンドレアス兄上がおっしゃった『世界の狭間からだとエネルギーが強い』から、戻ったものはいないから、城には絵も記録もなかったのだ。
父上がページをめくると、ユニコーンもエルフも描かれていた。でも大きさは普通の馬より少し大きいくらいに見えた。
「やっぱりユニコーンも谷の生き物だったんですね」
「エルフは谷とつながってるところから、アンデミーラに入ってきて森に住みついたようだったが、ユニコーンは通れなかったからな」
「でもユニコーンはドルミダにも出てたそうです。瞬間移動ができたってことですよね?」
「そうだと思うが、それ以上はわしにはわからんな」
「僕が覚えている限りでは、谷で生物に会ったことはないのですが?」
マシアス兄上が聞いた。ではマシアス兄上もまだ見たことがないのか。
「谷の生き物はアンデミーラの領主以外とは許可なしに接触を持たない約束になっている、特に両国が断絶して、生贄が行われなくなってからはな。ただあの時だと、すでに一部の生物は死滅していた可能性があるな」
「だから見かけなかったんですね?」
アンドレアス兄上は納得されたが、俺はもっと知りたい。
「父上は陛下に報告しようと思われなかったのですか?」
「いや、一度もそう思ったことはないし、これからもする気はない。……谷との約束だからな。それに現在は行き来もないし、話したところで虹色女神のエネルギーを召喚する助けにすらならなかったからな」
確かに父上のおっしゃる通りだ。
「谷の住民はこの絵のとおり、ドラゴンに仕えてる。それに必要なパワーも持ってるから、アンデミーラの人間にそのパワーがあると知られたら、アンデミーラの人間は全員殺されるだろうし、谷への侵略が始まってしまう」
「そんなにすごいパワーなんですか?」
俺は話を聞いていて、鳥肌が立ってきた。
「ドラゴンとエネルギー交流ができるのだ。ドラゴンがこの世界を守るためには、仕える住民は谷に住む必要があるが、それに必要なエネルギーを持っているのだ」
確かに、絵にそれらしき絵があった。長い黒い髪をなびかせて、ドラゴンのそばに住人が数名いて、放射状に光がドラゴンへ向かっていて、ドラゴンが受け取っているように見える。
「ただ、今いるアンデミーラの住民にはもうそこまでのパワーはないだろう。もしかしたらマクシミリアンのように外見に谷の要素が強く出た者なら、谷に住み始めたらパワーが戻ることがあるかもしれないな。でも虹色女神のエネルギーがなくなってから、谷の住民は激減したし、婚姻もできなかったから、そういう者も少ないだろう。今は暗黙の了解で、アンデミーラの住民も谷との関係を口にするものは誰もいないから、今の若い者は知らないだろうな」
確かに俺も知らなかったものな。
「ドルミダには谷のことは、何も残されていませんでした」
「そうだろうな。敢えて秘密を記録として残す気もないだろうし、それに谷の住人はドルミダに恨みがあるからな。ドルミダの人間が谷に来たら、即刻殺されていただろう」
「ドルミダへの恨みですか?」
「詳細はわしにもわかりかねるが、ドルミダがドラゴンのパワーを欲しがったらしい」
「だから多めに生贄を行ってるんですね?」
「確かにある程度の効果はあったようだ。現にドルミダはパワーを持っている。でもそれ以上のことは知らされていない」
「つまり、ドラゴンのパワーをコントロールできる者が世界を支配する、ということですね」
父上が本を閉じた。
「……この先は自分の目で確認してくるとよい」
「では俺とアンドレアス兄上で、谷へ行ってもいいということでしょうか?」
今まで黙った話を聞いていたアンドレアス兄上が頷いた。
「そう言うと思った。これを持って行くとよい」
父上が差し出したものは短い剣だった。
「これは……アンデミーラ家の宝剣?」
「そうだ。これを持っているものをアンデミーラの領主とみなす。谷に入ると右手奥に、石造りの神殿が見えるからそこへ行くと良い。住民が死滅したと聞いているが、エネルギーも戻った以上、誰かいるはずだ」
「もし誰もいなかったら?」
「それではもうこれ以上、何もわからないだろう。でもマクシミリアンの子供が王位に就く頃は、何か進展していると思いたいが」
俺の子供……次の世代か。
「今日はもう遅い。明日、朝から行くと良い」
「わかりました」
*****
俺が世界の狭間から戻ると、エルザは俺の顔を見たが一言も話さなかった。俺とマクシミリアンが何を話したのかもよりも、ソフィア姫を失ったショックの方が大きいのだろう。生贄を救える可能性が現状では低いだけに、俺も詳細を話す気はなかった。
俺は着替えてから、エルザの隣に座って黙って抱きしめた。エルザは俺の胸で大声で泣きじゃくった。俺も悲しさと悔しさで泣いた。アンドレアスが戻ったら、谷のことを聞かなければ。もし何とかできるのであれば、何とかしたいが……
*****
どうしてあそこでソフィアに行かせたのか。後悔しても始まらないのはわかっているが、どうして私が行かなかったのか。まだエルザには任せられないとはいえ、私が行くべきだった。ソフィアの将来は生贄という形でもぎ取られてしまった。
