第34話 秋空と紅葉と真贋符
◇◇ “黒獅子の咆哮” 騎士団本部別棟──
「ん〜〜。今日は本当に色々あったなぁ。初日でこれは流石に詰め込みすぎでは?」
キースと別れた後、フィンは自室で荷物の整理などをして、今ちょうど自室に運ばれてきた夕食を食べ終えたところである。
「バルコニーには危ないので、出ないでくださいね?」
キースは去り際にそんな事を言っていた。
床材でも腐っているのだろうか? 綺麗に隅々まで掃除が行き届いたバルコニーは、とてもそんな風には見えない。
彼は、少しくらいならいいだろうとバルコニーへと足を進める。風にでも当たりながら少し頭を整理したいと思ったからだ。
色々あった一日だったが今では夕陽もすっかり沈み、 “秋晴れ” の済んだ夜空には、うっすら青く光る大きな大きな月が浮かんでいた。
「うわ〜、デケェ〜。」
6大陸中から学生の集まる学園だが、やはりそこは通例というか、雰囲気作りのためなのか、入学式と卒業式は、例年 “春” に行われることになっている。
では、 “春” 爛漫の学園都市を卒業したはずのフィンが何故こうして “秋” の夜空を見上げているのかと言われれば、それは単純に学園都市がいわゆる “南半球” に存在するためだ。
“天体” としての “シミュラクル” は、大陸の形などは違えど大きくは地球を踏襲したものになっていて、シミュラクルの世界に浮かぶ星々の位置も、地球で見ているそれらと何ら変わらないし、月が二つ浮かんでいる──ということもない。
だが、シミュラクルの夜空は、彼が地球で見ていたそれとは大きく異なっている。
この世界の “夜の闇” には、青や赤や紫といった様々な “色” がより強く現れるのだ。これは、大気中に含まれる成分が、地球のそれとは大きく異なることに由来しているそうだ。
そんなこの世界特有の “宵闇色” で染められた夜空に無数の星々が瞬く光景は、おそらく地球の夜空を知る誰が見ても同じことを口にするだろう。フィンもまた、そうであった。
「すっごいキレイじゃん。」
彼は、自然と溢れ出る感情を抑えられずにそう言った。
◇◇◇
── 〜〜♪〜〜〜♪
── おうま〜がときは〜〜♪
── んんん〜ふふふふ〜〜♪
── あなたも〜わたしに〜♪
── かえる〜〜♪♪
騎士団別棟の中庭に面した広い露天浴場に、少女の少し高い、透き通るような歌声が響いていた。
言わずもがな、歌っているのはセリエだ。
両脚を組み、浴槽の縁へ肘をかけて頬杖をつきながら歌っている彼女は、歌詞を全部覚えきっていないのだろう。所々にハミングを挟んではいるものの、音程だけはしっかりととれているので、聞く人が聞けばなかなかに上手いと賞賛される事であろう。
しばらくして満足したのか、彼女は湯船の中で大きく身体を伸ばした。形の良い大きな胸が、ツンと上を向いてプカリと水面に顔を出す。
「ん〜〜、最高ですわ〜。」
彼女は目を閉じながらそう言って、鼻から大きく息を吸いこんだ。
少しばかりトロりとして薄い桃色のついたお湯からは、仄かに甘い香りがしている。
(こんなに素敵な場所を使わせて頂けるなんて、夢みたい。なんだか心も清められていくようですわ。それにこの泉質……、レーヴェンのお屋敷でもう一度入りたいわね。)
セリエは随分と上機嫌である。なんだかんだで色々忙しかった一日だったが、こうしてゆっくり湯船に浸かることができて本当に満足そうだ。
(このお湯はどうやって支度したものなのでしょう……、キースに聞けば教えてくれるのかしら?)
そんな事を考えつつも、彼女は静かに夜の音に耳を傾けた。
サワサワと風の音がする。
更にしっかりと耳を澄ませれば、騎士団の建屋を挟んだ向こうにある街の大広場からだろうか、時折男たちの歓声、吟遊詩人の鳴らす楽器の音が微かに彼女の耳に届いた。
きっと、迫る戦いに向けて自身達を鼓舞しているのだろう。それらの音は小さくも、どこか力強い。
この街は素敵だ。自らが育った “レーヴェン” とは異なるが、古い歴史があり、人々は街を愛している。
セリエはいま自分にできる精一杯で、彼等の力になってあげたい。そんなことを考えながら、しばらくその目を閉じていた。
セリエがふと、目を開いたときである。
あら…………?
