第22話 首席に憧れて
◇◇◇
先程フィンと喧嘩した場所から少し離れた川のほとりで、セリエは彼の顔を思い浮かべながら一人物思いに耽っていた。
「どうして私は彼ことになるとこんなにも……、自分を抑えられなくなってしまうのかしら……?」
そう言ってセリエは、はぁ。と深いため息を吐くのであった。
◇◇◇
セリエは別に冒険者になりたかったわけでは無かった。むしろ正直なところ、学園都市を卒業した現在においても、冒険は嫌いである。
魔物は怖いし気持ちが悪い。彼女は魔物が生理的に苦手であった。
学園ダンジョンを使用した実技試験では、魔物と戦わされることもしばしばあった。だが、魔物の返り血を浴びれば浴びるほど、彼女は自分の中に何かどす黒い感情が溶け込んでくるような気がしていた。それはまるで、自分が自分でなくなっていく様な、それでいて高揚した感覚である。そして、その感覚に没頭することを彼女は怖いと感じていた。だから彼女は魔物との戦いの後は、いつもすぐに身体を清潔に保つことにしていたのである。
しかし、それはあくまで学園の中だからできることであった。実際の旅に出るとなれば、身体を常時清潔に保ち続けることなんてできるはずもなかった。
エレノア王国有数の貴族家で何不自由なく育てられてきた彼女にとって、そんな危険で、臭くて、汚いことばかりの冒険など、想像すればするほど苦痛であった。
セリエが学園都に入学した理由は、簡単に言えば自分の腹違いの兄達を見返してやりたかったからだ。
彼女の兄達は、幼い頃から何かにつけてセリエを馬鹿にした。それは彼女の母に関する情報が、親族はおろか彼女自身にさえ明かされていないという理由のためであった。
セリエの父曰く、彼女の母は美しい人であったが身体が弱く、彼女を産んだあと直ぐに亡くなってしまったのだと言う。
父は母を愛していたが、二人は身分違いの恋だったのだそうだ。この為二人の関係は公にされることはなく、母の葬儀はごく限られた人間によってひっそりと行われたのだとか。
大貴族である父が世に明かせない程の人物ならば、それはきっと卑しい身分の者に違いない。
セリエの兄達は、いつも彼女をそう罵った。そんな兄達を、セリエはいつか見返してやりいと思っていた。
彼女が学園都市に入学した理由は、第100期生という記念すべき年の “首席” というわかりやすい肩書きを手に入れ、自らの生まれが、そして母が、決して誰かに劣る存在ではないのだということを証明したかったからである。
つまり、首席を獲得して学園を卒業することは、彼女にとっての自らの存在証明に他ならなかった。
しかし、第100期生には天才がいた。
彼が──、フィンがいた。
“凡人” がいくら努力しても敵わない “天才” という人間は、世の中に必ず一定数存在する。彼女には、フィンがまさしくそんな天才に見えていた。
どんな試験でも、例えば、教師がその日の気分で行った抜き打ち試験においてさえ、フィンは必ず満点をとった。
“異常な程に優秀” ──それがセリエがフィンに抱いた第一印象であった。
フィンは「これが “フラグ” だから次の分岐は…」とか、たまによくわからない独り言を呟くという奇妙な癖があった。まるで未来が見えているかのようにさえ振る舞う彼は、数多くの鬼才異才が集まった学園都市においてもちょっとした有名人であった。
だがある日、そんな天才に異変が起きた。
あれは学園生活も一年が過ぎ、二年生に進級した後最初の全校集会の日だった──。セリエ達の目の前で、彼はいきなり倒れたのである。
そしてそれ以来、全くやる気を失ったかのように彼は成績を落としていった。
一番をずっと自分の目標にしてきたセリエにとって、彼の成績低下は首席を獲得するチャンスとなるはずであった。──が、彼女のプライドはそれを許さなかった。
どうして試験で満点を取らなくなったの??
どうしてクラスメイト達の誰とも会話をしなくなったの??
どうして何もかも全部、どうでも良いような顔をするようになったの??
どうして?
どうして??
どうして!!??
