清々しいほどさっぱり
思いがけず箸休めの回になりました……。
寮生会でのやり取りを全員での共通認識にし直した後、トゥレラとクリスティネとフラルギロスは、レナータの手紙を届けるためにコンスタン家へ向かうこととなった。今も母親が気を揉んで待っているはずだ。夜分の訪問になるだろうが、早い方がいい。
残ったアグノスは、今日相談に来た生徒へ、改めて相談し直したいことを伝えるために手紙を書くという。その前に少し時間を貰って、ルキアノスはアンドレウ兄妹に、男爵家を訪ねることの了承を得たいと話した。
「母に?」
「あぁ。アンドレウ男爵夫人の旧知に会ったかもしれないんだ。それを直接話して確かめたい」
ルキアノスは、イエルクとラウラのことは伏せて、そう説明した。夫人本人にもどこまで説明するかは分からないが、どんな形であれ彼らとの面会が叶うといいと、小夜は思った。
「小夜さんも行くのか?」
「え? いや、私は」
「勿論。でなければ説明の手間が増えるので」
行く必要はないでしょ、と言おうとしたのだが、先にルキアノスにそう答えられてしまった。どうやら決定事項らしい。
「では、俺も……」
「お兄様は結構ですわ。あたしが小夜様をお連れします」
アグノスの言葉を遮って、ラリアーが胸を張って小夜の腕に手を絡ませる。確かに、ラリアーが約束を取り付けて先導してくれるならば問題はないだろう。
(でも、ここで腕を取られるべきはルキアノス様なんじゃ?)
何せラリアーは、振りとはいえルキアノスの婚約者に名乗り出たのだ。見えない誘拐犯に対しての工作だったため、犯人がいないと分かった今、その話は立ち消えにはなるのだろうが、それでも一度は頬を染めて打ち明けた相手だ。今後も何もないという保証はないだろう。
(嬉しいような、単純には喜べないような……)
うーんうーんと唸る。心のもやもやが中々晴れない。
などと一人百面相をしていると、アグノスの表情もまたなぜか険しかった。
「ラリアー……。お前、父上を上手くいなせないだろう」
「平気ですわ。お父様の一番忙しい時間に伺うから」
「説明も下手だ」
「それはルキアノス様がなさいます」
「あれ、仲悪かったっけ?」
ラリアーは笑顔だが、アグノスの顔はぎこちない。そう言えば先日ここで会った時も喧嘩していたなと思い出した小夜は、何気なくそう言っていた。
「いいえ全然」
ラリアーが満面の笑みでそう返した。アグノスの笑顔は若干引きつっている。
「ではそういうことで!」
ラリアーが強引にそう纏めた。そういうことになった。
◆
授業を終えて寮生会に集まったルキアノスとセシリィ、それに小夜は、ラリアーと合流したあと、ヨルゴスの操る馬車に乗ってアンドレウ男爵邸を訪れた。
アンドレウ男爵の邸宅は、広場から少し離れた閑静な住宅街の中にあった。それでも工房からも店からもなるべく近い場所を選んだとかで、双方とも馬車を使わなくても行き来できる距離にある。間には勿論段差も階段もない。
「お待たせしてしまって申し訳ありません。ようこそおいでくださいました」
口髭を蓄えた紳士に車椅子を押されて女性が現れたのは、応接室に通されてほどなくであった。
手紙には夫人だけで構わないことと、ごくごく私的な訪問のため堅苦しいことは遠慮願う旨を記したそうだが、それでも第二王子の訪問ということで、男爵も時間をこじ開けての同席となった。
「父のイオエル・アンドレウ男爵と、母のクラーラです」
両者の間に座ったラリアーが、少しだけ取り澄ました様子で両親を紹介する。兄にこの役を奪われずに済んで嬉しそうだ。
ルキアノスはその場に立ち上がり、改めて謝罪を伝える。隣に座ったセシリィと小夜もそれに倣う。
「忙しい中、急な訪問となり大変申し訳ありません」
「いいえ。こちらこそ拝顔の機を得ることができ、恐悦至極の思いです」
「叔父のイリニスティス殿下からも、くれぐれもよろしくと承っています」
「そうですか。また近々新作の試作品が仕上がるので、でき次第ご連絡さしあげますとお伝えください」
「確かに伝えます」
テーブル越しに二人が握手を交わし、着座する。
にこにこと応じるアンドレウ男爵は細身で、同年代のはずのクィントゥス侯爵と違い人好きのする気さくさがあった。白髪混じりの小さな口髭が頑張って貫禄を捻り出そうとしているように見えて、余計に好感が持てる。腰が低いというのでもない人当たりの良さは、なるほど客商売に慣れていると感じさせた。
(それも高級店のヤツね)
そんな夫のやり取りの間に、クラーラ夫人は侍女に何やら言付けていた。全員が座って社交辞令と前置きを済ませた頃、侍女が運んできた焼き菓子を受け取った姿を見て、これを手配してくれたのだと知る。
(甘い良い匂い。パウンドケーキみたいなのかな?)
