*幕間* ディア・マスター。
今回はアルミラ視点です。
ゆっくり狂っていく彼女の世界。
――マスター。
もういい加減に起きてよ、起きてよ、起きてよ、マスター。
ねぇ、あの日急に苦しそうに倒れたマスターをボクが調子を崩したときに入れてくれる大きなポーション瓶に一人で浸けるのに、どれだけ苦労したのか分かってる?
こうしてユラユラ暢気にポーションに浸ってるマスターを眺めるのも好きだけど……早く起きて一緒に採取に出かけよう?
もうだいぶ太陽と月が交代するのを見た気がするのに、まだ眠り足りないのかな? ずっと忙しくしていたものね。無理もないか。良いよ、仕方がないからもう少しだけ眠らせてあげる。
あぁ、誰でも良いからボクのマスターの話を聞いてよ。このままだと、退屈で頭がおかしくなってしまいそうなんだ。
それにマスターが倒れてしまったのに、皆はボクがいてくれて良かったと口をそろえて言うだけで……マスターを起こす手伝いをちっともしてくれないから。もう、せっかく工房も増やしてこれからって大事なときなのに。
そういえば皆がボクにマスターの代わりをしてくれと、そうすることが一番の“餞”だというんだけど――それって一体何のこと?
あぁ、だけどマスターが起きたときに喜んで欲しいから、眠っている間にボクが仕事をしておいて、一緒にゆっくり出来る時間を作らなくちゃ。だから、もっと、もっと沢山憶えないと。
《何を――?》
何って……勿論ニンゲンを助ける為の知識をだけど……。
《どうして――?》
どうしてって……マスターが喜ぶからだけど……。
誰でもいいからボクが目一杯マスターの研究していた知識を詰め込んで、今日でマスターが眠ってしまってから何日経ったか忘れてしまう前に――このボクの中に生まれた【空洞】の話を聞いて欲しいんだ。
《どんな――?》
どんなって――説明するのは難しいけど……朝起きたら“おはよう”って撫でてくれないのが嫌だとか。夜眠る前に“おやすみ”って額に口付けてくれないのが嫌だとか。ボクの手首や指先を傷付けて樹液を採取するたびに“すまない”って、顔を歪めてくれるときの表情が見たいとか。
――この頃お客さんに頼まれていたポーションを渡すときに、そんな【空洞】が段々大きくなっていっている気がする。誰も彼もが口をそろえて『先生のことは残念だったけれど、貴方がいてくれて良かった』と言うの。それすらも最近では随分減って来た気がする。
……あれ……マスターが倒れてから今日で何日目だったかな?
そもそもさっきからボクはずっと誰と話をしているんだったかな?
――――……まぁ、良いや。早く起きてね、寝坊助なボクのマスター。
ポーション瓶越しの“おやすみ”の口付けは冷たくてあんまり好きじゃないから、明日こそはちゃんとした“おやすみ”の口付けをしてね?
***
ボクの背丈よりも大きなポーション瓶越しに、こうして起きないマスターを見つめるようになってから、もう何日目か分からない。
凄く暑い日も、凄く寒い日も沢山あったけど、マスターはずっとそこにいたから知らないでしょう? こっちは毎日忙しくって目が回りそうだよ。マスターの弟子達も各店舗で頑張ってくれているから安心してね。
そうそう……マスターが画期的な薬効があると言っていた【エンダム】と【デルゼア】は危険性が高いから、金輪際禁止薬物として使用不可にしてしまった方が良いかもしれないよ。この頃マスターのような“正しく誰かを救う気持ち”を持たないポーション職人が多いからさ。
元が同じような立場のボクからしてみれば仲間を毒物指定するのは心苦しいけど、仕方がないね。
この間もマスターの研究結果を盗もうとしてここへ忍び込んだ不届き者を始末したけど、我ながら段々後始末が上手くなってきたと思うんだ。
最初は声で破裂させちゃったり、上手く体液が漏れないように仕留めても後片付けに悩んだりしたけど……鉱石を溶かすあの特殊ポーションを使ったら労力が半減したよ。
昔あれを二人で精製しちゃったのはほんの偶然だったけど、ちゃんと役に立って良かった。マスターはやっぱり凄い。
だけど……ねぇ、まだ眠り足りないの?
それとも、まだボクの頑張りが足りないの?
《そんなはずない。だってもうこれ以上頑張れない》
そんな、違うよ……きっとまだボクがマスターに楽をさせてあげられる能力がないからだ。今日こそは――ううん、明日こそは、ボクが起こしてあげるから。
とはいっても、何故だかこの頃ボクの肌が硬くて、ナイフで傷を付けにくいからあまり体液が絞り出せないけど……こんなことじゃあマンドラゴラ失格かな?
でも大丈夫だよ。沢山、沢山、マスターの休んでいる間にボクがニンゲンを助けるから。
それまで待っていてね? ボクの大切な、大切なマスター……。
***
最近は同じような話ばかりだったから退屈してたマスターに朗報だよ。今日はボクたちの庭で面白い子供を見かけたんだ。
マスターがボクを見つけてくれた、あの場所でね。もしも少しだけ運命を感じてしまったと言ったら怒る?
なんて冗談はさて置いても、きっとマスターなら連れ帰って来たと思うような素質……って言うのか、何となくだけど、そんな物を感じた気がするよ。
だから退屈しのぎに弟子にしてみようと思うんだ。
でもね、小さいのに“チビ”って呼ぶと、生意気にこっちを睨みつけてくる瞳が可愛くて――ボクとマスターの間に、もしも、そんなことは有り得ないけど、種子が出来て芽吹いたらあんな風な子供が出来るのかな?
そう思ったら何だかとても久しぶりに面白くなってしまって、またあそこで会う約束をしたんだ。……楽しみだなぁ。マスターが元気になったら、絶対にボクの初めての弟子に会わせてあげるからね。
あぁそうだ、最近ボクから体液が採れなくなっちゃったから、マスターの研究に並行して薬種用のマンドラゴラを作ってるんだ。あの中の一つをボクとマスターの子供として育ててみようかな?
《同族を犠牲にして、何になれるつもりでいるの?》
さぁ、そんなこと……ボクたちには関係がないもの。
ボクの癖に、五月蝿い。ボクに良心はいらない。
そんなことよりも、ねぇ、マスター。
ボクに出来た【空洞】の名前がようやく分かったんだ。今日出来た弟子に初めて教わった言葉だよ。ボクはどうやら【寂しい】んだって。
この【寂しい】の【空洞】を埋められるのはマスターだけだから、早く起きてね。皆の“聖人”なんかじゃないボクの、ボクだけの、大切なマスター……。




