罪は暴かれる
「監視、ですか?」
意図が分からず、小夜は声をひそめた。ヨルゴスは既にラリアーとともに退室し、ルキアノスは隣室のアンナと話しているが、声が聞こえない距離ではない。
セシリィが不利になるようなことは、聞かれたくなかった。
「あぁ。正確には、どこかへ行こうとしたら、同行か、無理なら尾行をしてほしいんだが」
「無理です」
即答した。クレオンがきょとん、と目を丸くする。
(この人でも予想外のことはあるんだなぁ)
などと感心しながら、小夜は自分の無能を説明するために口を開いた。
「セシリィが許せばついていくことは出来そうですが、セシリィが許さないなら、それは不可能です。尾行はしたことがないのでもっと無理です」
小夜はこの世界にいる間はセシリィを大事にすると決めているから、セシリィに危険が迫るというのなら一も二もなく頑張るが、そうでないなら多分無理だ。どんな説得をしても、一度決意したセシリィの意思を覆せるとは思っていない。
尾行に至っては、対象の利き手の反対側を歩くとか、歩調を合わせて足音を消すなどという知識はサブカルチャーの中で知り得ていても、幸いにして(今は残念にして)実践してみたことはない。
つまりすぐバレる。バレたら怒られる。
(年下に怒られるのが嫌っていうと、ちょっとアレだけど……)
という小夜の言い分を聞いて何を考えたのか。
「……なるほど!」
クレオンは破顔一笑、ぽんと手を打った。声の大きさに、ルキアノスとアンナも振り向いたほどだ。
「では余計に貴姉に頼みたい! セシリィを見守っていてくれないか!」
「はぁ、それでいいなら」
監視も見守るも行為としては結局一緒だが、会話としての立ち位置はまるで違ってくる。だがクレオンが何を懸念しているのかを聞く前に、勢いに呑まれて首肯してしまった。
「クレオン様ってなんか……」
などと、何となく考えていたせいか、口が緩んでいたらしい。
「はぐらかすのが上手いですよね」
ぽろりと、一言余計な感想が零れていた。しまったと思いながら、濃い碧眼を見上げること数秒。
にんまりと笑われた。そして。
「この件が終わったら、またご挨拶に参上する」
なぜか、そんなことを言われた。相変わらず、脈絡がなくて意図が読めない。とりあえず、今も笑顔ではぐらかされている。そして特に追及する理由を持たない小夜には、こう言う他ない。
「はぁ、ではまた」
するとそれで満足したのか、クレオンは今度こそ手を振って部屋を出ていった。だが何に満足したのかはさっぱり分からない。
(とりあえず、全然年下には見えないわ)
去った嵐に息を吐きながらも、念のためセシリィを見ようかと寝室への扉に手をかける。
「何だ、今のは」
「ひやぁ!」
突然背後から掛けられた声に小夜は飛び上がった。びたんっと壁に張り付く。
「その反応は……」
ルキアノスが眉間に皺を刻んで小夜を見下ろしていた。しまったと思ってももう遅い。小夜は赤くなった耳を押さえながら視線を泳がせる。
「す、すいません。最早原始反射レベルで……」
「赤ん坊か」
視線が冷たい。気分は青褪めたいくらいだが、凄味のある美声は背筋にくるので、頬は勝手に赤くなる。
(いや、ただの羞恥心かも)
ルキアノスが関わると途端にポンコツになる小夜である。次の言葉が捻り出せないまま俯いていると、
「……食事にしよう」
「え?」
ルキアノスもまた会話に困ったのか、そんなことを言われた。確かに、色々と話している間に午前の授業は終わりを告げ、そろそろ昼食の時間が近付いている。
だが今はそんな時ではない、と断ろうとした途端。
ぐぅぅぅ~。
「…………」
「……いただきます」
耳と同様、胃袋も正直であった。
◆
手紙を書き終えた侍女二人が用意してくれた食事を無言で食べ終えた小夜は、軽食を持ってセシリィの部屋に戻った。お茶とともに枕元の傍机に置き、今後のことを考える。
(セシリィが戻ったけど、これってゲームの進行からはもう離れてるのかな?)
ファニの立ち位置も変わり、セシリィが誘拐されるというイレギュラーも起こった。そもそもここは現実の世界だし、ゲームと関連付けることこそこじつけな気もする。この後もゲームの通りに進む可能性は限りなく低い。
それにゲーム通りに進んだとしても、ゲームで悪役令嬢が繋がっていた黒幕は下町のごろつきのような連中だし、そんな者たちに死の神タナトスに祈るような魔法士がいるとも思えない。ゲームの知識に期待は出来そうにない。
(それに、寮生会のことも……)
乙女ゲームで平民側の攻略対象を選んだ場合、ヒロインは誘拐事件に深く関わっていく。その中で最もキーパーソンになるのがトゥレラだとは知っているが、どう関わっているかはやはり分からない。
それが分かればニコスやクレオンに助言も出来るのだが。
(相変わらず、役立たずだなぁ)
がっくりと肩を落とす。セシリィが期待していたであろうことに、何一つ応えられない。
加えて、ルキアノスを煩わせ、怒らせた。
(何やってんだか……)
脱力感にうーうー唸る。と、セシリィもまた微かに呻くような声が聞こえた気がした。
(やば、煩くしすぎた……!)
