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さすがです

最終話となります。

少し長いですが、最後までお付き合い頂けますと幸いです。

 ルキアノスが授業から帰ってくると、最後だからと我が儘を言って全員で食事をし、最後にトリコに別れを告げて寮を出発した。

 面子はセシリィとルキアノスで、馬車はいつもの通り、ヨルゴスが手綱をとった。

 到着したクィントゥス侯爵邸では、クィントゥス侯爵ことレオニダスを始め、伯母のメラニアと、次兄のクレオンも待っていた。

 レオニダスなどは娘を見た瞬間泣いて飛び付くかと思ったが、意外にもしかつめらしく威厳を保っていた。


「……よくぞ無事であった」


「ご心配をおかけいたしました」


 うむと頷いたきり、レオニダスは腕を組んだまま上半身だけ凍ったように動かなかった。セシリィの前では取り乱したくないのかもしれない。


「セシリィ。心配しましたよ」


「メラニア伯母様……。本当に、ごめんなさい」


 一方のメラニアは、いつもの威厳はそのままにそっとセシリィを抱き寄せた。セシリィが驚いた顔をしたが、一番目を剥いたのはレオニダスであった。


(やせ我慢なんかするから)


 子離れはまだまだ先のようである。

 そんな弟はまるで無視して、メラニアはセシリィを解放すると今度は小夜に向き直った。


「小夜様。この度は、誠にありがとうございました」


「いえいえ。見付けたのは私じゃなくてヨルゴスさんなので」


「え、小夜……っ」


 手紙とクレオンからどんな説明があったのかは不明だが、小夜は大事なことなので丁寧に訂正を入れた。何故か狼狽するセシリィはひとまず横に置いて、馬車を動かそうとしていたヨルゴスを掌で示す。

 メラニアとヨルゴスの視線がぶつかり、一瞬の沈黙のあと、ヨルゴスが黙して一礼した。メラニアも丁寧に礼を返す。


(何だろう、今なんか認定しあった?)


 車庫へと向うヨルゴスの背中を見送っていると、今度はレオニダスからも声がかかった。


「……わしからも感謝を申し上げる」


 まるで感謝されている気はしなかったが、これがレオニダスの最大限と分かっているので、小夜はあえて笑顔で応じた。


「どういたしまして」


「さあさあ! 恩人をいつまでも立たせてはいけない! 続きは中でしよう!」


 それらのやり取りを嬉しそうに見守っていたクレオンが、意外にも常識人のような言葉で三人を応接室に案内した。

 だが事件などの詳細についてはすでに手紙に記されていたようで、真剣な話はそうなかった。ルキアノスが手紙のあとのことを二、三点経過報告した程度だ。

 小夜からは、お借りしていた金銭を僅かながら使ってしまったことを伝えて、残りの銀貨、銅貨の入った小袋を返した。そして、ハンカチは諸事情で返せないことを謝罪した。

 メラニアは問題ないと大様に許してくれた。


「そんなこと、セシリィが戻ってきてくれたことに比べれば大した問題ではありません」


「そう言っていただけると助かります」


「それどころか、お礼として少ないながら幾らか用意してあります。是が非でもお持ちになって」


「も、貰えませんよ! 通貨どころか、貨幣価値すら違いますし」


「では、貴金属か宝石、織物、香料などではいかがですか? どれも、すぐ用意させますが」


「いやだから、そもそも友達を助けただけなのに代価は要りませんって」


「それでも、侯爵家としての面子があります」


「誰に対する面子ですか」


 出てきた単語に、小夜はついに苦笑してしまった。


「私はこの世界の人間じゃないし、この世界の住人とも今後交流しません。家に帰っても、ただの庶民です。私に対する態度で、侯爵家への評価に影響が出ることはないですよ」


 またはそれを承知の上で、メラニアはきちんとした形で恩を返したいと思ってくれたのかもしれない。堅物と言われるのはこういう所なのだろう。律儀で真面目。大変だが、やはり好感が待てる。


