表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
101/101

僕と妹のとある一日


 僕にはとても可愛い義理の妹がいる。

 明るくて人懐っこくて、心優しくて愛嬌があって。

 たまに僕の前で泣いちゃうこともあるけれど、基本的にはすごく元気で前向きな女の子だ。


 その子は僕と同い年にもかかわらず、半年遅くに生まれたという理由だけで妹に割り振られた。

 それなのに彼女は、赤の他人同然だった僕なんかにもお兄ちゃんと呼んで親しく接してくれたんだ。


 僕は人と喋るのが得意ではなく、特に女の子は大の苦手だ。

 だから妹になった彼女から距離を詰めてきてくれたことは――兄としては情けないかぎりだけど――正直すごく助かっちゃった。本当に感謝してもしきれない。


 そんな妹が出来ただけでも僕は十分嬉しいのに、彼女にはさらにもう一つ大きな魅力があった。

 それは容姿。彼女はちょっと信じられないくらいの、ずば抜けて可憐な美少女だった。


 僕にはもったいないくらいの、本当に素敵な女の子。

 僕は義理でも彼女と兄と妹という関係になれて、心から幸せだと思っている。


 ――だけど、彼女との生活がすべて順調に進んでいるわけでもなかった。

 今までもこれからも、僕は彼女のことで手を焼いてしまうことがある。


 僕の妹はちょっぴり変わった女の子。

 だから僕は今日も、そんな妹に振り回されちゃうんだ。





「ひ、ひかりちゃん? どうしてピーマンばかり延々と植えてるのかな?」


 壁に掛けた大型ディスプレイ。

 そこに映るゲームの世界では、今まさに画面中がピーマン畑と変わりつつあった。


 戸惑う僕の質問に、義妹の女の子は普段どおりの口調でさらりと答える。


「ひかりね、ピーマン嫌いじゃないんだけど、大好きってわけでもないの。でも、たくさん植えてたらピーマンさんの魅力にも気付けるかな~って」


 彼女こそ、僕の義妹のひかりちゃん。

 とても独創的で先鋭的で不思議な考え方をする、僕の大切な妹さんだ。


 ひかりちゃんはまるで悟りを得ようとする修行僧であるかのように、ひたすらピーマンだけを植えていた。

 僕より小さなお手々でゲームのコントローラーを握り、僕より(つたな)い操作でキャラクターを動かして。


 もし彼女のような美少女が色とりどりのお花を植えているなら、それはさぞかし絵になる光景だろう。

 しかしとても残念なことに、彼女が選んだのは美しい花ではなく、なんの変哲もないピーマンだ。


「あ、あのねひかりちゃん。ピーマンだけじゃ料理は出来ないよね? 僕の作るごはんがピーマン一色だったら大変だよね?」

「うん、大変だ! すぐに他の食材を買ってあげないと!」

「……そうじゃなくてね」


 ゲームしか取り柄がない僕にとっては、悔しいけどひかりちゃんの独特な世界観を理解することは難しい。

 しかも彼女の崇高な思考は、すでにゲームの世界に留まらない広がりを見せている。


 それはとっても素晴らしいことではあるけれど、悲しいことにゲーム攻略という観点から見てみると、正解をはるかに逸脱した行為だと言わざるを得ない。


 だから僕はオロオロと戸惑いながらも、なんとかわかってもらおうとひかりちゃんに忠告を送り続ける。


「た、たとえばね? 自分で作った野菜だけで料理を完成させるのも、夢があるとは思わない?」

「わぁ、それは素敵だね~」

「うん、だから――」

「あー! 羊さんだー! お兄ちゃん、捕まえて捕まえて~!」

「……ひかりちゃん、どのゲームでも羊大好きだよね」


 しかし僕の妹さんは、ゲーム画面に映り込んだ一匹のはぐれ羊に大騒ぎを始めてしまった。

 彼女は隣に座る僕に体当たりをするように寄りかかってくると、「お願い!」と元気よくゲームのコントローラーを差し出してくる。とっても素敵な笑顔のおまけ付きで。


 僕はゲームは出来るだけ本人の力で攻略してもらいたいと考えているタイプだ。

 だからいつもなら、頑張って自力で捕まえてみようねと(さと)すんだけど……。


「牧場、また新しく増築しないとダメかな……」


 その時の僕は気力が削られていて、ついつい彼女の差し出すコントローラーを受け取っちゃった。

 そのまま惰性で流されるように、僕はディスプレイへと向き直る。