慌てて口を閉じるが、セシリィはどこか寝苦しそうにその白貌を歪める。その唇が、小さく音を紡ぐ。
「ぅ…………」
「え?」
その音は、ファニ、と聞こえた。
◆
「ニコラウ司教様。また紙が」
ハギオン大神殿のニコラウ副神殿長の下に、一枚の紙切れが届けられた。
息を切らして届けに来た壮年の司祭から、渋面で受け取る。また、と言われた時点で、内容はおおよそ推察できていた。
「下らん脅しだ」
文面を一瞥しただけで、丸めて角灯に放り込む。粗悪な紙は、オレンジの光を一瞬だけ強く放ってすぐに消える。
「警備を増やせ。今度こそこの下劣な輩を捕まえろ」
「はっ」
短く頷いて、司祭が戻っていく。彼はニコラウが宮廷内の宗教施設や祭事を取り仕切る聖職室の長を務めていた時からの部下で、もう二十年以上になる。短い言葉でも、言外にある意図を十分に汲み取ってくれる。
ニコラウは再び収蔵庫の資料整理に取りかかった。
王都のアゴーラ広場に面して建つ大神殿は、その蔵書も膨大だ。一階の図書室の他に地下にも収蔵庫があり、地下には特に古文書や稀覯本、初版本も多い。その大半は司祭以上しか閲覧を許されておらず、今この空間にいるのもニコラウのみであった。
「全く、何故私がこんなことを……」
六十歳に近付き、年々脂肪と皺が溜まっていく腕と腹を揺らしながら、ニコラウがぶつくさと文句を零す。
探すのは薄い本だ。手元に置くよりも出入りの少ない地下の鍵付き金庫室に置く方が安全と考えていたが、あの紙のせいでどうにも据わりが悪い。
本来ならこんな雑用など部下に丸投げするところだが、今回の件ばかりは任せる相手を選ぶのもまた面倒なことであった。
だが面倒はそれで終わらなかった。
「ニコラウ司教様」
先程出て行ったばかりの司祭が、再び声を潜めて現れた。
「テオドロ。しつこいぞ」
「も、申し訳ありません。ですがたった今、第二王子から捜査の協力依頼が来まして」
予想外の内容に、ニコラウは本を探していた手を止めて振り返った。
「……何だと? 王太子ではないのか?」
「えぇ、そのようです」
「こんな時に、また面倒な所から……」
タ・エーティカ王立専学校の生徒が数ヵ月前から行方不明となっている事件は、神殿でも周知されている。その捜索にどこの組織も非協力的であったが、侯爵家の令嬢が被害にあったことで、王子二人も捜査に乗り出したとの報告であった。
「人探しなど、勝手にやればいいものを」
子供の一人や二人が消えても、家からの献金はなくなったりしない。ニコラウにとっては事件ともいえないものだった。だが王子が出てきたとなれば、それ相応の対応をしなければ後が面倒だ。
「ラコン司祭様にお願いしますか?」
ニコラウの素直な反応に、テオドロが気を利かせてもう一人の副神殿長の名前を上げる。だがニコラウの顔はますます苦いものになった。
「あいつか……」
ラコンはニコラウよりも幾つか年上だが、若い頃には神殿と聖職者を警護する聖護士隊の長を務めたこともあり、いまだに矍鑠としている。元々小さかった背は更に縮み、若い頃の刺も嘘のように抜け落ちているが、ニコラウは今でもあの男が苦手であった。
「いや、私が出よう。他の者にはまだ言うな」
「分かりました。では司祭様のお部屋の近くに通します」
「あぁ、頼む」
今さら協力を仰ぐとは、何の思惑があるのか。様々なことを思い描いては繋いでいくが、脳裏にちらつくのはやはり、先ほど焼き捨てた紙の一文であった。
『聖泉の乙女が消える時、お前たちの罪は暴かれる』
殴り書きのような、汚い字。インクが赤黒いのは、安物か、血を混ぜたのか。
「ふん。罪などない」
再び一人になった空間で、ニコラウは静かに吐き捨てた。
杞憂ならば良いが、時期が悪い。方策を決めるのは、まずは第二王子の用件を聞いてからだ。




