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死んじゃうと思う

 そしてやってきたルキアノスの誕生日。

 その日の王城エステス宮殿は、朝から祝砲が王都を震わせ、賑々しく始まった。

 まず謁見の間にて、第二王子ルキアノスから国王王妃両陛下へ挨拶と感謝の言葉が述べられ、両陛下からも麗しき息子へ無事の成長を言祝がれた。

 その次は、王弟イリニスティスを筆頭に兄エヴィエニスと弟アフェリスからも祝賀を受ける。その後は、駆けつけた有力貴族から次々と祝賀の挨拶がひっきりなしに続いた。

 一通りの顔合わせが終われば、今度は貴族たちを引き連れて敷地内に隣接する王室聖拝堂に移動し、神々と精霊へ祈りと感謝の言葉を述べる。

 そこから更に細々とした段取りをこなすと、次には昼餐会が開かれる。王太子でないということで国外からの賓客こそないものの、これには謁見の間までは来られない者たちにも席が用意され、更に規模が大きくなる。

 というのは建前で、有力貴族たちの隣にはここぞとばかりに妙齢の淑女が不可欠な付属品のようにくっついていた。


「ルキアノス殿下。本日は誠におめでとうございます」


「こちらこそ、遠い所をありがとう」


「ルキアノス殿下の未来に幸多からんことをお祈り申し上げます」


「貴殿にも幸多からんことを」


「ルキアノス殿下と王国に大精霊クレーネーのご加護が幾久しくあらんことを」


「大精霊クレーネーと聖泉の乙女デスピニスのご加護に感謝を」


 何度も似たような台詞を繰り返しては杯を交わし合い、握手をし、抱擁する。そしてついでのように娘や妹や従妹や又従妹を紹介される。


「本日は娘が是非音に聞くルキアノス殿下にお目通り願いたいと」


「この女神のような美しさ。身内の贔屓目を差し引いても妹はとても器量良しで」


「詩歌に絵画にダンスに、苦手なことを探す方が難しい程で」


「年上女房の方が何事も上手くいくとは昔からよく言ったもので」


「政治のことには多少疎くとも、常に殿方を立てて励ますことが何よりの務めと理解していて」


 後見人の貴族の斜め後ろに品よく控えた娘を、様々な美辞麗句が称賛していく。その言葉に全員が一様にはにかみ、頬を染め、遠慮がちにルキアノスをみやる。その中には時に扇情的な流し目さえもあったが、ルキアノスが返す言葉は一様に決まっていた。


「是非今日を楽しんでいってください」


 王子とはかくあらんという完璧な笑顔で迎え撃つ。

 その心中で思うこともまた一つであった。


(早く夜になれ)


 今この場に、小夜はいない。彼女の出番はパートナーが必要な夜の舞踏会だけだ。日中の行事に参加するのはさすがに負担が大きすぎるという本人(と最近小姑のようにしか見えないセシリィ)の希望により、連れてきていない。

 お陰で先手を打とうとする貴族が次々に女性同伴で挨拶に来るが、ルキアノスはその全ての名前と特徴と特技と人相を完璧に覚えながら、次の瞬間には全てドブに流して捨て去ってを繰り返した。


(女ってこんなのばっかりだったか?)


 誰もが美しく着飾り、優雅に微笑み、しゃなりとすり寄る。ドレスはともかく化粧にまで流行りがあるのか、誰も彼も特徴がおしなべて同じで、それだけでルキアノスはげんなりしていた。その上で反応も大体似たり寄ったりときている。

 ただの一人として、小夜のような女はいない。

 今まで一度も恋をしなかったかと問われれば、そんなことはない気がする。とりあえず容姿やら装飾やら家柄やらを褒め、適度に距離を縮め、喜びそうな言葉を口にし、あなたのような女性は他にいないと微笑む。それだけで、大抵の女性との関係は友好になった。

 この女がそのうちに婚約者になるかもしれないと思えば、丁寧に接しもした。今も名前や顔は覚えている。だが今振り返れば、小夜ほど気になった女は成程いなかったと言える。


(……小夜は今、何をしているだろうか)


 わずかに俯いた視界に自らの指が入り、ルキアノスは昨日も重ねた小夜の手を思い出した。

 小夜の動きは終始ぎこちなかったが、最終日にはどうにかまっとうな姿勢で最後まで踊りきることが出来た。踊っている間の小夜はめっきり無口になり、真剣な表情でルキアノスの顎だけを見つめていた。それでも引き寄せた瞬間は生娘のように頬を染め、不思議と良い香りがした。


(……あぁ、早く小夜に触れたい)


 単調な挨拶を脳の表面でこなしながら、部屋で着飾っているであろう小夜を思う。それだけで、この詰まらない昼餐会をやり過ごそうと思えた。

 だがその中でも、幾つかの救いはあった。


「本日はお招きくださり、誠にありがとうございます。また今日の良き日を無事お迎えになられ、誠におめでとうございます」


「ルキアノス殿下におかれましては、ご機嫌麗しく……なさそうですわね」


 イオエル・アンドレウ男爵が少しの緊張を押し隠して口上を述べ、夫に車椅子を押してもらい隣に並んだクラーラ・アンドレウ男爵夫人が少女のように笑う。

 アンドレウ男爵家は車椅子などの福祉用品を手掛ける大手商会で、その隆盛の一助というか根源となったのが、二十年前の戦争で足を不自由にした妻クラーラの存在であった。彼女は今は亡きヒュベル王国最後の王女であり、王家の特徴である白い髪と赤い瞳を有している。だが二十年前に今の夫に救われて以来、彼女はかつての敵国への恨みも哀しみも胸に仕舞って、この国で穏やかに暮らしていた。