ケーキかと思ったが形は丸ではなく長方形で、端には渦巻きのような線が見える。
ラリアーが椅子の上で可愛らしく跳ねた。
「シュトルーデルだわ! さすがお母様!」
「あなたが素敵な女性を紹介してくれるとあったから、気合いを入れて作ったのよ」
娘の喜びように、クラーラ夫人が嬉しそうに目を細める。どうやら、娘が友人を連れてくることが何より嬉しかったようだ。
(セシリィを自慢したかったのかな?)
気持ちはとっても分かる。小夜も、セシリィが同じ世界の住人なら、鼻高々で母に自慢したことだろう。鼻で笑われるのは目に見えているが。
「クラーラ、それは僕がやるよ」
ルキアノスと当たり障りのない会話の最中だったアンドレウ男爵が、ケーキを自ら切り分けようとしていた妻を見咎めて、会話をぶった切って慌てて止めに入った。
ルキアノスが物言いたげな目で屋敷の主を見ていたが、多分小夜がフォローすると余計に怒られそうなので、そっとしておいた。
クラーラ夫人はというと、そんな夫を数秒黙って見上げてから、にっこりとその手を退けた。
「あらあなた、ケーキを切り分けるくらい平気ですわ」
「でも刃物は危ない。もし怪我をしたら」
「平時の世に刃物を扱うのは料理人と主婦です。わたくしは今朝も使いましたわ」
「何てことだ! 言ってくれれば朝から仕事を休んだのに!」
「まぁ、旦那様。務めを怠る者と過保護な者と引き際を知らない者はわたくし嫌いですわ」
「トリプル!?」
ガッデム! と言わんばかりに打ちのめされているアンドレウ男爵に、とどめとばかりの酷評が突き刺さった。あまりに手慣れた言いように、思わず声が出た小夜である。勿論ルキアノスとセシリィからは、訪問宅では常識人を装えという視線で睨まれた。
(出発前に釘刺されたしね……)
相手は三十代半ばと聞いたから、突っ込むことなんて皆無だろうと軽く大丈夫と請け負っていたのだ。愛の力で車椅子を発展させた男の愛について、軽く考えてはいけなかった。
しかも娘のラリアーは一切関知することなく、母からナイフを奪ってさっさとケーキを切り分けている。どうやらいつものことらしい。
「はい、小夜様。ケーキをどうぞ」
取り皿に分けられたケーキの断面は、やはり渦を巻いていた。生地の上に具を乗せて、巻き寿司のように巻き込んでから焼いたもののようだ。断面には果物やナッツや、チーズも見える。
(美味しそう)
自然と口許が緩む。だがいただきますと噛りつくには、夫婦のやり取りが気になり過ぎた。
「ご両親、大丈夫? この訪問をきっかけに夫婦喧嘩になったりとか……」
「まぁ。喧嘩になんてなりませんわ。父が母に勝てたことなどありませんから」
にこにこと無情な現実を突き付けられた。不意にクィントゥス侯爵の嘆きが脳裏を豪速で駆け抜けていって、小夜はハンカチで涙を拭いたくなった。
(あ、あとでメラニアさんにハンカチ返さなくちゃ)
お金も、幾らか使ってしまったから、その謝罪と感謝も伝えねばなるまい。
「分かった……僕が悪かったよ……君の意思を尊重する……僕はいつだって紳士だからね……!」
「分かっていただけて嬉しいわ、あなた」
その向かいでは、どうやらひとまずの決着を見たらしい男爵夫妻が悲喜こもごもで手を取り合っていた。温度差がすごい。
「ではお仕事頑張っていらしてね」
「うぅ……僕の天使よ……何かあったらすぐに僕を呼ぶんだよ!」
「嫌ですわ」
母は強しを通り越して清々しいほどさっぱりしていた。笑顔なのがまた良い。アンドレウ男爵の哀れを催す背中が、力ない退室の挨拶とともにとぼとぼと扉の向こうに消える。
「母のためにより良い車椅子を作る上で、忌憚のない意見を聞きたかったという経緯があって、そのせいで母は今も父に辛辣らしいんです」
早速ケーキを一口含みながら、ラリアーがこっそり教えてくれる。どうやら兄からの受け売りらしい。なんとも微笑ましい家族であった。




