第28話 フィリスの “黒門”
◇◇◇城塞都市フィリスの城門前──
「やっぱり、そう遠くはなかったな。」
「ええ、この時間なら宿を探すのもそれほど困る事はなさそうですわね。まあ、検問にどれほど時間を取られるかはわかりませんけど……。」
セリエはすぐ目の前に並んでいる馬車や荷車の列を見てそう言った。
「うーん、また卒業証を見せれば直ぐに通れるんじゃないか?」
フィンは彼女の見る方向に目をやりつつも、然程心配する風でもなくそう応える。
「違いますわ。私は、私達の順番が来るまでに日が暮れてしまうのではないかと心配していますのよ。ほら、あんな風に一つ一つ荷物を確かめていれば、どれだけ時間がかかるかわかりませんもの。」
セリエは門の側で衛兵から検問を受ける商人の一行を指差してフィンそう告げた。そこには大きな積荷を乗せた馬車がいくつも並び、その横で商人達が通商手形や品物の卸先等について細かく確認を受けていた。
「ああ、そういうことか。大丈夫だと思うぞ? 俺たちが並ぶのは、ほら、あっちの列だから。」
フィンの指差す方を見れば、小さなテントの前に並ぶ数人の男たちがいた。どうやら農夫のようで、それぞれが肩に農具を担ぎ、汗を拭いながら衛兵と談笑している。
「こっちは交易商人達が並ぶ列なんだよ、交易商が運ぶ積荷には税金がかかるんだ。だから、一つ一つの商品を確かめる必要があるし、検問にも時間がかかる。ほら、ここは国境に近いからな。で、俺たちが並ぶのは向こうに見える汎用門の列だ。あっちは初めて来訪する旅人なんかでも、訪問理由を軽く話した後で入門料を払うだけだから、そう時間はとられないさ。」
フィンはゲーム時代と同じ仕様になっている街への入り方をセリエに説明した。シミュラクルの世界では、一般的にどの街でもこうした検問をやっている。
ただし、ゲームの時は一度検問を体験した以降は入門料を払うことでスキップすることができるので、フィンもそう何度も細かく受けた経験があるわけではないのだが。
「そ、そうでしたのね。知りませんでしたわ……」
セリエは少し顔を赤くしている。
彼女はお嬢様だから、おそらくこうした手続きを自分でしたことがなかったのだろう。
俺たちは列の最後尾へと足を進めた。
◇◇◇
フィンとセリエは現在、 “飛空艇” の発着場のある城塞都市フィリスの門前で、街に入るための検問の列に並んでいる。初めて街に立ち入る者はここで身分を検められた後、入門証となる木札をもらうのだ。
フィンの隣で列に並ぶセリエは、まじまじと城門を見上げてはもの珍しそうにふんふんと頷いている。先程のやりとりのこともあり、フィンは何気なく彼女に尋ねた。
「セリエはもしかして、学園都市に入学するまで “レーヴェン” の街から出たことはないのか?」
「……っな!? ……も、もちろんありましてよ? ただレーヴェンやカナンは “大戦” 後に作られた街ですので、ここまで高い城壁や大きな門は初めて見ただけですわ!!」
お嬢様であることを揶揄された様に感じたのか、セリエは顔を赤くしてフィンに応える。
「それに、伝説にもなっている “フィリスの黒門” ですのよ。しっかり目に焼き付けておきたくなるのは当然でしょう? フィンの方こそ、ちょっと不勉強なんじゃなくって?」
セリエは不機嫌になったようで、フィンからプイと顔を逸らせて門の方を向いてしまった。
(やれやれ、別に嫌味を言ったつもりはなかったんだが……。やっぱりお嬢様の扱いには慣れないな。)
そんなことを考えながら、フィンは改めて城門へ目を向ける。彼女以外にも “黒門” に興味のある者は多い様であった。
検問待ちの商人や、観光客然とした者やらが繁々と門や城壁を眺めており、中には筆をとって絵を描きだす者もいた。それはこの門が、シミュラクルの世界での歴史的遺物として少しばかり名の知れた存在だからである。
◇◇◇
セリエの言う “大戦” とは、今から300年ほど前にシミュラクルの世界で起きた大規模な人間同士の争いの事だ。
大戦は、中央大陸に現在も変わらず存在する大国家── バルトリア帝国、エレノア王国、フォーリナー神聖国、ヤマタ皇国、マール連邦共和国 ──をはじめとする諸国間で起きた戦争で、実に当時の世界人口の五分の一が、この戦争により失われたと言われている。
ここフィリスはその地理的な重要性から、大戦の数多ある戦場の中でも有数の激戦地になっていた。
そしてその戦乱の時代、城塞都市はバルトリア帝国西側の最重要拠点として幾万もの連合の大軍を足止めし、一人の兵士さえその城門より先に通さなかったと伝えられている。
300年も前の古き時代に、エレノア・フォーリナー連合軍の兵士10万の血を吸って黒く染まったと言われるこの城門は、現在では “フィリスの黒門” としてちょっとした観光名所になっているのだ。
フィンは改めて “黒門” と、それに連なる高い壁を見上げた。
門に刻まれた黒獅子の意匠は、帝国に害をなす者を決して通さぬ。そんな意志さえ感じられる程に、どこか泰然とした風格を放っていた。
◇◇◇
「シミュラクルの歴史書に必ず出てくる伝説の城門だもんな。大戦から300年が過ぎてもこの威容だ。きっと当時の兵士達には、これが恐ろしい地獄の門にさえ見えたんだろうな。」
フィンはセリエの言葉に頷きつつ、やはり現実となった世界でもこうして歴史的遺物を観れるのは良いなと思う。
もちろんゲームとしてのシミュラクルにおいてもここは観光名所であったが、現実に行き交う人々が門を眺める光景は、やはり用意されたものではない、どこか素直な感動に包まれていて、なかなかに新鮮な感じがした。
「あら、フィン。そんな悠長なことを言っていて良いのかしら?」
フィンの言葉にセリエはそう言って、くるりと彼の方へと向き直る。
「いつまた争いが再燃するとも限りませんわよ? この土地の重要性は300年前から全く何も変わってはいませんわ。それに、この帝国も我が王国も、フォーリナー神聖国とて未だに健在……、むしろ、帝国は着実に力を蓄えて、未だにその版図を広げようと画策しているのですから。」
セリエは先程の意趣返しのつもりか、そんな風にフィンに向かって告げた。
流石は優等生だ。セリエはしっかりとこの先の展開が読めている。
「すまんすまん。セリエの言う通りだ。何にせよ、俺たちがこの黒門にすり潰されるような目に遭わないことを祈るばかりだよ」
フィンの言葉にセリエは機嫌を直したのか、ホホホと笑いながら、その時は私が貴方を守って差し上げますわ。などと口にしている。
セリエの指摘する通り、そう遠くない未来に再び戦乱の火蓋は切られるだろう。
しかし、それがいつ、何をきっかけにして始まるのかまでは、今この世界に存在する誰にもわからないのだ。
そうして二人は自分達の順番が来るまでの間、自分の知る大戦の逸話を披露し合ったり、街に入ったあとの事について話したりしてしばらく時を過ごしたのであった。
◇◇◇




