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マンドラゴラは夢を見る◆鉢植え落としてポーション革命!◆  作者: ナユタ


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6-1   変わり行くのは、誰が心。


『ふふ、そうそう、だいぶ毒草と薬草の区別がつくようになったじゃないか。キミはなかなか憶えが良いなチビ』


 会うたびにチビと呼ばれるのは不服だったが、出された問題に正解すると不器用に頭を撫でてくれる掌が好きだった。


『そうだ、もうすぐ街のポーション工房主催の年末恒例クイズが出されるけど、チビはあれやってみないの?』


 ……そういえばそんなものもあった気がするな。ポーション工房が建ち並ぶ大通りの真ん中に、問題を書いた掲示板と投票用紙。その場で答えを書き込んで投票箱に投函したら、後日抽選で選ばれた人が掲示板に張られて、指定の工房に行けば金一封が貰えた。


 ここウォークウッドを“ポーション工房の街”と銘打つ為の一環で、年末になると行われていた気がする。今は近隣の土地にもウォークウッドはポーション工房の街として広く認知されるようになったからか、あの年末恒例行事も行われなくなった。


 朧気な誰かは『チビならきっと良いところまでいけると思うけどな』と言ってくれたけれど、可愛気のない夢の中の僕は『“それは無理だよ”』と答えた。


『ん? どうして? 心配しなくても、こうやってここで――と秘密の特訓をしているんだから大丈夫だろう』


 恩人に対して生意気にも、その世間知らずさに呆れて『“だって、解答欄に書く名前がない”』と、確かに言った気がする。


『なんだ、そんなことか。チビは色々小さいな。じゃあ、こうしようか』


 あの頃の僕はどこまでも可愛げのない冷めた子供で。一時お金が懐を温めるとしてもそれがほんの一瞬のことで、路地裏を寝床にしていた自分にとって、懐にお金があることがかえって危険であることも知っていた。


『あれに挑戦するなら――が名前を付けてあげるよ』


 思うに……朝一番に目を醒ますのは、見慣れた景色であると良い。その点、今朝の寝覚めは上出来だった。たとえ冬の最中に寝汗で寝間着がぐっしょり濡れていたとしてもだ。


 まだ夢現な気分を引きずったままノロノロと上半身を起こせば、眉間から流れてきた汗が顎の下まで滴って寝間着の襟を濡らす。


 暑いのか寒いのかも分からず、寝ぼけているのに妙に冴えた頭の芯。弧を描くような揺れを感じて目蓋をきつく閉じた。


 枕元には昨夜、寝落ちする間際まで書き散らかしていた調合のメモが散乱している。その中でふと目に留まった走り書きのメモに、自分でも何を考えて書き込んだのかという謎の調合が書き留められていたりして、一度深夜の自分の思考回路を分析してみたいと思ってしまった。


 園芸関係の書き込みが異様に多い。中でもでもこれは使えそうだという走り書きを一、二枚手を伸ばして拾い上げる。内容からどうも“病害虫に強くなる総合殺菌剤”らしい。


 人間が体調を崩しそうな予兆を感じた時に飲む、風邪の予防剤みたいなものだろう。読み進めたところ材料も揃っているから、朝一番に作るのはこれにしようと結論付けた。


 直前まで見ていた夢の残り香を振り払うように、出来るだけ夢とは無関係なことを考えようと努める。


 ついでにまだ何かあるかと思いベッドの上から走り書きのメモの束に視線を落とすと、本の中にだいぶ変色した紙が挟まっていたので摘みあげる。だけどサッと視線を走らせただけでその内容に自然と眉間に力が籠もった。


「今となっては、もうこんなポーションは作れそうにないな……」


 変色した走り書きには“【シェビア】と【マンドラゴラ】を無駄のないようすり潰して用いた複合液を――”とあったが、それ以上読み進める気になれず丸めてゴミ箱に投げ入れた。


 フェデルの街から戻って早いものでもう一週間。部屋には向こうで手に入れたショップカードの工房に宛てて送った注文の品が連日届く。その為、一階の工房も二階の自室も届いたポーションの材料で溢れかえっていた。


 目覚めてすぐに見るのが物が散乱した自室というのは多少困るが、そのお陰で限られた時間を割いて得る物の少ない採取に出向かないですむ。


 でも今までどんなにタイトなスケジュールで納期を組んでいても、ここまで時間が経つのが早いと感じたことはないな……。


 そんなことを考えながらベッドの中でぼんやりしていたら、寝汗が冷えたせいで急激に体温を奪い始めた。このままでは風邪をひく。昨夜脱いだままになっている服を引き寄せてそのまま着替えようかと悩んだが、ここまでぐっしょり寝汗をかいたとなれば下着を変える必要があるだろう。