ルーファスが戻ってくるのが窓から見えた。マクシミリアンと話をしていたようだが、ソフィアを救う方法があったのだろうか? いや、なかったのだろう。あったなら真っ先に私に言いに来るはずだ。
王としてせねばならぬことがたくさんある。平和条約もあるし、今後ドルミダとどうやって付き合っていくかも決めねばならない。今回の虹色女神のエネルギーの具現化の変化がどう民に出るのかも、見ていかねばならない。でも王といえど、人間だ。国のためとはいえ、12歳で娘を生贄で失っても王として民のために生きねばならないのか。
*****
「フーマ様、もうお休みにならないとお身体に触ります」
リルマに床につくよう言われたけれど、マクシミリアンを待ちたかったの。いつも考えてしまうのは、マクシミリアンはこの国に来て幸せだったのかということ。これからきっと良い方に変わっていくと思うけど、ヴァルムートに戻りたいと思っているのではないかしら? ヴァルムートを離れてこの国の次期国王なんて荷が重いでしょうね。私と結婚したばかりに重責ばかりの毎日でとても心配。お腹の子のためにも悩むのは良くないとわかっているけれど……。マクシミリアンに念を送っても何も返ってこない。感じていないのか、私のことを考えていないのか。何であれ、早く戻って来て欲しい。
*****
翌朝、俺はヴァルムートの服に着替えてから、アンドレアス兄上と共に父上の案内でアンデミーラの森に入った。
「ずいぶん、ユニコーンにやられたんだな」
「そうですね。でももうユニコーンも襲って来ないですよね?」
俺の言葉に
「そのはずだが、その答えも神殿で誰かに会えればわかるだろう」
谷への入り口は滝の裏だった。
「だから乳母も俺に近づくなと言ってたんですね?」
「いや、お前の乳母は知らなかったはずだ。幸いにもこの滝は事故が多かったから、近寄る者はほとんどいなかったよ」
急流の途中にある滝のため、確かに一度足を取られて川に落ちてしまうと水流に巻き込まれて溺れてしまう。よく下流に被害者の遺体が流されていたことを覚えている。
「もう何年も行き来がないが、この洞窟は無事なはずだ」
「では行ってきます」
俺と兄上は、濡れながら滝の裏側へ行った。
「そんなに大きな洞窟じゃないんだな」
大人だと、四つん這いにならないと通れないほどの小さな穴だった。
「そうだな。よく昔の谷の住人がここを見つけたよな」
アンドレアス兄上が先に入った。俺は後をついて行った。中は暗い。貫通してると知らなければ途中で引き返しただろう。
光が見えてきた。
「もう少しだ」
谷に出た。思ったよりも深い谷で、ヴァルムートから見える崖が山のように見えた。俺たちは言われたとおりに、洞窟を出て右に進んだ。木や草がうっそうとしてるから、まだ神殿は見えない。でも確かに樹々は生き生きとしているが、生き物はまだ見かけなかった。鳥のさえずりも聞こえない。
「あれが神殿か」
かなり歩いてから見えてきたのはグレーの石造りの神殿だった。10m近い高さがあるだろう。中も相当広そうだった。ドラゴンが住んでるなら当然か。もっと何か装飾などされてるかと思ったが、むしろ草に覆われて何も見えなかった。入口らしきところも草が絡まっていたから、剣で切った。
中に入るとひんやりとしたが、窓が大きく良い風が中に入ってくるから気持ちよかった。
「人がいる気配などないようだが……」
あたりを見回しながら、兄上が言った。ここで誰にも会えなかったら、何の手掛かりもなく戻るなんて、団長に何て言えば良いんだろう? 団長は生贄を救えるかもしれないという一抹の望みにかけているというのに……
いきなり強い風が吹いた。室内でこんな風が?
<アンデミーラの人間か>
これは耳から聞いてる声ではない、頭に響いてきてる! 兄上を見ると同じ反応をされているから、兄上にも聞こえているはず。声に出して答えるべきかわからなかったが、返答しなければ。
「……僕はアンデミーラ侯爵の次男、アンドレアスです。谷には……数度来たことがあります」
「俺はアンデミーラ侯爵の三男、マクシミリアンで次期ドルミダの王です」
<存じておる。王のペンダントを壊した者だな>
「ご存じなんですか?」
会話はできているが、姿を見せてこない。まさかドラゴン?
突然、目の前にあの絵のような長い髪の人が現れた。黄金の瞳。間違いない、谷の住人だ。面長の顔にビー玉のような丸い瞳だが、なんとなく冷たい感じがする。それに服装、布を巻いただけのシンプルな感じに見えるが、色や布の質感はシルクのようになめらかに見えた。
<もちろん。おかげで私はここに戻ることができた>
え? ということは……
<そうだ、私がそなたたちが『虹色女神』と呼んでる存在だ>
俺もアンドレアス兄上も言葉を失った。『女神』と俺たちは呼んでいたが、見た目は確かに女性だ。でも中性的な感じがする。敵でないことを祈るしかない。