 ちなみにマイシスターは、コントローラーを渡し終えたというのに僕から離れようとはしなかった。

 そしてそれを指摘する気力は、僕には残されていなかった。


 しかしながら、たとえ気力がなくなっていても、僕の体にはしっかりとゲームの感覚が染み付いている。

 疲れていても自分の手足は動かせるのと同じように、僕は何も意識を集中させずともキャラクターを自在に動かすことが出来た。


 彼女のゲームキャラクターは、僕の操作によって死角からすばやく羊に近付き、手際よく調教(テイム)を開始する。

 するとそんな僕のプレイを見ていたひかりちゃんは、体当たりだけでは飽き足りず自身の頭まで僕の体に預けてきたんだ。


「えへへ~」


 そして無垢(むく)なる声で、幸せそうに笑うひかりちゃん。


 彼女は僕に対してボディタッチが多い女の子だった。

 僕自身はパーソナルスペースが広いほうだと思うんだけど、彼女はスルスルと上手にその中に入り込んで来てしまう。


 僕の横にピッタリと座ってくるのは当たり前。

 可愛らしく肩をぶつけてきたり(もちろん痛くなんてない)、コントローラーを握ってる僕の腕を抱いてみたり、今のように頭を僕の肩に乗せてきたり。


 僕は度胸が()わっているほうじゃないし、ましてや女の子に慣れているわけでもない。

 だからなるべくそういった行為は控えてほしいんだけど、甘え上手なひかりちゃんはいつの間にか僕の(ふところ)に入り込んできちゃうんだよね。


「やっぱりひかり、お兄ちゃんがゲームしてるところ見るの、好きだな~」


 どうやら今の状況は、僕の妹さんにとっては最高の環境らしい。

 すっかりくつろいだ声を出し、ご満悦な様子のひかりちゃん。


 でも、僕はすぐさま言えずにいた言葉を今度こそ彼女へと告げる。


「でも、これはひかりちゃんのゲームデータなんだから、ひかりちゃんがやってこそ意味があると思うよ」

「ひかりは幸せ者だ~……」

「……あの、ひかりちゃん? 今日は一段と会話が成立していないような……」


 説得は今回も失敗だった。

 僕はガクリと肩と落としながら、さらなる疲労感に苦しめられる。


 だけど。


「(……まあ、いっか)」


 心から満足そうに、自分は幸せだとコメントするひかりちゃん。

 そんな義妹の姿を見ていると、僕もなんだか心が温かくなってくるようだった。


 僕は小さく息を吐くと、こっそり小さく笑いながら、飼いならしに成功した羊を牧場へと誘導し始めた。


 僕はひかりちゃんには(かな)わない。

 ゲームに対するスタイルを説こうにも、恥ずかしいから体を離してというのも、結局最後は彼女に押し切られてしまう。


 けれども、僕はひかりちゃんという女の子がワガママな子だとは思っていない。

 今は夢見心地(ゆめみごこち)なってて僕の言葉が耳に入ってないひかりちゃんだけど、普段の彼女はむしろ逆で、僕の言うことを素直に聞いてくれるほうだった。


「――ほらひかりちゃん、牧場に羊をつれて来たよ。でも思ってたとおり、ちょっと拡張しないとダメみたいだね。どんなデザインで広げたい?」

「お兄ちゃんの好きなように、やって~」

「それが一番困るんだけどなあ……」


 そんなひかりちゃんだからこそ、僕はついつい甘やかしちゃう。

 口では自分でやらないとダメだよと言いつつも、実際にはいつも手を貸してしまっている。


 それは、今この瞬間もそうだった。

 たくさんの動物たちで手狭(てぜま)になった牧場を、僕は改築していく。

 現実世界でもひかりちゃんにご飯を作ってあげたりしているように、僕はゲームの世界でも彼女のデータをお世話してあげている。


「…………」


 ひかりちゃんは僕が遊ぶゲーム画面を見ているときは、どちらかと言えば口数が少なくなる。

 反対に、僕は彼女にゲームシステムなどを教えながらプレイするので、口数が多くなる。


 しかし、今遊んでいるゲームは彼女が一番やりこんでいるゲームだった。だからこの場面では、もう教えることはほとんどない。

 僕たち二人は肩を寄せ合ったまま、何を喋るでもなく、静かにゲームを楽しんでいた。


 牧場を広げ、動物たちの面倒を見て、少なくなっていた餌を補充し、彼女が一番好きなペットのドラゴンを撫でて。

