社会人の必須技能
「覚えていることを何でもいいから話してくれ」
それまでドアの前で兄妹の面倒臭い再会を傍観していたルキアノスが、そう言いながら小夜とクレオンの横に並んだ。
「えぇ、勿論話しますわ。でも、少し、お待ちになって……」
セシリィも寝台の上からそれを見上げて頷くが、その表情は徐々に曇りだした。眉間に皺を寄せ、視線を泳がせてこめかみに指を当てる。まるで思い出すことに苦心しているような。
「セシリィ。覚えていないのか? それとも……言えないことでもあるのか」
問いながら、ルキアノスの瞳がすぅと細くなる。それを見た瞬間、小夜は握りしめていた手をそっと寝台の上に戻して立ち上がっていた。
「それは、よくありません、ルキアノス様」
セシリィを背中で隠すようにしながら、ルキアノスに向き直る。途端、クレオンが乱入する前の諍いを思い出したように、ルキアノスの顔が険しく曇った。
小夜はそれを目の当たりにして、なんだか無性に悲しくなった。
「セシリィは、今目が覚めたばかりなんです。行方が分からなかった間、思い出すのも恐ろしいような目に遭ったかもしれません。それなのになんの斟酌も考慮もなく問い質すのは……よくありません」
ルキアノスがそう問う理由は分かる。親切心だけで探していたわけではないのだから。それでも、セシリィのことを労ってほしかった。そう思うのは、そのことをルキアノスにも求めるのは、小夜の身勝手であろうか。
案の定、ルキアノスは表情を険しくするばかりであった。
「それはお前の主観だ。被害者は他にまだ三人もいるんだぞ。犯人も捕まっていない。セシリィの具合を慮っている間に、犯人を取り逃がすと考えないのか」
「でも、それはさっきニコスさんに手配を頼んだじゃないですか」
「情報が多ければ危険も時間も圧倒的に減らせる」
「それは……そうですが……」
「小夜、いいのよ」
言い淀む小夜を遮って、セシリィの凛とした声が上がる。三者三様の視線が、ベッドに降り注いだ。
「でも……」
「記憶が、少し鮮明でないから、自分でも戸惑っただけよ。疚しいことは何もないもの。……前にも言ったでしょう?」
セシリィが、明らかに目覚めの時よりも悪くなった顔色で口許を上げる。それは、小夜がルキアノスとともに授業に出ている間、ヨルゴスが部屋を検めていると知った時にも聞いたものだ。
つまり、心配は要らないということ。
それでも、セシリィの体を心配することとは別問題だ。
「……大丈夫?」
「えぇ。己の潔白を証明することになんの痛痒もないわ」
そういう意味ではなかったのだが、自信満々に微笑まれては致し方もない。小夜は、セシリィの完璧な笑みにすごすごと引き下がった。代わりに、ルキアノスがセシリィのすぐ前に立つ。
「まず、行方不明となっている他の三人の所在は分かるか?」
「いえ、残念ながら……わたくし以外に囚われている者はいないようでしたわ」
「何だと?」
セシリィの回答に、ルキアノスの表情が途端に険しくなる。小夜もまた、それを聞いて青くなった。他の三人がいつ頃いなくなったのかは聞いていないが、セシリィの側にいなかったということは、考えられる可能性は限られてくる。
誘拐の目的は、身代金か、人身売買か、怨恨か。
だがセシリィの所にも他の三人にも、金品の請求も脅迫状らしきものも届いていないという。そして人身売買なら、手元に長く置いておく必要はない。
だがセシリィは捕まったまま、どこにも売り飛ばされてはいなかった。他の三人も、遺体は発見されていない。
(なんか……変だ。ちぐはぐな感じ)
犯人の目的がまるで見えない。
ルキアノスも、何かしらの結論を出したのかどうか、質問を切り替える。
「お前を捕らえた奴の顔を見たか? どんな奴だ」
「見たはずですが、記憶が曖昧です。一人は、長身の男でした。もう一人は小柄な……男、だったと思いますわ」
「特徴は」
「それが……思い出せないのです。言葉はこの国のものだったと思いますが」
「記憶の操作か、消去をされたか」
美しい顔に険を滲ませるセシリィに、ルキアノスも難しい顔をして唸る。どうやら、ずっと目隠しをされていたわけではなく、解放する直前に魔法をかけられたらしい。
(魔法って、何でもできるんだなぁ。犯罪し放題じゃん)
剣と魔法のファンタジーな世界でも、結局世知辛いことには変わりがないらしい。地味にショックを受ける小夜である。それをどう受け取ったのか、横から優しい補足説明が入った。
「記憶に干渉できるのは、唯一死の神タナトスにお力を借りることだけだな! つまり敵はそれほどの覚悟ということになる!」
クレオンであった。それまで静かであったために、突然の肺活量に小夜は目を丸くして隣を見る。
確かに死の神タナトスは死の瞬間、その者の記憶を紐解いて善悪を見極めるとも言われるから、記憶の操作ができると言われれば成る程とも思うが。
(なんでお兄様が補足説明すんの?)