「姉上は昔から融通が利かないからいけない」


「……お前に言われたくはありません」


 横から呟いた弟に、メラニアが眼光鋭く反論した。小夜としてはどっちもどっちである。と思ったらクレオンが笑顔で同じことを言った。


「俺からするとどっちも大して変わらないがな!」


「常識が利かないお前にだけは言われたくない!」


 がははっと笑う息子に、レオニダスが怒鳴り慣れたように一喝した。実にレスポンスが早い。

 そのやり取りを完全に無視して、メラニアが小夜に視線を戻す。


「それでも、わたくしたちは小夜様にどんな形であれお礼をしたいのです」


「それだったら、メラニアさんが私をまた元の世界に返してくれることで十分です。あれ、本当はすごい疲れるんですよね?」


 表情があまり変わらないながら困ったようなメラニアに、小夜はここぞとばかりにお願いした。セシリィでも出来るかも知れないが、負担も危険も少ない方がいい。


「……あなたは、謙虚すぎます」


「いやいや、病み上がりのお二人にお願いするには、十分酷な話かと」


「わたくしはもう平気よ」


「わたくしもです」


 姪と伯母が二人して見栄を張った。そういうことなら、今日のうちに帰れそうだ。

 メラニアも、お茶を飲み終わったら最後の準備をすると教えてくれた。セシリィもまだ黒ではない普通のドレスだし、小夜も喚ばれた時に着ていたパジャマを持参してきているが、まだ着替えていない。


(戻った時の時間帯が予想できないけど、さすがにドレスじゃね)


 母に見つかったら、呆れられるか引かれるかのどちらかだろう。もしくは売るか、着たいと言い出すかもしれない。だがどちらにしろ保管が大変そうなので、やはりパジャマがいい。


「では、準備が整いましたら呼びますので、それまでくつろいでいてください」


 必要な話し合いも終えると、メラニアはそう言い置いて部屋を後にした。勿論、最後まで見栄と威厳が邪魔をして厳つい顔をしていたレオニダスを連れていくことも忘れなかった。

 だが。


「お小夜さんは本当に帰ってしまうのか?」


 我が道を行くクレオンだけは、当たり前のように部屋に残っていた。ずっと無言を守っていたルキアノスの機嫌がぐんと悪くなる。


「えぇ。短い間でしたが、お世話になりました」


 仲が良いんだか悪いんだかと思いながら、小夜は無難に返す。


「実に短い間であった! 短すぎたから、もう少し引き延ばさないか?」


「はい。……はいぃ?」


 レオニダス姉弟が去って少し気の抜けていた小夜は、無難に頷いたあとで意味を理解し声が上擦った。

 だが問い質す前にクレオンが小夜の椅子の前に移動し、手を取って畳み掛けてきた。


「お小夜さんもそう思うだろう! 俺も思う。そのためには時間が必要だ! となれば是非俺と一緒に母上のもとに」


「行くか!」


 横から飛んできた蹴りにクレオンがごろんと飛んでいった。ぱちくりと見送る。と、むくりと起き上がった。


「痛いではないか、殿下」


 特に痛くなさそうに、蹴りを繰り出した張本人を見る。ルキアノスは眉をつり上げてそれを見下ろしていた。


「何故まだ帰っていないのかと思ったら、これが目的か」


「これ?」


「面白そうなのでな! 是非母上にもお見せしたい!」


 純粋な顔でそう宣ったクレオンに、小夜は二人の攻防を見ながら成る程と納得した。


「私は見世物か」


 そう言えば、イリニスティスの所でもちょくちょく嬉しそうにしていた顔を思い出す。あの時から既にロックオンされていたらしい。

 口を挟むと飛び火しそうなので、小夜はクレオンのことで気になっていたことをセシリィに聞いた。


「そういえば、クレオン様からお土産があるんじゃなかった?」


 セシリィが見付かって、目覚めてすぐの兄妹の会話である。確かセシリィがせがんだと思ったのだが。


「何言ってるの。もう貰ったじゃない」


「え、いつ?」


「一昨日、イリニスティス様の宮で」


 一昨日と言えば、一悶着あった日である。クレオンが現れたのはまさにその渦中であった。そこでクレオンが持ってきた物と言えば。


「何かの薄い本だか資料だかくらいしか見てないけど……」


「それがそうよ」


「……うそん」


 優雅にお茶を飲みながら肯定された。全然予想と違ったため、にわかには納得しがたい。お土産というから、ドレスやお菓子や、とにかく女の子が喜びそうなものかと思ったのだが。