 

 冬場の洗濯は気乗りしないが、生きている以上は仕方がない。溜息をついて下着も一式着替えてさっぱりしたところで、洗濯物を手に一階に降りることにした。


「おはようございます、マスター」


 階段を降りる音で気付いたのか、工房の方からパウラが顔を出した。その顔を見た途端、さっきゴミ箱に放った走り書きに対しての罪悪感が胸に芽生える。


 パウラに「おはよう」と返しつつ、後で部屋に戻ったらあの走り書きをゴミ箱から拾い上げて焼却処分にしようと思う。そうでなければ何となくだが、彼女の笑顔を正面から受け止める資格がないような気がした。


「あのマスター、その洗濯物は?」


 僕の後ろめたい胸の内を知るはずもないパウラが、無邪気に脇に抱えていた洗濯物をのぞき込んでくる。


「あぁ……と、これは寝汗をかいたから。着替えたんだ」


 距離の近さに戸惑いつつもそう答えるやいなや、キュッと眉根を寄せるパウラの反応に“しまった”と思ったがもう遅い。自分で洗うという僕の抵抗も虚しく、彼女の手によって綺麗に洗濯された下着と寝間着が冬の寒風に晒されるのを何ともいえない気分で眺める。


 いつもは自分でしていたから、地味に女性に洗わせてしまったことに自己嫌悪だ。おまけに寒さに弱いパウラは水に浸けた手が(厳密には根だが)一時的にではあるが萎れてしまった。若々しい姿のまま、手だけが何十年も歳を重ねてしまったようになって、それがどこか痛々しくもあり禍々しくもあった。


 そこで軽い朝食を急いで取った後、工房で向かい合ってぬるま湯の中にパウラの萎れてしまった手を浸している。いつもはポーションの材料を洗う桶の中に二人分の掌を沈めて、パウラの萎れた掌をマッサージしていく。


 壊れ物を扱うように極々優しく、互いの掌を揉み合わせるように。こちらの生命力をパウラに分ける気分で気持ちを込めて、ゆっくり、ゆっくり。


 時折くすぐったいのか逃げようとする彼女の手をしっかりと掴んで、指を絡めるように丹念に揉みほぐす。桶の湯が冷たくなる前に弱火にかけたままの小鍋から新しい湯を注意深く足していく。


 丁寧に。丹念に 。次第にふっくらとし始めた手を眺めていたら、桶の中で絡め合う指と掌がまるで水中を泳ぐ二匹の魚のようだと思う。


 ようやくパウラの手がいつもの瑞々しい感触に戻る頃には、僕の手の方がふやけてシワだらけになっていた。


「――こんなものかな。どうだいパウラ、手の感覚は戻っただろうか?」


 ずっと下を向いていたせいで頭を上げた際に首の後ろが軋んで痛んだが、彼女の様子を見ようと視線を上げた時に、そんな痛みはどこか時空の彼方に飛び去ってしまった。


 すぐ傍に潤んだ金色の双眸がある。“綺麗だな”と思うその間にも、その距離が縮まって……て、え?


「え? ちょ、パウラ――!?」


 金色の瞳に間抜けな顔で見惚れている自分の顔が映った瞬間、慌てて後ろに椅子を引こうとした僕の額に柔らかくて冷たい唇が触れる。


「……ありがとうございます。マスター」


 額を押さえて動揺を隠せない僕に向かって、パウラが甘く微笑む。頭の芯が痺れるような感覚に呆然とする僕に向かってはにかんだ彼女は「温かい飲み物でもいかがですか?」と言って席を立った。


 だけどその問いに僕が答えるよりも早く、店のベルが鳴る。


 「まだ開店前なのにお客様でしょうか」と少し残念そうな微笑みを残したパウラが身を翻す。その姿が店のドアの奥に消えると寝起きとは違った汗が背中を濡らした。


 もしもあのまま声を上げなかったらどうなっていたのだろうか? それとも直後のあのパウラの落ち着きようから考えて、ただからかわれただけなのかもしれない。冷たい唇の触れた額に手をやっていたら、店に繋がっているドアから顔を覗かせたパウラと目が合った。何というか……今日はどうにもタイミングが悪いな……。


 慌てるのも不自然かと思ってそうっと額から手を離せば、それを見ていたパウラが不意に自分の唇に触れる仕草を取る。


 きっと意図してやったことではないのだろうけれど、そんな切なそうな表情でその仕草は……女性の方が精神的な成長は早いと言うが、マンドラゴラでも例外ではないとは末恐ろしいな。