 僕はゲーマーとして失格なのかもしれない。なんだかんだでひかりちゃんの牧場を、完璧な状態へと仕上げていった。


 ――ピーマンばかりの畑は、見なかったことにしたけど。





 一時間ほど遊んだ頃だろうか。

 最後の仕上げに彼女が集めた自慢の羊の群れを、大きくなった寝床に誘導しているときだった。


 僕の耳に、まるで眠りに落ちる直前のような、穏やかで安らいだ声が届く。


「ひかり、いつかお兄ちゃんと一緒に、たくさんの動物たちに囲まれながら暮らしてみたいな~……」


 それはあどけない少女のような、可愛らしい将来の夢だった。

 僕はその彼女の発言に微笑ましさを感じつつも、現実世界での牧場経営は大変だと思うけど、というひねくれた感想を抱いてしまう。


 しかし、いくら僕でもそれをそのまま彼女に伝えたりはしない。

 代わりに冗談めかして、彼女の好みについて尋ねることにした。


「ひかりちゃん、最近は羊がお気に入りだね。でもたしかひかりちゃんは、猫が一番好きだったよね? 猫だらけの家に住むって夢じゃダメなの?」


 そう言いながら彼女の様子を(うかが)ってみると、案の定彼女は寝落ちする寸前といった感じだった。

 ひかりちゃんは可愛らしくうつらうつらとしながら、ゆっくりとした口調で返事をする。


「猫ちゃんもいい。羊さんもいい。……でもやっぱり、お兄ちゃんさえ居てくれたら、それでいいの……」


 彼女はその言葉を最後に、とうとう目を閉じてしまった。

 すーすーと寝息を立て始め、その呼吸に合わせ、彼女の体も小さく上下に揺れ始める。


「……ひかりちゃん……」


 僕を信頼しきっているかのような、無防備でゆるみきった彼女の寝姿。

 僕はそんなひかりちゃんの前で、コントローラーを持ったまま固まって動けなくなってしまう。


 ひかりちゃんは素敵な妹だ。

 人懐っこくて明るく前向きで、素直で優しくて思いやりがあって。

 ちょっぴり変わったところもあるけど、それすらも自身の魅力として昇華させているようで。


 そんなひかりちゃんは、ストレートに感情を表現する女の子でもある。

 彼女の飾らないまっすぐな発言に、僕は何度も何度もドキドキさせられているんだ。


「……おやすみなさい。ひかりちゃん」


 しばらく固まっていた僕は、やがてやっとの思いでそうつぶやいた。

 そして彼女を起こさないように、彼女のために常備してあるブランケットを掛けてあげる。


 安らかにすやすやと眠る彼女はまるで本物の天使のようで、僕は誰も見てないことをいいことに、一人声なく笑っていた。


「(うん、それじゃひかりちゃんが寝ている間に、またこっそりとアイテムでも補充しておいてあげようかな)」


 僕は本当に甘い。

 口では自分自身で頑張らないとダメだよと言ってるのに、自らそのルールを破りまくっている。


 ひかりちゃんは、強力なアイテムを惜しげもなく使うプレイスタイルを得意(?)としている。

 でも当然、ゲームとしては強力なアイテムは入手も困難なわけで。

 僕はいつもこっそりと、彼女のキャラクターを動かしてそんなアイテムを収集してあげていた。


 もちろん、最初の一回目は彼女自身に頑張って取ってもらっている。

 でも、二回目三回目は時間短縮として僕が取ってあげることも多い。


 希少な植物、時間をかけて清められた水、地底奥深くに眠る鉱石、滅多にドロップしないレアな食材。


 ひかりちゃんは着実にゲームのプレイ時間を積み重ねていっているけど、その操作はまだ覚束(おぼつか)ない。

 彼女が集めるなら何時間もかかってしまうアイテムも、長年ずっとゲームだけが友達だった僕にかかれば、あっという間に手に入る。


 まあ、レアアイテムを集めるのは別だけどね。

 ひかりちゃん、当たり前のように百分の一の確率でしか落ちないアイテムを一発で引いちゃったりするから。


 少し話が横道にそれちゃったけど、とにかく僕は、彼女が苦労しそうなアイテムをいつもいつも補充してあげていた。

 それをどこまで彼女が理解しているのかはわからない。ひょっとすると、ひかりちゃんはほとんどをペットのドラゴンが集めていると思っているのかもしれない。


 それは、他人から見れば報われない地味な作業と思われるのかもしれない。

 だけど僕は平気だった。自分が感謝されなくても、大事な妹が気持ちよくゲームできるなら、それが一番なんだから。


