8-6 終焉への招待状。
「おぅ……よし、そんじゃ、確かに今年最後の納品受け取ったぜ。うちの奴らはあんたの店のポーションしか使わねぇって奴らが多いから、来年もまた頼むよ」
「そう言って頂けて恐縮です。ここは僕達が初めての持ち込みをした、記念すべき大切な取引先さん一号ですからね」
いつものように受注票と数を確認した強面のギルドマスターが、チラリと僕を見やってそんなことを言うものだから、慌ててそう返した。
ここはうちの主力商品である星明糖の商標登録を勧めてくれた上に、まだ様子見程度の腕だった僕のポーションを真っ先に置いてくれた所だ。恩のあるギルドマスターにそう言われて嬉しくないはずがない。だから思わず頬を緩めてしまったのだが――。
「あんた、良い顔で笑えるようになったようで安心したぜ」
そうぶっきらぼうではあるが、強面の顔が笑みらしきものに縁取られたのを見て、こちらも思わず口角を上げる。
「最初に見たあんたは人付き合いが苦手そうだったからな……。大方あの助手の嬢ちゃんのおかげか? 大事にしろよ」
そう言うギルドマスターの視線の先には、壁に貼られた討伐依頼を眺めているパウラがいた。冒険者でも賞金稼ぎでもない、フワリとした一般的な町娘の格好をした彼女が、壁一面に貼られた依頼書を興味深そうに上から下までじっくり眺める姿はこの場に不釣り合いで、初めてこのギルドに来た冒険者は目を丸くしている。
しかしそれは如何にも非戦闘員にしか見えない僕にも言えることだし、僕達を良く知る冒険者達はそんな余所からの冒険者達を見て笑っていた。
けれどもしもそんな彼等に、このギルドの中で実は戦闘力が一番高いのがパウラだと言ったら、どんな顔をするのだろうかなどと考えてみたが、きっと突拍子がないと誰も本気にはしないだろう。
「えぇ、そうですね。愛想を尽かされないように大事にして、ずっと一緒にこうして納品に来られるように頑張りますよ」
柄にもない言葉を気恥ずかしい気分になりながらも答えた僕に、ギルドマスターは「そうかい」と笑った。
年末が近付いてくると仕事納め前にギルドに顔を出すメンバーも多いのか、顔見知りがパウラを見つけては声をかける。そうして遅ればせに、彼女とセットだと思われている僕を見つけた顔見知り達が声をかけてくるのもいつものことだ。
それなりに人と談笑することを覚えた僕は、少しの間パウラと共に彼等と他愛のない会話を楽しむ。年末になると駆け込みの仕事が増えるといった愚痴や、何でもかんでも年末料金を取られること、関所の取り調べが厳しくなることや、この時期に気を抜いた若手の冒険者の致死率上昇など――。
他愛ないとはいえども、そこに新たな仕事の糸口がないとも限らないのでそれなりに真剣に聞き耳を立てる。しかしそれも年末に行われる“黎明祭”の話題に押されて、次第に長閑な物へと変化していく。
どこの通りに出る揚げ菓子の店が美味いだとか。
あの角にある酒場が出す果実酒が美味いだとか。
若い女店主がやっている雑貨店のポプリを、気になってる女性から渡されると相手が脈ありだとか。
どこそこの通りにあるガラス細工の工房が、祭りにだけ出す限定アクセサリーが女性に人気だとか。
――ようはそう言ったお祭りに関する類のものだ。この時季ばかりは屈強な冒険者の多いギルド内も珍しく血生臭くない話題で盛り上がる。けれど街にいながらにして初めての祭りに出かける僕にとっては、それも貴重な情報だ。当日は初めて遊びに連れて行くパウラを楽しませてやりたいし、僕もそれとなく他の業種の売れ筋商品を調べてみたい。
パウラと一緒に始めた鉱石を含むポーションは、まるで植物の花弁や空模様のように鮮やかで繊細な色のものが多いから、可愛らしく魅せるコツを掴めば客層も変わるだろう。客層が変わるというのは商売する上で一種の賭けのようなところもあるが、五号店のように固定客しかいない裏道の店には、いずれどこかで必要になることだったのでちょうど良い。
客層が変われば裏道も活気が出るし、幸いうちの店は閉めるのが早いからご新規さんにとってそうそう危ないこともないだろう。それに最近では以前に比べて随分お行儀の良い通りになってきてもいる。
