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大変な美味

「どうぞゆっくりしていって下さいね」


 アンドレウ男爵が退室したあと、少しだけ不安げな表情を見せたのを刹那に隠して、クラーラ夫人は穏やかに微笑んだ。ルキアノスとセシリィにもケーキが行き渡ったのを確認して、改めてお茶を淹れてくれる。


(いきなり第二王子が自分に用があるっていうんだもんね。そりゃ不安にもなるか)


 それでも夫を追い返したのは、娘もいる安心感か、それとも夫に火の粉がかからないようにだろうか。

 それはともかくとして、小夜は真っ先に最も重要なことを伝えた。


「このケーキ、とっっても美味しいです!」


「まぁ……。お口に合ったようで、安心しました」


 花が綻ぶようにとは、こういうことを言うのだろう。三十代半ばのはずのクラーラ夫人は、まるで無垢な少女のように微笑んだ。紅も入れていないのに桃色に染まる頬がまた愛らしい。


(誰だ。似てるなんて言ったやつ)


 もっしゃもっしゃと次の一口を頬張りながら、小夜は虚しい感想を浮かべた。目の前に座る女性は絹糸のように滑らかな白髪に、艶々とした石榴色をした瞳を持つ、愛嬌のある美人であった。セシリィのような「とびきりの」というわけではないが、その所作の一つ一つがどことなく微笑ましい。


(でも、アグノスやラリアーとはそんなに似てないかも?)


 となると、とぼとぼ感がすごかった男爵がとびきりの美形だったということになるが、残念さが強くて顔の造形への印象は薄い。


(お店で接客されたら、ロマンスグレーのおじ様にときめいたのかもだけど)


 恐らくそんな機会は二度と訪れはしないであろう。


「よろしければお代わりも召し上がって?」


「いただきます」


 既に半分以上食している小夜に、クラーラ夫人が嬉しそうにすすめてくれる。小夜はまんまと餌付けされた。


「小夜……」


「少しは遠慮なさいな」


「ご、ごめん。大変な美味なものだから」


 左右から卑しさを責められた。肩身が現実的に狭い。

 そんな三人の様子を、クラーラ夫人は微笑まさそうに眺めた。


「そう言って頂けると、お世辞でもとても嬉しいですわ。子供たちは食べるだけで、感想なんて久しく聞いていませんもの」


「えぇ? たまには言ってるわ」


 完食したラリアーがすかさず反論する。肩を竦めるクラーラ夫人の仕草に、「たま」の頻度が伺い知れた。

 そして小夜はというと。


「お世辞だなんてとんでもない! 気合いを入れて作って頂いた上にこんなに美味しいなら、誉めないなんて最早罪です」


 拳を握って真顔で力説した。


「悪かったな……」


「けれど一理あるわね。――とても美味しいですわ」


 それぞれ礼儀として一口は食べている二人から、静かな文句が届く。セシリィは頷きながらもう一口、味わうようにしてからそう言った。クラーラ夫人がほくほくと頬に手を当てる。


「素敵なお嬢さんねぇ」


「そうなんです。セシリィは理解があって思いやりがあって根は優しいんです」


 クラーラ夫人の言葉に、小夜は自慢げに応えた。その後で、今のがラリアーに向けられたものだと、クラーラ夫人の少し大きくなった目を見て気付く。


「小夜……」


「ほぼ反射で……」


 今度はセシリィに名前を呼ばれた。しゃしゃり出すぎたと落ち込むが、横目で見たセシリィの頬がほんのり赤かったのですぐに復活した。


「それで、素敵なお嬢様方は何をお知りになりたいのかしら?」


「先日私たちが会った人物が、夫人のご存知の人物と同じかを教えていただきたいのです」


「勿論ですわ」


 くすくすと笑みをこぼすクラーラ夫人に、ルキアノスが居住まいを正して告げる。大様とした受け答えに、けれどルキアノスは「その前に」と会話を区切った。


「妹御はいらっしゃいますか? いるなら名前を教えていただきたいのですが」


「!」


 その瞬間、終始穏やかだったクラーラ夫人から笑みが消えた。短い沈黙を挟んで、白く輝く睫毛を伏せる。


「それは……出来ません」


「お母様!」


 力なく首を横に振った母に、ラリアーが小さく声を上げる。だが顔を上げたクラーラ夫人の瞳は頑なであった。その瞳を真っ直ぐに見つめて、ルキアノスが重ねて問う。


「お二人の名前が揃うと、出生が分かるからですか?」


「…………」


 まるで尋問のような語調に、クラーラ夫人が困ったように微笑む。その反応は是とも言えたが、やはり首を横に振るばかりであった。

 その沈黙があまりに居たたまれなくて、小夜は隣に座った美声の主を若干引き気味に詰った。


「ルキアノス様、いじわる……」


「底意地が悪いわね」


 反対側に座ったセシリィがすかさず同調する。瞬殺でルキアノスの旗色が悪くなった。


(そういえば、男爵がいなくなったから、部屋に男性はルキアノス様一人だ)