「よし、タマ、行こうか。今日もよろしくね」


 僕はいつもの調子で彼女一番のお気に入りのペットに声をかける。

 そして、直後にやってしまった、と顔を青ざめさせた。


 自分の体で彼女のぬくもりを感じているというのに、僕は義妹の女の子が眠っていることを忘れてしまっていた。


 恐る恐る横を向く。

 すると幸いなことに、ひかりちゃんは今も目をつぶって眠ったままだった。


 僕はホッと胸を撫で下ろし、今度こそ静かにゲームに戻ろうと考える。

 だけどその前に、気になる点も出来てしまった。


 ひかりちゃんは少し体を動かしたのか、髪が口元にかかってきていたんだ。

 このままでは息苦しかったりするのかな。くしゃみとかしちゃうかも。

 僕はそう思い、髪を退けてあげようと手を伸ばす。


 その瞬間のことだった。

 義妹の女の子の大きくて愛らしいお目々が、パチリと開く。


 僕の心臓は丈夫に出来てはいない。

 突然目を開けたひかりちゃんに、僕はぶっ倒れてしまうかのような衝撃を受けていた。


「ど、どうしたのひかりちゃん。もしかして起こしちゃった?」


 僕はすぐに手を引っ込め、彼女におっかなびっくり声をかける。

 何もやましいことはしてないはずだったんだけど、悪いことをしようとしていたかのように、僕の心臓は壊れちゃうかと思うほどフル回転をしていた。

 そもそもひかりちゃんは、寝ているときに僕が勝手に触っても怒らない(むしろ喜ぶ)女の子なんだけどね。


 ひかりちゃんはドキドキが止まらない僕を見ると、言った。


「お兄ちゃん、ひかり考えてたの」


 彼女は寝ぼけているとは思えないほど、しっかりとした口調だった。

 僕は言葉足らずの彼女の発言をなんとか補填して、彼女に答える。


「え? ああうん。半分眠ってたけど意識はあったんだね。それで、ひかりちゃんは何を考えていたのかな?」

「将来のこと!」


 それは、彼女が眠る前にしていた話題だった。

 僕さえ居てくれたらいい。そんな嬉し恥ずかしいことを言ってくれたひかりちゃん。

 もちろん僕は勇気がないから、それについては触れられないけど。


「しょ、将来のことね。猫ちゃんか羊さんか、どっちと暮らしたいか決まったのかな? それとも両方?」


 僕は自分のことから話題が遠ざかるように、そうひかりちゃんに問いかけた。

 だけど彼女はやっぱりちょっと変わった女の子で、そして気持ちをストレートにぶつけてくる女の子だった。


「子どもは三人がいい!」

「…………」


 その時感じた僕の疲労感は、なかなか言葉では言い表せないものだった。

 まるで鉛のように重くなってしまった自分の体に、僕は押し潰されそうになる。


 それでも僕は自分の考えが間違っている可能性を信じ、重い体にムチを打って彼女に問いかけた。


「ええと、それは猫の子どもなのかな? それとも羊? もしかして、両方とかかな?」

「もー! ひかり怒っちゃうよ? ひかりとお兄ちゃんの子どもに決まってるでしょ~!」


 僕は肩を落としこめかみを押さえながら、襲いかかってくる頭痛に耐える。

 どうしてなのかな。いつの間にか僕が怒られる側になっていたし、当然の決定事項のように言われていたし、さっぱりわけがわからなかった。


 今度こそ精根尽き果てた僕は、ひかりちゃんから目を話し、その場にガクリと項垂(うなだ)れちゃったんだ。


「ひかりね、この前聞いてみたんだけど、そういうの一姫二太郎っていうんだって!」

「どうしてこの子は、そんなことばかり聞いてるのかな……」

「お兄ちゃんは男の子二人と女の子一人でもいい?」

「ひかりちゃん、起きたのならゲームしようよ。ずっと()けっぱなしになってるよ」

「むー、答えてよ~!」


 疲れ果てた僕を、ひかりちゃんがガクガクと揺さぶってくる。

 そんな僕たちを、壁に掛けられたディスプレイから、待ちぼうけをくらっている彼女のペットのドラゴンが見つめていた。




    ◇




 その日の夕食、僕は多種多様のピーマン料理を作ってみた。

 ピーマンの肉詰めや青椒肉絲(チンジャオロース)などの有名どころを始め、新鮮サラダにミネストローネ風ピーマンスープ、他にはごまとあえて和風の味付けにしたピーマンも試してみた。