「嘘を暴くには、お金の流れを見るのが一番だものね」


 大変喜んだようだ。セシリィが良いならもう何も言うまい。

 うむうむと頷いて、小夜もお茶に口をつける。その間も、横ではルキアノスとクレオンのよく分からない舌戦が続いていた。


「どんな理由でも却下だ」


「だが母上が、成長したようならセシリィを、ダメなら他に面白い奴を連れてこいと」


「完全なる家庭の事情だろ!」


「父上には頑として断られてな。セシリィを勧誘したら二度と関所の通行許可が下りないように裏から手を回すと」


「知るか!」


 職権濫用すると断言する辺りが、何ともクィントゥス侯爵家らしい。実家の敷居を跨がせないと言っても、クレオンなら喜んで飛び立って行きそうという見方もあるが。


「とにかく!」


 と、痺れを切らしたらしいルキアノスが乱暴に話を結びにかかった。


「小夜は一緒には行かない。お前は今すぐ帰れ。秘境に還れ」


 そのほぼ投げやりな対応策を聞きながら、セシリィも「さて」と腰を上げる。


「そろそろわたくしたちも着替えに取りかかりましょうか」


「あぁ、魔女スタイルね」


 大掛かりな魔法を行使するにはなるべく余計な情報は無い方が良いからと、装飾は無視して色彩をまず遮断するらしい。


「だれが魔女よ」


 怒られた。だが小夜も借り物のドレスを返して、パジャマに着替える必要がある。カップを置いて立ち上がった時、


「だが連れていくとなれば、俺はちゃんと責任は持つぞ?」


「ん?」


 聞き馴染みのない単語が耳に飛び込んできた。思わず振り返る。その手を、横から乱暴に引き寄せられた。


「小夜は俺のものだ!」


「……、ん゛!?」


 今度は耳を疑う単語が飛び込んできた。ぐいんと声の発生源を降り仰ぐ。すぐ鼻先にルキアノスの端麗な顔があった。


「っちちち近ぃ!」


 小夜は頭が真っ白になって仰け反った。だが少しも距離があかない。何故と考える隙もなく、腰に触れた手に更に力が込められた。肩にルキアノスの胸板が当たる。


「んなな何故!?」


 気付けば、小夜はルキアノスの腕の中にいた。左手首を掴まれたまま、腰にルキアノスの腕が回っている格好だ。明らかに昨晩よりもホールド力が上がっている。

 しかしルキアノスは小夜の疑問には答えないまま、クレオンを睨んでいた瞳をすぐ真下の小夜へと滑らせた。あり得ないほど至近距離で視線がぶつかる。鉄灰色の瞳の中に自分が見えそうで、小夜は息が止まりそうだった。


「小夜」


「っは、はいぃ!?」


 声が上擦った。結局名前を呼ぶ許可は出していなかったはずだとか、そんなことに頭を回す余力すらない。

 何故ならルキアノスが妙にキメ顔で、キラキラ度があり得ないくらい上がっているから。


「お前が帰るというのなら、止めはしない」


 熱いほどの吐息が頬にかかって、くらくらする。


「だが覚えておいてくれ」


 低められた声が睦言を囁くようで、くらくらする。


「お前がいないくなったら、オレは毎夜、お前の温もりを求めて夜を彷徨うだろう」


 ルキアノスが発する何もかもが小夜の許容力を大幅に超越していて、くらくらしすぎて、ついに本気の目眩がした。


「……小夜?」


「小夜!」


 がくん、と腕にかかる力が増して、ルキアノスが怪訝な声を上げる。だがルキアノスが次の行動に出る前に、セシリィがふらついた小夜を奪い取った。


「ルーク! 小夜に何するのよ!」


「何って、ちょっと、レヴァンに聞いたやつを……」


 目を吊り上げて叱責するセシリィに、ルキアノスが事態を飲み込めない顔でまごつく。だがこの説明に、セシリィは更に目を吊り上げた。


「レヴァンに!?」


 そのセシリィにしては珍しい金切り声に、一瞬世界が白くなっていた小夜の意識が戻ってくる。レヴァンといえば、お見舞いに行った時に何故か励まされたなとまとまらない頭で思い出す。

 そしてこぼれた言葉は。


「……え、お酒入ってた?」


「入ってないわよ。ルークのせいよ」


 ひとまずの現実逃避だったのに、冷ややかに現実を突きつけられた。だが背中を支えて椅子に座らせてくれる手付きは優しい。

 しかし頭も心もいまだに平常とは言い難かった。台詞回しがルキアノスらしくなく気障ったらしく芝居がかっていた理由は何となく分かったが、問題はそこではない。


(ビビった。襲うかと思った。私が)


 それが絵面として押し倒すのかさらさらの金髪をくっしゃくしゃに撫でくり回すのかは不明だが、とにかくセシリィの声がなければいい加減自制心が負けていた気がする。


(本当にミジンコだな私の自制心)