 女四人から受ける凝視はさすがに居心地が悪いらしい。ルキアノスが溜息一つ、諦めて手の内を見せた。


「先日、ラウラと名乗る女性と会ったんです」


「えっ!?」


「その時、こちらの……小夜を、姉と見間違えたので」


 名前を出され、ぺこりと頭を下げる。そして上げた先で、驚いた顔のクラーラ夫人と目が合った。居たたまれなくなった。


「す、すいませんっ。似てないって分かってるんですけど、人が多い中だったし、パッと見だったので」


「……そう。それで、あなたなのね」


 穴があったら入りたい勢いで両手を振って否定していると、ぼそりとそう呟く声が聞こえた。柘榴色の瞳が、少しだけ潤んで小夜を見つめる。


「どこでお会いになられたのですか?」


「それは……、アゴーラ広場で」


 ルキアノスに目線で了解を得てから、最初に会った場所を答える。セシリィの話でも、彼女はあそこで情報収集を兼ねて大道芸を披露することを日課にしていたという。

 回答を得られたことに勢いを得て、クラーラ夫人が車椅子の上から身を乗り出した。


「何を……何をしていましたか!?」


「確か、四技師……風舞師アイセをしていました。……元気でしたよ」


「そう……そう……。あの子は風の精霊に愛されていたものね」


 十九年前を懐かしむように、クラーラ夫人が何度も頷く。その言葉で小夜の中で想起される彼女は、確かに風に愛されたと目で分かる程軽やかに風と戯れていた。そして。


「イエルクよりも、ずっと上手だったわ」


「……ッ」


 寂しげな苦笑が続いて、小夜は返す言葉を見失った。


(声が、優しい)


 それは思い込みか、多少の願望のせいという気もしたが、小夜にはそう聞こえた。だがそれ以上を話すことは、昨夜話し合った結果、しないと決めた。イエルクとラウラが行おうとしたことも、現在と今後の処遇も。二人の、クラーラへの想いについても。


「二人には、会えるのでしょうか?」


 クラーラ夫人が、先程の勢いを少しだけ弱めて窺う。小夜はますます言葉に詰まった。


「それが……」


「彼らには現在、王家から内密の任務をお願いしている所です」


「そう、ですか……」


 目を泳がせる小夜に代わって、ルキアノスが事前に決めていたことを伝える。クラーラ夫人は、どこか覚悟していたように短く頷いた。


(もしかして……)


 気付いてしまったのだろうかと、小夜は眉尻を下げる。だが少し考えれば、分かることかもしれない。ヒュベル王家の姫という身元が割れ、妹に会ったというだけでわざわざ手紙を寄越して訪問し、だというのに本人は連れていない。会わせられない事情がある、かつ王族に関わるような重大事の渦中にいるかもしれない、と深読みすることは、無理からぬことだろう。


(ただ喜ぶだけの再会が、出来ればいいのに)


 事情を話せば、それは叶わない。ともすればクラーラ夫人の自由まで奪うことになりかねない。

 ヒュベル王家の第一王女クラーラ姫は死んだ。その方が――史実そのままにした方が、アンドレウ一家のためにもいいはずだ。

 クラーラ夫人はこのやり取りで全てを承知したかのように、次のことを聞いた。


「……生きて、帰ってきますか?」


 その声は、努めて平静を装いながらも、微かな震えを抑えきれてはいなかった。膝の上に置かれた指先が、怯えるように握り込まれる。


(そうだよね。その疑念もまた当然、なんだ)


 王族に関わった何某なにがしかで、しかも会えないとなると、殺された、又は処刑されると考えるのも致し方のないことかもしれない。その不安が、彼女の顔をゆっくりと蒼褪めさせた。


「それは保証します。必ず」


 その不安を払拭するように、ルキアノスが強く、強くそう応じた。その声は、小夜でなくともきっと胸を打つほどに真摯で、そして希望が在った。

 いつになるか分からなくても、いつか必ず、生きて会える日が来ると。


「……では、待ちます。その日を、いつまでも」


 クラーラ夫人が、今にも泣きそうな顔をどうにか保ってそう答える。ここには公人はいないとはしても、表面上はただの事務的な報告だ。泣き崩れるような場面ではない。

 泣いてはならないと、必死で堪えているのが痛い程分かった。

 小夜は堪らずテーブルを回り込んで、車椅子の足下に膝をついてその両手を取っていた。


「ケーキ、美味しかったです。とっても、とっても」


 そしてそう言った。嘘でも世辞でもないことが伝わるように、見上げる瞳にぐっと力を込めて。

 クラーラ夫人は、脈絡もない話題の転換に、当然というか戸惑った。


「え? えぇ、ありがとう……?」


 少し充血した瞳をしばたたいて、ひとまずの感謝を述べる。自分の感情を制御するのに手一杯だろうに、それでもきちんとそう言えるクラーラ夫人は、やはり綺麗な女性だと、小夜は思った。

 きっと二人とも記憶力が低下していたのだ。子供の頃の記憶は美化されるというが、反対の現象が起きたのだ。でなければ、小夜と間違えるなどあり得ない。あるいは少しでも似た面影の者を見付けて、縋りたい程の思いがそうさせたのかもしれない。

 二人はずっと、クラーラという少女のために生きてきたから。

 だから、小夜は少しでも二人の想いが報われて欲しかった。その為に、出来るかどうかは分からないが、小夜はこう続けた。

 

「とっても美味しかったので、お土産に頂いてもいいですか? 私、欲張りなので、二切れ」


「!」


 瞬間、クラーラ夫人の双眸が大きく見開かれた。そして次には、ゆるゆると微笑みの形に変わる。


「……えぇ、是非」


 雫は、一粒落ちたきりであった。



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