 ちょうど話題にも上がってたし、日常のアクセントになるかなと思ったんだ。

 とはいえピーマンばかり買っておいたわけではないので、パプリカも混ざってたりするんだけどね。


「わあ、ピーマンさんがたくさんだ~」

「いろんな味付けを用意してみたけど、いつものように残してくれてもいいからね。デザートは王道なものを作ったし、しかも三種類から選んでもらえるようにしてるから」

「至れり尽くせりだ~!」


 幸いにも、ひかりちゃんは多種多様のピーマン料理に興味津々なようだった。

 ちょっと冒険しすぎたかなと思っていた僕は、ひかりちゃんの嬉しそうな顔に救われたような気持ちになる。


 ひかりちゃんは裏表がない女の子だから、この時点で僕の勝利は決まったようなものだ。

 ピーマンを選んだことは僕の独りよがりかもしれないけど、味付けは彼女好みになるよう精一杯努力したつもりなんだ。


 だからきっといくつかはひかりちゃんの好みに合うはずだし、デザートは濃厚、さっぱり、その中間と三つも用意して万全の布陣だ。

 僕は安心していただきますを言おうとしたんだよね。


 ――だけど、やっぱりひかりちゃんはちょっと変わった女の子だった。

 笑顔でご飯を食べようとしていた僕は、彼女の行動を見て凍りつく。


 普段のひかりちゃんなら、ご飯のときはいつも僕の真正面にちょこんと座り、本当に幸せそうに食べる姿を見せてくれる。

 僕はそんな彼女の笑顔を見るのが大好きで、密かな楽しみとして毎日心待ちにしてたんだけど……。


「……あ、あの、ひかりちゃん? 今度はいったいどうしたのかな? やっぱりピーマンはお気に召さなかったのかな?」


 しかし、今日のひかりちゃんは違っていた。

 彼女は突然立ち上がると、自分の前にある料理を僕の方へと動かし始めたんだ。


 その様子は、まるで嫌いな料理を他人に押しやる子どものようにしか見えなかった。

 でも、ひどく混乱する僕に向けて、ひかりちゃんはさも当然のように答える。


「ううん、ひかり、ピーマン嫌いじゃないよ?」


 ピーマンが嫌いじゃないのに、ピーマン料理を僕の方へと移動させ続けるひかりちゃん。

 僕は彼女の行動がさっぱり理解できず、戸惑いながら見守り続ける他なかった。


 間もなくひかりちゃんは、全部のお皿を移動し終える。

 すると最後に彼女は満足げに微笑むと、椅子を移動させて僕の横にぴったりくっつけ、そこにストンと腰を下ろしたんだ。


「(ああ、今日のひかりちゃんは、僕と並んで食べたい気分だったんだね)」


 ここに来てようやく彼女の意図に気付けた僕は、言ってくれたら料理を移動するのを手伝ってあげるのに、と思った。


 しかし、それは早とちりだった。

 僕の可愛い妹ひかりちゃん。彼女の考えを理解するのは、お兄ちゃん初心者である僕にはまだまだ難しいようだった。


 彼女は僕に、僕の予想以上のことを言い始める。


「でもね、ひかり、ピーマンさん嫌いじゃないけど、魅力もよくわからないの。だからお兄ちゃんに食べさせてもらったら、その良さにも気付けるかなって思って」

「……え?」

「あーんして? お兄ちゃん」

「…………」


 僕はひかりちゃんを甘やかしすぎちゃったのかな。

 彼女の発言を聞いた僕は、遠い目をしながらふとそう思う。


 ひかりちゃんは義理の兄である僕に対しても、まるで本当の家族のように甘えてくれる心の優しい女の子だ。

 そんな彼女の気遣いに応えてあげようと、僕も出来るだけ頑張ってきた。


 しかしながら、僕はどこかで間違っちゃったのかな。あるいは何か大きな勘違いをしちゃってるのかな。

 いつも以上にグイグイ来ている彼女の姿を見ていると、僕はなんだか不安になってきちゃうんだ。


「わくわく……!」


 隣に座ったひかりちゃんは、胸の前で握りこぶしを二つ作って僕のことを覗き込んできていた。

 興奮したときに彼女が見せる必殺技、自身の名前のようにお目々をキラキラと輝かせて。