 あー危なかった、と一人顔を真っ赤にしたまま額の汗を拭う。と、いつの間にか応接室の扉前に控えていたヨルゴスが、珍しく主君の会話に口を挟んだ。


「……殿下。僭越ながら、それは靡かない娼婦を嫉妬させる時の口説き文句です」


「…………は?」


 言い様のない沈黙の果て、ルキアノスがそんな声を上げた。

 小夜はヨルゴスの貴重な長台詞を堪能したあと、成る程と合点する。


「あぁ、夜を彷徨うってそういうこと?」


 あなたが相手をしてくれないのなら他の娼婦の元へ行ってしまうぞ、という脅しらしい。ぽむと手を叩いた瞬間、ルキアノスの顔と言わず首筋も耳も真っ赤になった。


「――っな!?」


 差し当たって、第二王子殿下はそういう場所にはまだ縁遠いようだ。


(襲わなくって良かったー)


 一人胸を撫で下ろす。

 だが他の面々は最早収拾がつかなくなり始めていた。


「ヨルゴス。何故あなたがそんなことを知ってるのよ」


 セシリィが冷ややかな目付きで小夜的功労者に詰め寄り。


「…………」


 ヨルゴスは表情を変えないまま沈黙を貫き。


「俺も知ってるぞ! 使ったことはまだないがな!」


 クレオンがキラリンと白い歯を見せ。


「……レヴァン、あいつ、帰ったら絶対締め上げる……!」


 ルキアノスは赤い顔のままぷるぷると肩を震わせていた。


「小夜様、準備が整いましたので……」


 そこに、メラニアからの伝言を受け侍女頭が現れたが、


「…………」


 室内の状況を視認すると、一通りの怒号が落ち着くまで、礼の形を崩さず待ち続けた。




       ◆




「とりあえず、学校に戻ったらレヴァンにはきつめにお仕置きをしておくわ」


 セシリィとの別れの台詞は、それであった。セシリィが言うとどうにも拷問の香りがして頷きがたかったが、「程々にね」と答えておいた。


「……先程のことは……忘れてくれ……」


 ルキアノスの最後の言葉は、ものすごく落ち込んでいた。レヴァンがからかったのか嘘を教えたのか純然たる好意だったのかはセシリィが明らかにしてくれるだろうが、小夜は苦笑して頷くしかなかった。


「大丈夫です。忘れません」


「忘れろ!」


 青かった顔がさっと赤くなる。寒く薄暗い地下室に置かれた燭台の仄かな灯りだけだったが、それはよく見えた。これが最後になるからか、気持ちはどこまでも穏やかであった。


「それは無理です」


 にこりと笑う。

 すると、ルキアノスも観念したように苦笑した。


「……お前は、いつもそんなのばっかりだ」


 そうだったろうかと思う。ルキアノスの声で言われれば全部白も黒になった気もするが、今回は確かに嫌がって逃げることも多かったかもしれない。


「それでは、始めます」


 メラニアが厳かに告げ、セシリィも補助の位置に入り集中する。ルキアノスは静かに壁際に下がった。

 小夜は円陣の中央に立ち、それらを見守った。

 パジャマのポケットには、クラーラ夫人からいただいたハンカチ。胸には思い出。

 そして世界は再び白い光に包まれる――。




 次に目を開けると、そこは見慣れた六畳間の自分の寝室であった。小さな分譲住宅の、小さな一室。パソコンに本棚、衣装箪笥、そして。


「ただいま、トリコ」


 ベッドヘッドのランプの横に置かれた、青と緑のグラデーションも鮮やかな、鳥の羽。それをそっと手に取り、ベッドの端に腰を下ろす。

 時計を見ると、まだまだ深夜という時間であった。予想通り、二、三時間しか経っていないようだ。


「帰って来ちゃった」


 言葉にすると、途端に言い様のない切なさが胸に込み上げた。どうしようもなくなって、そのままベッドに倒れ込む。

 すると。


『よく頑張ったな。……仕方ないから、オレが誉めてやるよ』


「!」


 突然、何度も繰り返し聞いた台詞が耳元で再生された。

 小夜は驚いて起き上がり、キョロキョロと辺りを見回す。そして、気付いた。


「スマホ……」


 あの乙女ゲームアプリを開いたままのスマホが、ベッドの上に転がっていた。ルキアノスが朝昼晩と挨拶をしてくれる設定にしたトップ画面だ。

 2Dイラストのルキアノスが格好よく笑っている。

 小夜も泣き笑いのように笑った。


「さすがです、ルキアノス様」



第二章もどうにか終わらせることができました。

粗はありすぎる程ありましたので、数えるのは諦めました(泣)

ルキアノスが大変可哀想でしたが、致し方ありません……。

ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました!


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