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変な理論

 全員の目が小夜を見ていた。エヴィエニスは嫌悪感をあらわに、クレオンは嬉しそうに、ルキアノスとセシリィはまたアホがいるというように。


(そ、壮観……!)


 そのあまりの熱量に、慣れないことをしてしまったと早くも後悔が沸き上がる。だが、手は下げても、意見を取り下げる気はなかった。


「小夜? 何故あなたが謝るのよ?」


 全員の疑問を代表するように、セシリィが小声で問いかける。美形比率にビビっていた小夜は、ハッと我に帰って「だって」と言った。


「ファニのお父さんがしたことだけど、ファニは何も知らなかったし。それにイリニスティス殿下も、無関係どころかはっきり言って被害者でしょ? なのに謝るなら、私も無関係だけど謝るよ」


「……変な理論」


「すいませんね……」


 真顔で扱き下ろされた。だがすぐに目尻が緩む。


「でも、面白いわ。わたくしも謝るわ」


「セシリィも? 何で?」


「わたくしの父も、あの戦には参戦していたもの。それがわたくしの罪になることはないけれど、潔いことには価値があるわ」


「変な理論……」


 お互い様であった。


「小夜さん……セシリィ様……」


 それでも、ファニには感じるものがあったらしい。ラピスラズリの瞳を潤ませて二人を見つめている。

 その背後のエヴィエニスの青海色の瞳は殺人光線を放っているようにしか見えなかったが、小夜は今ほど、この件では鈍感になると決めた。


「……そんな軽い気持ちでされる謝罪が、慰めになるとでも」


「では俺も謝ろう! 理由は妹に同じだ!」


 イエルクのくらい眼差しを闊達に遮ったのは、無論というかクレオンであった。

 扉の向こうで待っていたツァニスもまた、左手を右手で包む礼拝を取り、イエルクに礼を捧げる。


「神はおっしゃいました。罪を告白する者には、その罪を赦し、すべての不義から私たちを浄めて下さると。私も謝罪します。養父のラコン司祭もまた、あの戦に加わっていたので」


「ならばオレも。父である国王陛下に代わり、謝罪申し上げる」


 そして目の前に立つルキアノスもまた、これに同調した。

 これを、イエルクは両目をこれ以上ない程見開き、口を引き結んで直立し。ラウラは眉尻を下げて顔をくしゃくしゃにして、泣く寸前の子供のように聞いていた。

 まるで怒られているようだと、小夜はそんな二人を見て変な感慨を抱く。

 しかしこんな場合でも、我が道を驀進ばくしんする者はいた。


「言っとくけど、おれは謝らないよ」


 ツァニスが出ていくまでレヴァンの治療をするつもりはないらしい、イデオフィーアである。

 イエルクがぐっと縄を伸ばして、子供にしか見えないイデオフィーアを睨む。


「……何だと?」


「おれはおれの信念の下に戦った。おれはこの手であんたの民族を殺したけど、罪はあっても後悔はない」


「……よくも言ったな」


「あんたたちだって、この国の人間を殺したでしょ。ヒュベル王の隣で最後まで戦った男なんて、おれが行くまでに屍の山を築いてた。その男は謝罪するの?」


「そ――」


「……おじ様だわ」


 イエルクが何かを言う前に、震える声でそう零したのはラウラであった。


「シェーファーおじ様は、父とともにあの場に残ったもの。そうでしょう? イエルク兄様」


「父上が……?」


 束の間離れたイエルクの腕に縋りつきながら、ラウラがついに涙を零す。それを見つめ返すイエルクの瞳もまた、怒りとはまた違う感情に翻弄されるように震えていた。

 王とともに残った側近がどんな人間で、どんな最期を迎えたかは、想像するしかない。二人だけが見た、二人しか知らない過去。

 それはそうと。


(いい話……いい話なんだろうけど)


 小夜には、今の会話でどうしても気になった点があった。


(十四歳にしか見えないイデオフィーア先生が十九年前の戦争に参加していた件について疑問が爆発したのは、私だけなのかな?)