彼女には、フィンが何に絶望し、何を諦めてしまったのかがわからなかった。
それからというもの、セリエは他のクラスメイト達とは反対に、頻繁に彼に構うようになった。
学園都市で過ごす2年目の夏。── その頃には彼の無気力はますます露骨になっていたので、彼女を除いたクラスメイト達は、誰も彼に近づかなくなっていた。
一方のセリエは、どういうわけか彼のことが気になって仕方がない。それは、彼女の中にあった “学園首席” という存在への憧れが、いつしか “彼” そのものに対する憧れに置き換わっていたからである。
そんな、夏も終わりに近づきかけたころ……。セリエは、ついにフィンに告白した。
◇◇◇
「フィン、ちょっといいかしら?」
セリエは、二人の他に誰も居なくなった教室で、今日も今日とてやる気のないフィンに声をかけた。
「何か用?」
彼はいつもと変わらない気怠げな様子でセリエに応えた。
「……こ、光栄に思いなさい! 貴方が私の “パートナー” になる、チャンスをあげるわ!」
セリエは精一杯の勇気を振り絞ってフィンにそう告げた。
だがセリエがそう言ってもまだ、フィンにはよくわかっていないようであった。だから、彼女は続けて口にする。
「もし、貴方がこの、学園都市第100期生の “首席” を取れたら……。私の “従者” にしてあげてもよろしくてよ!」
その台詞は、とても告白と呼べるのかどうかも怪しいものであったが……、少なくとも彼女はそのつもりであった。
「あ……、 “フラグ” か。」
ポツリと、彼はそう呟いた。
「……っえ?」
セリエは何を言われているのかわからなかったが、フィンは彼女に向けてこう続けた。
「セリエ……か。そういえばお前の泣き顔って、俺見たことないんだよね。」
彼はそうとだけセリエに告げた後、ただ静かに彼女の前から立ち去っていった。
(──っえ……今のはどっちですの? もしかして……私、フラれたんですの?)
その時セリエは泣いてもいなかったし、 “フラグ” というものが何なのかもわからなかったので、彼の言葉の真意がどこにあるのかも、告白の答えが “YES” なのか “NO” なのかも、彼女には全くわからなかった。
──しかし、次の日から彼は急にやる気を出した。
成績はあっという間に学園の上位にまで一気に盛り返したし、クラスメイト達に積極的に助言や協力することを彼は惜しまなくなった。
学園都市第100期生の、ちょっと風変わりな絶対的エースの復活を、学園の全校生徒が……いや、教師さえもが祝福した。
つまり、私の告白は成功したのだ。──そう彼女は考えていた。
◇◇◇
そして、学園都市での生活もやっと2年が過ぎ、セリエ達第100期生はついに卒業の時を迎える。
セリエはこの時、もし自分が “首席” として先に名を呼ばれたとしても、 “次席” の彼を自分の “従者” にしてやるつもりだった。
そしてその思いはなぜか、自分が首席に選ばれるかもしれないという根拠のない期待を経て、必ず自分が首席を取るのだという確信へと変化し、彼女はその時が来るのを今か今かと待ち望んでいた。
卒業式で最初に “自分の名” が呼ばれたら、自分が彼の名を呼ぶのだ。そして、二人でダンジョンに潜るのだ。──そんな期待に彼女は胸を高鳴らせていたのである。
しかし皮肉なことに、実際に卒業式で一番に名前を呼ばれたのは、彼の方であった。
──その瞬間、彼女の中で一つのある “不安” が唐突に湧き上がった。
それは、あの告白は、本当に成功だったのか? ──という疑問である。
彼はあの時、私の言葉に頷いたか?
彼はあの時、私を “パートナー” に選ぶと言ったか?
彼はあの後、私だけに優しく接してくれたか?
彼はあの時、私の泣き顔を見たいと、そう言ったのではなかったか?
そんな絶望的な思考が、セリエの頭いっぱいに広がった。
不安は感情を押し潰し、息もできないくらいにセリエの心はめちゃめちゃになっていく。そうして永遠にも思えるくらいに引き伸ばされた刻の中で、彼女の絶望感だけが膨らんでいった……。
◇◇◇
──…ェ……
──……リエ?
──セリエ様?
「……っえ?」
「何をポケーっとしているんですか。早く、行きますよ? セリエ様?」
そう言って、彼女の名を呼んだのは紛れもなく彼──学園都市第100期生の “首席” だった。
彼の言葉にセリエが正気を取り戻した時。
既に卒業式の会場は、学園創設以来100人目となる首席の誕生を祝福する声と、その “パートナー” になった少女を祝福する声で溢れていた。
絶望が一気に愛情で上書きされていく。
自らの存在証明のために、何年も何年も憧れ続けた “首席” の肩書きが、既にもうどうでもいいものになっている。
私は彼を愛してるんだ。
セリエはこの時心の底からそう実感し、涙を流したのであった。
◇◇◇
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