「おいコラ、呼び出した上にこっちが珍しく表から来てやったってのに、出迎えもねぇのかよ」


 この微妙な空気が漂う中である意味で救世主かと思える無遠慮な来訪者に、すっかり忘れかけていた前日の予定を思い出す。


「あぁ、コンラートか。すまん、こちらから呼び出しておいてすっかり忘れていた」


「そんなこったろうと思ってたぜ、ったく」


 ただでさえ目つきの悪い目をより細め、悪態をつきながらパウラの後ろから現れたコンラートが工房内にその身を滑り込ませる


「そんで今日はどうした? また“入り用で出かけるから工房頼む”みたいなやつか」


「いや、さすがに材料の方はこの間のでしばらく事足りる。それに馴染みの冒険者もそこまで暇じゃないからな。次の採取までどう早く見積もっても八日はかかる」


 まだドアの横でこちらを伺ったまま待機してくれているパウラに、視線で“お茶を頼める?”と送れば“了解です”と指で丸を作って頬の横に掲げる。そんな彼女はさっきまでの物憂げな雰囲気から、すっかりいつもの状態に戻っていた。


 そのことにホッとしたような、少し残念なような微妙な気持ちでいると、一旦お茶を見繕う為に店の方に戻ろうとしていたパウラが、僕の視線に気付かないまま切なげに唇を一つ撫でた。


 その指先がふっくらとした形に戻っていることに安堵しつつも、妙にドギマギしてしまう自分が変態じみているなと思う。パウラがお茶の準備をしてくれているうちに、この間入手してきた材料の中でコンラートが使えそうな物を、留守番のお礼も兼ねて定価より少しだけ安く分けてやる。


 その作業に熱が入ったせいで、つい二人してパウラの淹れてきてくれたお茶がすっかり冷めてしまったことにも気付かず、いつかのように“淹れ直してきました”と声をかけられた時は焦ったけど。


 一息つきながら仕分けきった材料を見ると、一度に全てコンラート一人で持ち帰るには無茶な量になってしまったので、さらにそこに追加しても良いものかと悩んだのだが――やっぱりこいうのは勢いが大事だからな。


 隣に座るパウラに目配せすると、彼女は意を汲んで“それ”を運んできてくれた。


「この量の荷物を前にしていうことでもないんだが、コンラート。このシェビアを貰ってくれないか?」


 深い紺にも見紛う青いシェビア。その鉢植えを前にしたコンラートが一瞬息を飲む音が聞こえた。常は眇めがちな目を見張って鉢を食い入るように見つめるその表情に、かつての罪の意識が見える。ポーション職人であれば絶対に“欲しい”と誰もが思うであろうこの個体に対する強い欲求も。


「コンラート。無論気に入らないなら無理強いはしない。ただ、このシェビアがお前のことをとても好ましいと言っているから」


 今回の件は、留守の間にもフェイの想い人の世話を献身的に焼いてくれたお陰で“彼”もそろそろ小さな単語を聞き取れるようになった……と。安堵の表情を浮かべてそう言うパウラを見た時に思いついたのだ。


 もっと平たく言えば、“彼”とフェイよりも年嵩であるシュウが、数日前に僕達に暇乞いをしてきた。もうすぐ“彼”からも葉を採取出来るようになるのだから、自分はこの工房内ではもうお役ごめんだと。


「コンラートにはまだ教えていなかったけど、パウラには少しそういう“素質”があるんだ。植物の声を断片的にだが聞き取ることが出来る。だから力を活かす新たな場所が欲しいそうなんだが――どうだろうか?」



***



「行ってしまいましたね……」


 まだ山と積まれた材料を全部放置したまま、大切そうにシュウの鉢植えを抱えて帰って行くコンラートの背中を見送る隣でパウラがそう呟いた。


「うん、そうだな」


 返事をしながらふと工房の裏口脇にある白くて丸い日焼け跡に目をやる。もう少し暖かくなったら、今度はあそこにフェイの想い人の鉢植えを置こうか。それともこのままにしておこうかと考える。


「……マスター」


 隣で控えめなパウラの声がして振り向けば、僕の肩に手をかけて背伸びをした彼女の冷たい唇が頬に押し当てられた。


「私のことは、どうかずっと――ずっとマスターのお傍に置いて下さいね」


 唇が離れる寸前に耳許で囁かれた言葉に、忘れかけていた熱がぶり返す。頬を押さえたまま硬直する僕の手を、滑らかなパウラの手が包み込んだ。


 朝の洗濯物が視界の端に揺れて。

 僕は彼女への答えの代わりに、その手を強く、握り返した。

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