 本来ならば招待客は伯爵位以上の家格から選ばれるのだが、ルキアノスが大変世話になったからと特別に呼んでもらったのだ。


「笑顔は完璧なつもりでしたが」


 ただ可憐で駆け引きなど知らないような無垢な面差しから意外な言葉をもらい、ルキアノスはすっかり張り付いた笑顔をぐにぐにと手でほぐす。


「小宅にお越しの時とは、まるで違いますわ」


 くすくすとクラーラが愛くるしく笑う。直接対面したのは二度ほどしかないのに、人を見る目に優れているのかもしれない。ということにしておきたい。


「かないませんね。また、夜にご挨拶に伺います」


「えぇ、是非」


「楽しみにしておりますよ!」


 苦笑とともにクラーラに伸ばした握手を、笑顔とともに割り込んできたイオエルに掴まれた。握り返す手の力と笑顔に無駄に迫力がある。


(……ま、いいか)


 男とあれば、たとえ二十以上年の離れているルキアノスでも触れさせたくないらしい。面倒ではあるが、特に不快ということもない。ルキアノスは改めて握り返した。

 その後も引きも切らない招待客に挨拶を続けていると、不意にぱたりと止んだ。おやと思っていると、おかしむような声がかけられた。


「疲れているようだな」


 改めて気さくな挨拶をしにきたというていで現れたのは、王太子である長兄エヴィエニスであった。ルキアノスと同じ爽やかな金髪を総髪に整え、引き込まれるような南海の瞳を惜しげもなく露わにしている。

 二十歳を越えて益々精悍になったと貴婦人の間では黄色い声で囁かれているが、この二ヵ月近くのルキアノスと同様、日々ファニとの件を父親から却下を喰らっているせいだと、ルキアノスは知っている。


「兄上も、程々に」


「言うな」


 祝いの日だというのに結局息抜きにならない兄弟は、互いに苦笑し合う。そこに、ひょこりと第三者が顔を出した。


「ぼくもいるよ!」


「アフェリス」


 エヴィエニスの背中から現れたのは、十三歳にしてはあどけない表情の弟であった。兄二人よりも淡い色の金髪は癖毛のせいだけでなくぴょんぴょんとあちこちに跳ね、ルキアノスと同じ色のはずの瞳はきらきらと輝いている。


「さっきぶりだな」


「謁見の間でなんて、会ったなんて言わないよ! 兄様たちってば全然ぼくに構ってくれないんだから」


 くしゃりと頭を撫でてやると、アフェリスはそこら辺の少女よりも愛らしい頬をぷぅと膨らませた。確かに、午前中に謁見の間で挨拶をしたが、あれは決まった台詞を言っただけだ。会話とも面会とも言えないであろう。

 アフェリスとは年が離れている分、子供の頃の遊び相手はもっぱら二人の兄であった。エヴィエニスからは侍女たちへのお願いの仕方と怒られた時の対処法を、ルキアノスからは城の抜け道と隠れ場所を教えてやった。

 それが発覚した時、母からは「今度アフィに小狡いことを教えたら二人とも聖拝堂の泉に沈めます」と笑顔で脅され、父からは「もっと役に立つことを教えろ」と言われた。

 そのせいというかお陰というか、二人と話す機会が減ったアフェリスは勉学に励み、三人の中でも突出した魔法の才を現すことになった。


「そりゃ悪かった。その分、今日はエヴィ兄上を独占してるんだろ?」


「夜の舞踏会ではルーク兄上の番だよ!」


「いちいち魔法使ってぴょんぴょん飛び回る奴なんか嫌だね」


 にこにこと兄の時間を予約する弟に、ルキアノスは一昨年の誕生会で散々な目に遭ったことを引き合いに出す。自分の十一歳の誕生日ということで、ダンスをするだけの目的で羽目を外したのだ。最後には大広間から外に出て、特大の火の玉を夜空に三つも打ち上げた。

 楽しくはあったが、自分の会では見たくない光景でもある。


「けちっ。けちけちけちっ」


「その代わり、夜にはトリコを連れていく。お前が独占してもいいぞ?」


 ぽこぽことへなちょこな拳で抗議するアフェリスに、ルキアノスは悪戯を教えるように片目を瞑った。

 初めて小夜がこの世界に喚び出された時、自分の体を出ていたセシリィの魂が仮の宿として入っていたのが、中型の鳥であるトリコだ。見事な冠羽と、青と緑のグラデーションが美しい鳥で、セシリィが無事自分の体に戻って以降は、ルキアノスの部屋の止まり木が主な居場所だ。

 今まではルキアノスと共に学寮にいたが、王城に戻ってからは、トリコに会うためだけにアフェリスが部屋を出入りしているとエレニたちから聞いている。

 昼餐会に連れて来ても構わなかったが、夜に行われる舞踏会の方が照明も暗く、楽団が始終演奏をしている。トリコの羽音も鳴き声も騒音とはならないであろう。

 案の定、アフェリスは一瞬の不機嫌を一瞬で歓喜に書き換えた。


「やったあ! じゃあちゃんと行く!」


「歩いて来いよ」


「また後でな」


「あぁ。兄上も」


 ぴょんと飛び跳ねる弟と軽く手を上げる兄に、それぞれ応える。

 二人が離れれば、また挨拶の列の再開だ。




       ◆




「……ねぇ、エレニ」


 行事の合間に休憩がてら歓談する賓客たちの様子を窓から眺めながら、小夜はぼそりと呟いた。


「私、あの中に放り込まれたら死んじゃうと思うんだけど、どう思う?」


「…………」


 残念ながら、否定も肯定も上がることはなかった。



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