 そんなひかりちゃんはもちろん可愛らしくも愛らしくもあったけど、しかし僕は気力を振り絞って彼女に話しかける。


「えーっと、あーんっていうのはさ、病気のときとか辛いときに他人にご飯を食べさせてもらう行為のことだよね?」

「うん!」

「ひかりちゃんは病気ではないよね? あーんしなくても自分で食べられるよね?」

「うんうん!」

「じゃあ――」

「でもあーんしてほしいの! お願い、お兄ちゃん!」

「…………」


 今回の場面でも、僕はガクリと肩を落とし背中を丸めた。

 結局のところ、僕はひかりちゃんには敵わない。何を言われたとしても最後には彼女に押し切られてしまう。


 度重なる重度の疲労からフラフラになりながらも、ひかりちゃんに料理を食べさせてあげるために手を持ち上げた。

 しかしそこで気付いてしまう。食べさせてあげるために必要な道具、お箸が見当たらないことに。


「あれ、ひかりちゃんのお箸は?」

「う? 置いてきたよ? でも、そこにお兄ちゃんのお箸があるよね?」


 見るとたしかにテーブルの向こうに、彼女のお箸やスプーンなどの食べるために使う道具だけが取り残されていた。

 ひかりちゃんは不思議そうに、「なにか問題でも?」と言わんばかりに首を傾げる。


「(僕に同じ箸を使えと……?)」


 自分の妹だというのに、僕は彼女に戦慄(せんりつ)を覚えた。

 ひかりちゃんは恐ろしい。まるで底なし沼にハマっていくような恐怖を感じながら、しかし他に逃げ道も思いつかず、僕はぎこちない動きで自分のお箸を握る。


 そして、おあつらえ向きというか、この場合は自らの首を絞めたと言うべきか。

 ひかりちゃんのために一口サイズに切り分けていた肉詰めピーマンが、ちょうど食べやすそうな形で僕の目に留まる。





 実を言うと、僕はひかりちゃんにあーんという行為をするのは初めてではない。

 繰り返しになっちゃうけど、ひかりちゃんはまるで本当の家族のように僕に接してくれる。だから彼女は僕が食べている品を「それ食べたい!」と気軽な様子で言ってきたりもするんだ。


 しかし、こうやって正面からあーんしてくれと言われるのはおそらく初めてのことだと思う。

 すでに僕は緊張から、持っているお箸を小刻みに震わせてしまっていた。


 経験がなかった僕は知らなかったんだけど、あーんという行為は見た目以上に気恥ずかしい行為だ。

 特に相手が雛鳥のように口を開けているところに料理を入れる瞬間は、なんとも言えない独特の恥ずかしさがある。


 その場の雰囲気で勢いに乗ってあーんするならともかく、改まって今からしてくださいとお願いされるのは、なかなか厳しいものがあった。





 震える手で料理をつまみ上げ、僕は義理の妹――絶世の美少女ひかりちゃんの口元へと運んでいった。

 すると可憐な彼女の唇が目に入る。視界に入れないようにするのは無理な話だ。あーんを失敗させないためには、どうしても相手の口元に意識を集中させなくてはならない。


「あーん!」


 ひかりちゃんの元気な声が聞こえてくる。

 それはおそらく食べさせる側が言うセリフだと思うけど、僕の妹君(いもうとぎみ)は自ら嬉しそうにそう言って口を開いた。


 僕は情けない話、その時耳まで真っ赤になっていたと思う。

 心臓はバクバクうるさく音を立てていたし、頭の中は真っ白で無我夢中で料理を運んでいた。


 ゲームならどんなに失敗できないラスボス戦でもここまで緊張することはないのに、大切な義理の妹を前にすると、僕のポンコツな体はいつも動作不良を起こしちゃうんだよね。


「あむっ!」


 だけどラスボスとは違い、優しいひかりちゃんは僕の味方だ。

 不格好にお箸を震わせながら近付けていった僕だったけど、ひかりちゃんという女の子は一切笑顔を崩すことなくそれを受け止めてくれて、最後には本当に嬉しそうに頬張ってくれたんだ。