このまま少しずつでも改善していければ、街の裏通りの舗装費用案なども見直してもらえるかもしれない。実際に多くはない裏通りの他の店舗も店先に鉢植えを置いたりして、煤けた裏通りの見た目を明るくしようと努め始めていた。
いつもは中々会えない家族や恋人。近しい友人。新しく増えた家族。嫁いでいく娘。飛び交う会話の中にあるワードはどれも幸せなものが多く、時折その中の人物から礼を言われたりもした。
そんな時は礼を述べてくれる相手の会話のに相槌を打ちながら、パウラと目配せをして笑い合う。
その礼を述べてくれる数人の輪が次第に周囲に広がり、ある冒険者からは無事にダンジョン踏破が出来た礼を、ある冒険者からは魔術師仲間のレベルアップの礼を、無事の帰還を、家族の病気の回復を――……。
時には四号店のポーションを支持する声も上がり、僕とパウラの闘争心を刺激したりもした。しかしその中の誰かの悪ふざけから始まった、僕の頭を豪快に撫でる行為は頂けなかった。しかもそれはあっという間に伝播してしまい、成人男性としては小柄な僕は筋骨隆々な体力馬鹿……もとい、お客様達に揉みくちゃにされる。
ギルドマスターに安全な場所まで避難させられたパウラが、そんな僕達を見ておかしそうに澄んだ笑い声を上げ、野太い笑い声がそれに被さってさらに広がっていく。
「おいおい、お前ぇらいつまでも遊んでねぇでとっとと仕事納め分を選びやがれ」
見かねたギルドマスターが苦笑混じりにそう声をかけて、ようやく気が済んだ冒険者達が壁に貼られた依頼を片手に受付へと流れていく。それをジト目で見送りながら、散々かき混ぜられてグシャグシャになった髪を整える。
前髪を下ろすと一気に童顔になるから、仕事でなめられないようにあまり人前で下ろさないようにしているのに……。
苦い思いを胸に、いつも通り後ろに髪を撫でつけた僕を見つめていたパウラが、少しだけ残念そうに「もう戻してしまうのですか」と唇を尖らせた。聞こえないフリをしながら髪を整える僕に近付いてきたギルドマスターから「お前も五号店でくすぶってねぇで、来年こそ箔をつけて上に行けよ?」と発破をかけられてしまう。
ギルドマスターの言葉に曖昧に笑い、筋肉から発散される熱気に追いやられるようにしてギルドの外に出れば、中の暑さが嘘のように冷たい風が僕達を怯ませた。
どちらからともなく差し出した手を繋げば、そこからじんわりと互いの熱が行き来して言葉の空白を埋める。無理に話す必要を感じない距離感がいまの二人にはあるのだと思うと、自然と笑みが零れた。隣にいるパウラもそうなのか、無言のままに金色の双眸を嬉しげに細める。
ふと空を見上げれば鈍色の雲間から白い一片が落ちてくるのが見えて、僕達は行きよりも軽い足取りで帰路を急いだ。
――その日の深夜。
《……マスター?》
軽いノック音と控え目な声音に、それまで一心に動かしていた手を止める。廊下のパウラに「どうぞ」と声をかけるとソッとドアが開いた。
「最近は夜中まで廊下に明かりが漏れていると思ったら……まだ起きていらしたんですか?」
自室で骨董品のようなランプの灯りを頼りに綴っていた手許のノートから顔を上げれば、心配そうな表情で戸口に立つパウラと目があった。やや非難めいた色の見える金色の双眸に苦笑して肩を竦める。
「うん、今年の年末はごたつきそうだから。今の内に少しやってしまいたいことがあってね。そう言うパウラこそ眠れないのか?」
「いえ、私は植物ですから元よりあまり“眠気”というものを感じる質ではありません。マスター達の言葉で言えば、若干夜間の方が神経への伝達が遅くはなりますけど……」
戸口に立ったままモジモジと爪先をすり合わせているパウラに、視線で部屋の中に入るように促す。とはいっても、積み上げた本で辛うじて細い通路のような空間しか空いていない自室には、パウラの座れそうな場所は僕の作業机の隣にあるベッドくらいしかない。
僕がベッドを指さすと、今度はパウラの方が苦笑して本の山を崩さないようにすり抜けながら近付いてきた。僕も椅子を注意しながらベッド側に向けてパウラと向かい合う。
「こうして私がマスターの部屋にお邪魔させて頂くのはこれが二度目ですね?」