目の前に、薄く透き通った白いモヤのような、小さな光が浮かんでいる。
(これは、何でしょうか? 湯煙……ではないようですわね?)
セリエが光に向けて手を伸ばすと、それは触れられることを嫌がるかのようにクルリと彼女の手を避けて、宙に向かって昇っていく……
自然と湯船から立ち上がり、彼女がその光の飛んでいく方へと目を向けようとしたその時である──。
「うわ〜、デケェ〜。」
彼女のいる場所のすぐ上の方から、聴き慣れた⦅パートナー⦆のそんな声が聞こえてきたのは。
ワナワナと、セリエは震える。
あまりの驚きに、彼女は声の方を見ることもできない。
「すっごいキレイじゃん。」
続けて、そんな信じられない言葉が彼女の耳に飛び込んできた。彼女は貴族子女である。たとえその相手が “想い人” であったとはいえ、否、 “想い人” であるが故に、こんな卑怯な騙し討ちの様なことをされては、嬉しいどころか腹が立って当然だ。
「……フィン。貴方……、最低ですわ。」
とうとう我慢の限界を迎えた彼女は、怒気の籠った声で静かにそう口を開く。
「……え。」
彼女の “想い人” は、驚いた様な間の抜けた様な、そんな声を上げている。
「見ましたわね??」
セリエは声の方を見ないまま、静かにフィンにそう問いかけて、トプンと湯船に腰を沈めた。
「い、いや。見てないぞ? お、お……俺は何も見てな──。」
「嘘おっしゃい! 今しがた信じられない様な台詞を口にしておきながら!! ……そういうところも、許せませんわ!!」
セリエは、彼の声がしたバルコニーの方をキッと睨みつける。
そこには、空を見て固まっているフィンがいた。
「ちょ、フィン!! 聞いているの!? どこ見てるのよ!! ちゃんと私の目を見て言いなさい!!」
セリエは怒りが収まらず、フィンに自分の目を見て話すよう命令する。
「い、嫌です!! 絶対、絶〜〜対嫌です!! そっちだけは絶対に俺は見ません!!」
フィンは相変わらず空を見上げたまま彼女と視線を合わせようとはしない。
「わかりました、暫くそこで待ってなさい。直ぐに行ってお仕置きをします。逃げたら……許しませんわよ。」
「──ッヒィイ!!」
底冷えするようなセリエの声に、フィンは天を仰いだままバルコニーから動けない。
しばらくしてバルコニーに現れたセリエはカンカンであり、フィンが “真贋符” を使ってその身の潔白を証明するまで、ついぞ彼の言葉を信じてはくれなかった。
◇◇◇
──翌朝。
顔に大きな “紅葉” の跡をつけたフィンを見て、キースはため息をつきながら口を開いた。
「まさか、バルコニーに出たんですか?」
だから危ないと言ったでしょうと彼は言う。
「うん、ひょうなんら。ふぉれでねキース、めちゃめちゃ大事な話があるんら。聞いれくれ。」
フィンはもごもごと喋りにくそうにしながらもキースに向けてなんとかその口を開いた。
「一応言っれおくけろ、あの “真贋符” 、本物らから。」
「……はぁ。わかっていましたけど?」
キースはキョトンとした顔をしてフィンを見つめる。
「キース……。いや、キースせんふぁい。セリエの前では絶対にアレが偽物らとか言わないで下ふぁい。マジれお願いしまふ。」
腫れ上がった顔に必死の形相を貼り付けて懇願するフィンを見て、柄にもなく大爆笑してしまうキースなのであった。
◇◇◇
10万文字突破記念のサービスシーン回でした⸜(๑’ᵕ’๑)⸝けっこう難しかったですが、結果色々と盛り込めて良かったです。フィン君はこれで、セリエ様に完全服従することになるんでしょうかね?笑
次話はフィリスで数日ほど過ごした後の話になるっぽいですよ?
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