 彼女の協力の甲斐あって、僕は無事にあーんという行為を成功させることが出来た。 

 早速ひかりちゃんは僕の目の前で、もぐもぐと女の子らしい可愛げのある食事の姿を披露してくれる。


 でも、僕はまだ胸のドキドキが収まっていなかった。

 耳の先まで熱くなってることを感じながら、(ほう)けたようにボーッとひかりちゃんの食事の様子を眺め続ける。


 やがて彼女はたっぷりと時間をかけた咀嚼(そしゃく)を終えると、お決まりの決め台詞を言う。


「美味しー!」


 僕は、笑った。

 今もまだ顔は赤いままだろうし頭もボーッとしたままだったけど、でも、気が付けば僕はひかりちゃんと一緒に笑っていた。


 一時はどうなることかと思った今日の夕食。

 だけど僕の義妹の女の子は、ちゃんといつもと変わらずに、僕の料理を美味しいと言って食べてくれたんだ。


 そしてそれは、僕が大好きな彼女の幸せそうな食事の姿に他ならない。

 ちょっと変わった食べ方をすることになったけど、ひかりちゃんが美味しく食べてくれるなら僕はそれで大満足だ。


「お兄ちゃん、ピーマン美味しいね!」

「うん、美味しいよね。僕もピーマン嫌いじゃないよ」

「あはは」


 和やかに笑い合う僕とひかりちゃん。

 たまには隣り合わせで食べるのもいいな。僕はその時そう思ったんだ。


 けれども、僕は重大な点を見落としていた。

 視界に入ってはいたけど、その意味を僕は深くは考えていなかった。


 やがて、彼女は言う。


「じゃあお兄ちゃん、次はひかりが食べさせてあげる!」


 一瞬でさっきまで熱かった顔から、サーッと血の気が引いていく。

 僕はすぐにひかりちゃんが元いた席に視線を向ける。


 そこにはポツンと取り残された、彼女のお箸やスプーン。僕はその意味を遅ればせながらも正しく理解する。


「(ひかりちゃん、最初から最後まで自分のお箸は使わないつもりだったんだ……!)」


 再び勢いよく首を回し、僕はひかりちゃんの方へと向き直る。

 そこにいたのは、ニコニコ笑顔のひかりちゃん。僕はその妹の笑顔を見て、退路を絶たれたと感じたんだ。


「え、えーっと……」


 底なし沼は実際に用意されていた。足を踏み入れてしまっていた僕は、もう逃げることが出来ないみたい。

 それでもなんとか必死に思考を巡らせて、僕は一番自分へのダメージが少ない道を選ぶ。


「ぼ、僕はまだいいよ。それよりひかりちゃんにもっと色んなピーマンを食べてもらいたいな。お肉の次はこのサラダなんてどうかな? 味の違うピーマンを何種類も使ってて美味しいと思うよ」

「えー? でもお兄ちゃんもお腹空いてるだろうし」

「僕は大丈夫。それよりほら、あーんしてあげるから、ね?」

「ホント? わーい!」


 彼女とお箸を使い回すよりはマシとはいえ、それはやはり長く辛い道のりだった。

 ここから先、僕はひかりちゃんが満足するまであーんを続けることになる。


「あーん!」


 再び元気な声を出しながら口を開けて、妹君は僕の前に無防備な姿をさらす。

 そうして彼女はパクリと食事を頬張り、また僕に幸せそうな笑顔を見せてくれるんだ。


「……どう? 美味しい?」

「うん! 美味しい!」

「よかった。それね、ピーマンだけじゃなくパプリカも使ってるんだよ」

「お兄ちゃん、ピーマンさんとパプリカさんの違いってなーに?」

「うん、それは良い質問だと思うよ。誰もが一度は疑問に思うよね。実はね、ピーマンとパプリカは植物学上の違いは非常に曖昧(あいまい)なんだよ。どちらもナス科のトウガラシ属に属してて――」

