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マンドラゴラは夢を見る◆鉢植え落としてポーション革命!◆  作者: ナユタ


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8-2   さようなら、の、その前に。


 「さて、二人ともいつまでそこに立っているつもりなんだ? どっちからでも構わないから……いい加減こっちに来て傷口を見せてくれないか?」


 気を鎮める為にゆっくりとそう口にしたつもりだったのに、ドアの前に立つ二人は大袈裟なくらいにビクッと肩を強ばらせた。ここはフェデラーに割り振られた部屋だ。レヴィーにヘンリエッタを引き渡したあと、二人の傷の手当てをするためにこの部屋に移動したというのに、当の本人達が僕に怯えてなかなか近寄ってこない。


 仕方なく二人から視線を外して室内を見回す。ベッドとサイドテーブルの他には一人掛け用のソファー。本の入っていない小さな本棚。骨董市で見かけるような卓上ランプ。


 他には来客用――というよりも、部屋の内装にあっていない古びた丸椅子は、パウラが他の場所からフェデラーの看病をする為に運び込んだ物だろう。


 元は明るいクリーム色の椅子だったようだが、今ではペンキがすっかり剥がれ落ちて何だか無惨な感じだ。全体的に落ち着いたダークブラウンを基調とした必要最低限の家具の中で、それだけがやや浮いている。


 僕はその丸椅子に腰掛けて、まだドアの前にいる二人に手だけでベッドに腰掛けるように促す。さすがに気持ちの整理とやらを待ってやるのにも、限度があるからな。


「僕の前に一人ずつ座るのが怖いようだったら、もう並んで座ってくれてかまわない。とにかく僕ももう、クタクタなんだよ。出来ればこのまま眠りたいところだけど、二人の傷を見て処置を決めないことには心配でぐっすり眠れない」


 そう言ってから両手で顔を覆って肘を膝の上につく。実際こうして視界が暗くなるだけでも、もうだいぶ眠い。しかしこの状態で眠ったとしても数十分後には悪夢で目覚めそうだ。


 ――ギ、ギ、キシリ――


 すぐ近くでベッドのスプリングが軋んだ音がしたので、顔を覆っていた手を取り払って前を向く。すると目の前のベッドに気まずそうな表情を浮かべるパウラとフェデラーの姿があった。


「どっちから……じゃなかった。どちらも僕によく見えるように傷口を晒してくれるかな?」


 二人は今度は素直に袖をまくった。パウラは左腕を。フェデラーは右腕の付け根部分を。二人並んで僕の前に晒した。


「二人とも少しだけ身体を捻って。うん、そう。フェデラーはその肩口の筋肉……で、良いのか? その部分を頑張って少しでいいから動かせるか? 無理はしなくて良い。痛みがない程度で構わないから。よし、大丈夫だ。パウラは傷口の深さを見るからもう少しこっちに身を乗り出して――うん、良いよ」


 僕は二人の表情と傷口を交互に見ながら相槌を打つ。途中気になる傷口には視線が長く留まるせいで、二人が緊張して身を堅くするのが分かった。あのフェデラーが僕の顔色を窺う日が来るとは……あまり嬉しくないな。


 全体的に五、六才見た目が若返ってしまったフェデラーは、パウラと並んで座ると歳の近い姉弟に見えた。そのことが少し微笑ましくて唇の端だけで笑うと、二人から緊張感が抜けるのが分かる。


 ――やれやれ、これでは僕の方がヘンリエッタよりも二人にとって恐ろしい人物のようで落ち込むな……。


「えぇと、それじゃあ、まずフェデラー。傷口は巻き込みもないしなかなか綺麗に塞がっていっているようだ。細菌感染も今のところ見られない。二週間前より肩口から二十センチ……ちょっとくらい伸びているかな? 順調な回復だと言って差し支えなさそうだ。パウラの処置がしっかり出来ていたんだな――ありがとう」


 僕はフェデラーの肩口から視線をその隣に座るパウラに向けて礼を述べる。同族のこんな傷口を診るのはさぞ辛かっただろうに、パウラは僕の教えたことを完璧にこなしてくれた。


 このある種の感慨深い嬉しさを例えるならば――そうだな、まるで弟子の成長を祝う師の気分だ。パウラも僕と再会して初めて笑顔らしいものを見せてくれる。そのことに安堵しつつも、ここで彼女に言及する気持ちを萎えさせるわけにはいかない。


 ――即ち、そのボロッボッロになった左腕のことだ。


「さて、次にパウラだが……。その腕の傷は非常に良くない。大方同じ所を傷付けているうちに樹液が出なくなったからだろうけど、だからといって深く傷付ければ良い訳ではないことくらい分からなかったのか? 一部が柔組織にまで食い込んでいる。周辺の組織が枯死しているじゃないか!」