「ん、確かに言われてみれば……僕はパウラの部屋に入ったことはないけど、パウラは以前僕が熱を出したときに看病してくれたんだったな」
どこまでも世話になりっぱなしの自分が情けなくて苦笑が漏れる。けれど以前のように不甲斐なさに落ち込むようなことはなく、敢えて言い表すならこそばゆいという気持ちが勝った。どちらともなく零れた笑みが部屋の空気を揺らし、まるでそれを感じたようにランプの火が震える。
「……マスター」
不意にそれまでの朗らかだった声のトーンを落としたパウラが、向かい合わせに座った膝が触れるくらいに近付いて覗き込んできた。
「もしやフェデラーの言葉のせいで、眠れていないのではないですか?」
囁くようでありながら核心を突いたその言葉に、僕はまたしても笑ってしまう。そんな僕の顔を見たパウラが困ったように眉根を下げる。
「いいや、違うさパウラ。何て言うのか、いよいよこの一年の結果が分かるのかと思うと、怖いような、楽しみなような……一種の興奮状態みたいなものかな?」
全くの嘘でもない言葉はすんなりと僕の舌先から離れて、パウラはその答えを聞いて不安そうだった表情を和らげた。
『この話はまだマスターと俺しか知らん。他の店舗の奴等には知られていないが、年末までには通達が行くはずだ。急な話で驚いただろうが悪い話でもないだろう? 答えは今すぐでなくともそれまでに出してくれれば良い』
あの日そう言ってフェデラーが去った後、色々と過去について一人で考えてみた。しかし、その結果として分かったことは“何も分からなかった”ということだけ。この二年でパウラに秘密らしい秘密を持つのはこれが初めてのことだが、僕の身に危険を伴うようなことを彼女は認めることはないだろう。
もしも仮に彼女を裏切る行為であったとしても、僕には確かめたいことがあった。
パウラに気付かれないようにさり気なく、机の片隅に立てかけた最新式の水晶箱に視線をやる。中身は霊力の欠片もないアイテムだが、箱のお陰で内部の時間は止まっているので傷みはしていないはずだ。
本当はこの中身を使わずに済むのならそれが一番良い。
けれど恐らくは使用することになるだろう。
そのことに一瞬だけ背筋が寒くなったけれど、何とか目の前のパウラに悟らせないように微笑みを保つ。水晶箱にしまい込んだ物の代わりと言っては何だが、作業机の引き出しにはマホロからもらった懐中時計をしまってある。
目の前には幸せそうに微笑む金色の瞳を持つ“僕の”マンドラゴラ。
いつかの、
かつての、
“彼”と“彼女”の。
僕達はその再現に他ならない。
けれど僕達はすでにその再現の上から離れてしまった。
正しい終わりを見失ってしまった“いつか”の“僕達”に――……きっと“世界”は微笑まない。
***
翌日、それはついに届いた。
パッと見た感じではいつもの封書と同じに見えるが、よくよく目を凝らせばその表面に封蝋と同じ紋章が捺された封筒。緊張で震える指先で握ったペーパーナイフを滑らせる。中に同じく紋章を捺したクリーム色の便箋が一枚。
長年ずっと欲しかったこれが、ただの目眩ましの偽物ダミーだとしても緊張するのは仕方がなかった。丁寧に折りたたまれたその便箋を開くことに、僅かにだが逡巡する僕の手の甲に隣に立つパウラがソッと触れる。
“五号店店主、ヘルムート・ロンメル殿。今期の中間評定で提出されました作品から、貴殿のポーション精製スキルは年末に執り行われる評定会の参加資格に相当とすると認定されました。つきましては――……”
隣で小さく「あぁ……おめでとうございます、マスター!!」と、気が早すぎる歓声を上げてはしゃいでくれるパウラが気付く前に抜き取ったカード。その懐かしい筆跡に、香りに、どうしようもなく胸の奥が疼く。
「うん、ありがとう、パウラ。こうして成果を出せたのも君のお陰だ。当日はいつもの喫茶店で待ち合わせて――一号店の評定会が終わったらその後は二人で“黎明祭”へ行こうか?」
僕の提案に一瞬全ての動きを止めたパウラはけれど、直後に感極まって抱きついてきた。そんなパウラを苦笑混じりに抱き留めながら、本命だと思われるカードを視界の端で翻す。
そこには懐かしい文字で、たった一言。
――――“キミに、逢いたい”――――