立場的にはセシリィかルキアノスだが、二人とも今はそんな場合ではないと分かっている。だからスルーでも良かったのだが。
(私が魔法に疎いって、セシリィから聞いてたのかな?)
それにしては妙に情報量が適切でタイミングもいいのは何故であろう。
「おに……クレオン様って」
気付けば、ついそう声に出ていた。しまったと思いながら、続く言葉を変える。
「静かにも出来たんですね」
「…………」
「…………」
(バカ! 他にもっと癇に触らない言葉があったでしょうに!)
こんなところで一言余計な所感が漏れてしまった。無難に「優しいですね」とか言えば良かったのに。
だが後悔先に立たず。それに杞憂ではあろうが、ルキアノスがいる前でクレオンやセシリィを疑うような発言はしたくなかった。
ルキアノスとの会話を、どこかで聞いていたんですか、とは。
だがクレオンは笑顔を変えぬまま、おうと頷くだけだった。
「自慢だが、メリハリはきちんとしてる方だ!」
「全然してねぇよ」
ルキアノスが半眼で睨みながらそう訂正した。クレオンはハハハと笑いながらルキアノスの肩をバシバシと叩くと、今度は何故か室内を散策し出した。真実はこの際どうでも良かったので、小夜は社会人の必須技能・無難な笑顔で流した。
「なら、他に分かることはないか。そいつらの目的とか」
「他に……確か、調べていることがあるって……神殿に……」
「神殿?」
言葉を絞り出すセシリィに、ルキアノスが声を跳ね上げた。小夜も思わずルキアノスの横顔を見てしまう。
(まただ)
また、神殿が出てきた。やはり、セシリィが十九年前の聖泉争奪戦争を調べていたから狙ってきたのだろうか。
「そう言えば、セシリィは聖拝堂で何を調べていたんだ?」
「……よくご存知ですのね?」
ルキアノスの問いに、今度はセシリィが目を細める番であった。小夜が慌てて間に入る。
「セシリィを探すのに、私が無理やりお願いしたの」
「そうなの?」
小夜の言葉に、セシリィが表情を和らげる。それを見ながら、何故こんなにも険悪なのかと小夜は首を捻った。
(は! 私のせい!?)
二人の元々の関係性はよく分からないが、少なくともエヴィエニスたちを含めて幼馴染みに近い仲のはずである。それがこんなにも空気が悪いのは、ルキアノスに関しては小夜が機嫌を損ねたための気がする。
小夜はしゅんと肩を落とした。
「セシリィ、ごめんね」
「何故そこで小夜が謝るの? わたくしは十九年前の戦争の、始まりを調べていただけよ」
「始まり? って、隣の国が攻めてきたってやつじゃないの?」
「それは、本当は不自然なのよ。十九年前の時点でも、ヒュベル王国はすでに一次戦争の影響で国力を大分落としていたわ。それなのに……勝てると思った根拠が、探し出せない」
「国力を落としているからこそ、国中の四技師を集めて戦力に充てたんだろう」
難しい顔で首を横に振るセシリィの疑問にそう答えたのは、ルキアノスであった。小夜の脳裏にも、ラリアーに説明してもらった言葉と、大道芸を披露していた風舞師の女性の姿が蘇る。
しかしセシリィは、今までにも何度も議論されてきたような口調で、それを否定した。
「四技師は政治にも戦争にも荷担しない。迫害に遭った歴史から、それは鉄の掟のはずよ」
確かに、魔法と源流を同じくするということは、磨いた技で人を害することもできるということだろう。それを脅威と感じる人々がいるのもまた必然と言える。
(でも、魔法士は今も攻撃魔法を使うのに……学校で教えてるから?)
魔法士の歴史も四技師の過程も知らない小夜には、比べようのないことであった。つい、補足説明を求めて部屋を歩き回るクレオンを盗み見るが、今はトリコをつつくのに忙しいようである。
「それでも、開戦の場に彼らがいたことは確かだ」
反論するルキアノスの言葉もまた、妙な確信に満ちている。どうやら、この手の議論は何度もされてきたものらしい。それでも神殿の権威が強いために、敵国に非があるということに一般論として落ち着いたのかもしれない。
と思っていると、別のところから新たな意見が舞い込んだ。
「そのことだが、彼らは祝典に華を添えるために呼ばれたようなんだよな」
苛立ったトリコにがじがじと指先を喰われているクレオンであった。