 思わず語気も荒くその細い腕に手を伸ばして自分の方へと引き寄せる。怯えた様子の金色の瞳が眼前に迫るが、僕はそんなことには構わずその左腕をつぶさに検分した。


「――ここと、あぁ……ここも。こんなに乱暴に傷を付けて押し広げたりしたら下手をすれば細菌感染する。それに、傷の形状からして同じ刃物を使っただろう? 何度も使うなら消毒はその都度したのか? 自分の身体だからと以前付けて傷んだ傷口に触れた切っ先で、別のまだ無事な場所に傷を付けたら菌が感染する可能性もあるんだぞ?」


 ゴツゴツと瘤状に盛り上がった傷口は恐らくそのせいだろう。傷口に指先を滑らせれば、パウラが息を飲む。指先を見てみると、そこには今まさに新たに滲み出した樹液がトロリと纏りついていた。


「馬鹿だな君は……こんなになるまで人を信じたりして……本当に愚かで、それに、辛くて痛かっただろう? 二人ともすまなかった。僕の判断ミスだ。こんなことになるのなら、二人も一緒にデルフィアに連れて行くべきだったんだ」


瘤状の傷口に滲み出す樹液に視線を落として小さくそう呟く、と。


「う、う、ひっ、く……マスターぁあぁぁ!」


 突然パウラが自由な右腕で僕の頭を抱え込んで泣き出した。若干甲高いノイズのようなものが混じったパウラの泣き声に一瞬クラリとしたが、何とか意識を手放すまいと踏みとどまってすがりつくパウラの頭を撫でる。


 パウラの右腕にガッチリ頭をホールドされて顔を上げられないので、耳許にもたれかかった彼女の髪を感触を頼りにぎこちない手付きで梳いていく。


 二週間前に別れた時はサラサラだった深緑の髪は、僕の指を噛んでなかなか素直に梳かせてはくれない。


「……勝手にこっちが悲劇に巻き込まれたようなことを言うな。お前程度の人間のせいでこの俺が遅れを取るなどと思われてたまるか」


 パウラの背中にのし掛かるようにして身体を預けたフェデラーが、心底嫌そうに僕の顔を覗き込んだ。挟まれたパウラが「ちょっ、貴方ねぇ……上から退きなさいフェデラー!」と涙声で叫ぶ。


 そんなパウラをあっさり無視したフェデラーは「コイツの傷口は消えるのか?」とバツ悪そうに訊ねてくるものだから――。


「勿論だ。難しいだろうけど、やってみるさ」


 そう答えてパウラの左腕の傷口に視線を走らせる。全ては無理でも半分以上は消せるはずだ。


「あぁ、だけどフェデラー。パウラを生贄にしたところで君の右腕の処置も“しっかり”するつもりだから覚悟してくれ。一から腕を再構築させるのは難しそうだからな?」


 僕の言外の“逃げるなよ?”という忠告に「あ、当たり前だ」と憮然とした表情で答えるフェデラーに右手を差し出す。ウォークウッドでは握られなかった僕の手は、ここ、フェデルで無事握手を交わすことになる。



***



「本当に君だけここに残るのか、フェデラー?」


 朝早くから二週間と四日生活させてもらった部屋を掃除しているパウラを待つ間、僕達は手持ち無沙汰の状態で工房の片隅に座り込んでいる。


 左腕の状態もあるから止めたのだが、律儀なパウラは「それとこれとは別問題です、マスター」と人差し指を僕の鼻先に突きつけて力説したので好きにさせることにした。


 ヘンリエッタは四日前あのひから『こっちにいらっしゃいな』とにこやかに、けれど有無を言わせない強さのリヴィーに連れて行かれて、本日まで一度も僕達の前に姿を現さない。謝罪をしろとまではもう言わないけれど、それでも帰る日まで顔を出さないのはちょっとどうかと思わなくもないが……。


 そこは「あの子は今はちょーっとお仕置きの途中でねぇ? バケツと離れられないくらい仲良しなのよ~」と、うっすら怖い発言をするレヴィーのせいでそれ以上は言及出来なかった。


「まぁ、そもそも俺のせいでこんなことになったようなものだしな。別段頼んではいないが。それに、パウラがあんなことをしているのを知っていながら止めなかった。なのに……俺だけ誰にも責められずに、あの要領の悪いトロくさい女だけが責められるのも気が咎める」


「なるほど、一宿一飯の恩義と言う訳か。君なりに考えてのことなのなら良いんだ。君が義理堅いのはよく知っているし、このままウォークウッドに連れ帰るのも安全とは言えないからな」


 フェデラーもパウラも……何というのか、どの図鑑にもそんな表記は一切なかったが、マンドラゴラは律儀で愛情深い植物であるらしい。もしかして引き抜き方にもよるのだろうが、土中から掘り出した人間に対して“刷り込み”のような現象がおきるのだろうか? 