「あ! ひかり、次スープ食べたい!」

「…………」

「お兄ちゃん、熱そうだからふーふーして食べさせて! ふーふー!」

「……………………」


 だから僕は、そう遠くない未来に自らの間違いに気付く。

 長く辛い道のり。そう思っていたひかりちゃんへのあーんという行為は、とてもとても恥ずかしいけど、だけど決して辛いとは言えない道のりだったことに。


「あーん!」


 だってひかりちゃんは、僕がふーふーと息を吹きかけて冷ました料理を、世界で一番の宝物のように食べてくれるんだから。


「美味しー!」


 まあ、最後の最後には、やっぱり彼女からは逃げられないと思い知らされちゃうんだけどね。


「ごちそうさま! じゃあ今度こそ次はお兄ちゃんの食事の番だね! まかせて! あーんもふーふーも、全部ひかりがやってあげるんだから!」




    ◇




 夜も()けて、自室。

 お風呂上がりの僕は、何も映していない真っ黒なディスプレイを見て、ふうとため息を吐いた。


「今日は一日中、ひかりちゃんに振り回されちゃった気がするなあ……」


 独り言を言いながら、僕はひかりちゃんの部屋の方へと視線を向ける。


 彼女は今、お父さんと電話をしているはずだった。

 ひかりちゃんのお父さんは多忙な人だから、その電話はとても貴重だ。しかも今日は久しぶりにまとまった時間が取れるらしく、おそらく長電話になるだろうと聞いている。


 もちろんそれに関しては、僕には何の不満もない。

 ひかりちゃんはお父さんと離れて僕と一緒に暮らしている。だからひかりちゃんへは、僕のほうから電話を優先してあげてと伝えているくらいだ。


「でも、もう今日はひかりちゃんは来ないかな……?」


 そんなわけで、僕はお風呂を先に済ませ、一人自室に戻ってきていた。

 普段の僕ならこんなときは一人用のゲームで有意義な時間を過ごすところなんだけど、今日は妙に体が重く、珍しいことにゲームをする気力が湧いてこなかった。


「眠い……かも。けどダメだ。ひかりちゃんはお風呂もまだだし、僕の部屋に遊びに来ないとも限らないし、起きていないと」


 別にひかりちゃんは僕が先に寝ていようが文句は言わないと思うけど、それでも万が一寂しい思いをさせちゃうのは可哀想だと思い、僕は頑張って起きておくことにした。


 とはいえ、僕はこの時間になるといつもお布団を敷いている。

 その習慣に(のっと)って部屋に布団を出してきた僕は、そのお布団の上でゲームをしながら待つことにした。


 僕はひかりちゃんも大好きだけど、ゲームだって大好きだ。

 きっと彼女が眠るまでの時間くらい、簡単に潰せるはずだった。


「さあて、今夜はどのゲームをしようかなー」


 僕は意識して明るい声を出しながら、自分のメガネのつる()へと指を伸ばした。





 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。

 ある時静かに、僕の部屋のノブが回る。


「お兄ちゃん、起きてますか……?」


 ささやくような小さな声とともに、ひかりちゃんが部屋の中を覗き込む。

 ノックの音がしなかったのは、おそらく僕が眠っていたときのことを考慮したからだと思う。たぶん、きっと。


「わ、お兄ちゃんメガネしたまま寝ちゃってる……」


 でも情けないことに、僕は仰向けに布団に倒れ込み、力尽きていた。

 可愛い妹が訪ねてきたことにも気付けず、エネルギーが切れていた僕は熟睡し続ける。


「……ふふっ」


 そこでなぜかマイシスターは、いそいそと嬉しそうに僕の部屋に侵入してきた。

 おそらく僕がちゃんとした格好で眠っていなかったために、心配してお布団を掛けに入ってきてくれたんだと思う。たぶん、きっと。


「……お兄ちゃん」


 彼女が僕の布団の横に座り込む。どうしてだか、正座だった。

 ひかりちゃんはそのまま躊躇(ためら)いもなく僕の頭を撫で始めると、静かに語るような口調で話し始めた。


「今日はずっとひかりを甘やかしてくれたし、疲れちゃったんだね……」


 彼女は優しく手を動かしながら、言葉を続けていく。


「いつもいつも、ひかりのために頑張ってくれてありがとう。甘やかしてくれてありがとう」


 彼女の独白は続く。


「ひかりはあなたの妹になることが出来て、本当に幸せです。毎日心から感謝しています」


 丁寧語になったのは、彼女が本当の気持ちを伝えたかったからだろうか。真意はわからない。

 ともあれ、彼女はそこで名残惜しそうに僕から手を引くと、小さく笑ってつぶやく。


「せっかくぐっすり眠ってるんだし、起こしちゃったら可哀想だよね」


 ひかりちゃんは再び僕に手を伸ばすと、今度はそっとメガネをつまみ上げ、外してくれた。

 そして肩まで布団を掛け直してくれると、最後に軽くぽん、ぽんと布団越しに僕に触れる。


 彼女はそうして明かりを消し、部屋から出て行くんだと思われた。

 しかし明かりを消したところで、ひかりちゃんは動きを止める。


「…………」


 彼女は静かに僕の寝顔を見つめてくれいるようだった。

 暗闇に目が慣れるのを待っているのか、あるいは他になにか意図があったのか。


 やがて彼女は小さく、だけどよく通る声で言った。


「私はあなたが大好きです」


 そして彼女はその言葉の直後、体を前に倒し顔を近付け――。

 僕の頬になにか柔らかいものが触れた。


 ひかりちゃんは自分の口元に軽く指を触れさせ、何かの余韻に浸るように再び動きを止めた。


 しばらく後、彼女の口から嬉しそうな言葉がこぼれる。


「……これ、クセになっちゃうかも……!」

 

 その時の僕は、もしかしたら恐ろしい夢を見ちゃっていたのかもしれないけど、次に目覚めた時には何も覚えていないのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