 誰も指摘しない。敵方二人でさえも。「永遠の十四歳」というキャッチフレーズは乙女ゲームの中の解説だからだろうか。

 などと小夜がどうでもいいことに躓いている間にも、話は変わらず深刻に進む。


「俺も謝罪はしない」


 そう言ったのは、ファニを抱きしめる手を全く緩めないエヴィエニスであった。一瞬見せた動揺を捻じ伏せて、イエルクがエヴィエニスを睨む。


「父が浴びた血は、この国と、愛する者のためだった。謝るようなことは何一つない」


「……悪魔の子供め」


「反論はしない」


「エヴィ……」


 正統の王族の血を浴びて玉座についたと言われる今上のテレイオス王。その子供として、エヴィエニスもまた正しき血統に値しないと散々陰口を叩かれてきた。エヴィエニスが持つ劣等感はルキアノスとも種類が違い、そのせいでエヴィエニスの使命感は人一倍強い。

 そんな内面を、ファニは本人から聞いたのか、気付いてしまったのか。どちらにしろ、その呼びかけには自責とも悲哀とも言えない複雑に凝った感情が込められていた。

 互いに寄り添い合いながら、両者の間に深い沈黙が下りる。見守る誰もが口を閉ざした。彼らの心情に興味のない唯一人を除いては。


「大体、あんたの言う慰めというのは誰に対してなの?」


 イデオフィーアである。レヴァンの横で胡坐を掻き、イエルクを半眼で睨んでいる。


「自己満足の癇癪なら、面倒くさいからやめてほしいんだけど」


 実に鬱陶しいとばかりにひらひらと手を振る。早く連れていけと言外に意思表示する。

 再びイエルクが目を剥き、口を開く。その前に、低く美しい声がそれを非難した。


「フィイア先生。それこそあなたの自己満足でしかない」


 ルキアノスである。兄の氷のように燃える意思に、彼の鉄灰色の瞳もまた複雑な色を宿していたことに、小夜は気付いていた。あれは怒っている。怒っているが。


「……へぇ。言えてるね」


 それを受けて口の片端を持ち上げるイデオフィーアもまた、少なからず怒っていた。好戦的とも挑発的とも言える瞳と、丁寧なゆっくりとした口調の揺らぎが芯に刺さる。


(こ、この二人の会話が再び目の前で繰り広げられるなんて! 場違いって分かってるけど騒ぐ場面じゃないって分かってるけどこの左右からの美声の応酬に一体どうやって平常心を保って我慢していればいいというのだ製作よ! 神よ! ボイスレコーダーをお恵み給え!」


「小夜! 心の声が漏れていてよ!」


 バシィッと叩かれた。セシリィに。

 ハッと正気に戻る。ルキアノスが冷たい目で小夜を見ていた。イデオフィーアは円らな瞳で興味深げに。そしてツァニスは。


「神へのお祈りですか? では私も共に祈ります」


「そうだったの? 突然だからびっくりしたよ。僕も祈ろう」


「叔父上までやめてください! 事態がますます混乱する!」


 改めて神への言葉を紡ぐツァニスに、イリニスティスも笑顔で瞼を閉じる。そしてルキアノスは愕然としてその二人の真面目な年長者を止めにかかった。


「小夜!」


「ご、ごめん。心の中だけで叫んでたつもりだったんだけど」


「そもそも叫ばないの!」


 再びセシリィに怒られた。見事な自業自得に非常に肩身が狭い。そして。


「……な、なんなんだ、この女は」


 衝撃を受けた人物が他にもいた。這いつくばって天(井)を振り仰いでいた小夜をわなわなする手で指さしている、イエルクである。ラウラも柘榴色の瞳を丸くしている。

 そんな二人に、セシリィはまるで保護責任を果たさんとでも言うべく、溜息とともにこう言った。


「この女は小夜で、あなたの求める人とは別人で、奇跡なんか起きていないということよ」


「何だか本当にすいません……」


 小夜はそのまま土下座した。


「…………えっと、これは一体どういう状況でしょう?」


 そこに、新たに愛らしい声が入ってきた。


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