 だとしたらそれは非常に彼等、彼女等にとっては不幸なことでは――。


「……俺のマスターも、あの女に似た理由で俺を傍に置いて下さった。だが、男性体の俺ではマスターの力になれなかった。今回ここにいたとしてもその事実は同じだが――マスターが俺を使って見ようとした結末を、ここで見届けてからウォークウッドに戻る」


「そうか、分かった。それと……どうあっても君のマスターのことは教えてくれないんだな?」


「ふん、口説いなお前も。勘違いするなよ? 俺は今でもマスターのことを信頼している。例えマスターがそうではなかったとしても、俺が信じれば良いだけのこと。信じて……そのまま枯れたとしても、本望だ」


 その瞬間、スゥッと細められたパウラと同じ金色の双眸が内に宿した狂気に触れて燃え上がったように錯覚する。


 ――何故かは分からない。


 けれどその時、確かに、僕もそう思った。


「分かった。ならもう何も言わない。その代わりにこれを」


「何だ? この紙切れは」


「君の右腕のメンテナンス方法だ。次に再会するまでに腐らせるなよ?」


「……ふん」


 歪な関係の修復をはかるなどもう無駄で、あるいは元からそんなことを論じる必要すらないほどに確固たる意志を持って。フェデラーは最後まで彼の信じるマスターの傍にいるつもりなのだろう。


「お待たせしました、マスター!」


 部屋を片付けて駆け寄ってきたパウラが嬉しそうに僕を見て微笑む姿を見れば、より強く、そう思う。ふと隣に立つフェデラーに目配せすればその瞳が“だろう?”と囁いている。


 目の前で自分の分からない目配せを交わす僕達を交互に見ていたパウラが「どうかしましたか、マスター? フェデラーが無礼なことを言ったのであれば今の内ですよ?」と何やら物騒なことを曰う。


 そもそも今の内って何をするつもりなんだパウラ――。


 苦笑しつつ「何でもないよ」と宥めていたら、やつれても尚、貴婦人ぜんとしたレヴィーが車椅子に乗って見送りに来てくれた。


「あらあら、若い子達をお待たせしてしまったかしら? うちの駄目夫と駄目娘のことで迷惑をかけちゃったのに、録な謝罪もお礼も出来ないでごめんなさいねぇ。全くとんだ使えない婆さんだわぁ」


 “ホホホ!”とその顔色に似つかわしくない、張りのある笑い声を響かせたレヴィーが「ね、こっち、いらっしゃいな」と僕達を手招く。


 僕とパウラは素直にその車椅子の前に膝をついて、レヴィーの皺と豆の残る手で顔に触れられる。


「以前貴男に気を付けなさいだなんて偉そうに言っておいて、わたしの身内からパウラちゃんを害する馬鹿を出してしまってごめんなさいねぇ。――だけど、最終日にまであの馬鹿娘を呼ばないのは、わたしの親バカなところだと割り切って頂戴ね?」


 僕の眉間に触れた指先が、そこに憎しみを露わにした皺が刻まれてはいないかと数度往復する。それがないことに気付いたレヴィーが「ありがとう」と微笑む姿に、往年の愛らしい少女を思う。


「……いいえ、僕達は決してそんな風には思いませんよ、レヴィー。きっと僕がその立場だったとしても同じことをしたはずだ。ですからレヴィー、これを受け取ってはくれませんか?」


 僕は皺だらけのその掌にほっそりとしたポーション瓶を握らせた。


「……あら、まぁ、これは何かしら?」


「パウラと話し合った結果、彼女と一番仲の良い友人のシェビアとその想い人の葉、そしてこのパウラの樹液を用いた言わば“エリクサー”擬きです。どれほどの効果があるのかは実証していないので分かりかねますが、貴女の大切な人と過ごす時間を少しでも長引かせることが出来るかと」


 三日間しか寝かせていないポーションだが、それでもその辺のちゃちなポーションとは格段に効果が違うだろう。ウォークウッドでシェビアを握らせてくれたコンラートに感謝する。レヴィーは口許を綻ばせて「まぁ、出来れば若返り薬が欲しかったわぁ」と嘯いて、それから僕とパウラを抱き寄せると、もう何度目かの「ありがとう」を囁いた。


 乗合馬車の時間がある僕達は、その後すぐに店を出て走り出す羽目になってしまったけれど、駆ける途中で後ろを振り返れば高く手を挙げて品良く手を振るレヴィーと、横に並んだフェデラーの姿が見える。


 と、転がり出るようにその後ろからバケツを抱えたヘンリエッタが飛び出してきて手を振った。三人が肩を並べる老舗の香水パフューム工房の店先はまるで一幅の幸せな絵画のようで。僕達はその姿を出来るだけ鮮明に脳に、網膜に焼き付けていようと……何度も、何度も振り返った。


 そうして――僕達の元に彼女の訃報が届いたのは、旋風が楽しげに木々の葉を巻き上げる秋も深まる頃だったのだが……それはまた、別のお話。

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