2-19 ようこそ迷宮へ。ここはそんなに悪い場所じゃないよ。
ギルドの片隅で、ドラクセルはずっとそわそわしていた。
探索を切り上げて地上に戻った二人は、先輩に言われたとおりにギルドで待ち続けた。その間、ドラクセルは苛立ちを募らせる。
「くそッ……。いつまで待てばいいんだよ」
待つことの不安という体を装っているが、実のところ結局自分では何もできなかったという苛立ちだ。
自分たちの力でどうにかできると思っていた。迷宮という場を侮っていたわけではないが、努力すればなんとかなるのだと信じていた。だから大人たちの制止を振り切って村から飛び出し、幼馴染のムギを連れてガレナリアを訪れた。
しかし、結果はこの様だ。第二迷宮どころか第一迷宮の浅層で消耗しきり、先輩たちに諭されて引き返すのが精一杯だった。自分たちならもっと行けたと強がろうにも、とうに限界だったことは自分でもよくわかっている。
自分では何もできなかった。あの二人が戻ってくるのを待つしかないという現実が、何よりもドラクセルの心に爪を立てる。
「あんまり騒ぐな。体休めといたほうがいい」
一方でムギは落ち着いていた。先輩に言われた通り、ギルドから借りてきた迷宮案内書に目を通し続けている。
「お前、なんでそんな冷静でいられんだよ」
「焦ると疲れるぞ」
「そういう問題じゃねえだろ!」
ムギとドラクセルは物心ついた時からの付き合いだ。ドラクセルがなぜ苛ついているのかも、ムギには手に取るようにわかる。相手するのは面倒だが、あんまり騒がれるのもうるさくて仕方ない。
「先輩が戻ってきたら俺たちはすぐにここを出る。夜道を突っ切って村まで走るんだ、体力戻しとけ」
「るっせえな……。んなこと、わかってんだよ」
ドラクセルはまだ不服そうだった。正論では納得できないようだ。ムギは迷宮案内書を閉じて顔を上げ、不満ありありの幼馴染の顔を見た。
「ドラ」
「んだよ」
「迷宮、また来ようぜ」
「……チッ」
ドラクセルの苛立ちを晴らすには、リベンジするしかない。今回は素材欲しさに探索者になっただけだったが、ドラクセルはムギを連れてまた迷宮に潜ろうとするだろう。どうせそうなるんだからさっさと負けを認めろと、ムギはため息をついた。
その時、ギルドの入り口が開かれる。中に入ってきたのは赤髪の男装少女だ。迷宮帰りらしく傷だらけのボロボロだが、続いて入ってきた男はそれ以上にボロボロだった。ほぼすべての装備を破損し、無駄に筋肉質な半裸をクロークで申し訳程度に隠す姿はまごうことなき変態である。
「待たせた。これ」
二人を見つけたルーチェは、挨拶もそこそこにバックパックを差し出す。中に詰め込まれた煙を放つ枝を確認して、ムギは頷いた。
「ルークさん……。すみません、ありがとうございます」
「いいから。急ぐんでしょ」
ルーチェは疲れた顔で微笑んだ。早く行けと。今日中に戻るつもりだったムギとしてはありがたい言葉だ。
「おい、アルタ」
ドラクセルはアルタの姿をまじまじと見る。
迷宮で会った時は咄嗟に反発してしまったものの、アルタには共感めいた憧憬を覚えていた。隣にいた小さくて赤いのはちょっとよくわからなかったが、頑強な鎧を纏い大きな剣を背負う彼の姿は、ドラクセルが思い描いた探索者そのものだった。
しかし、そんな風に憧れた男は今、ひどくみすぼらしい格好をしている。それが無性に腹立たしい。
「お前、なんでそんなにボロボロなんだよ」
「転んだ」
「んなわけねえだろ。何にやられたらそうなるんだ」
アルタはドラクセルを見下ろす。ドラクセルの反発的な目は、アルタにとって覚えのあるものだった。
それは少年が生まれ持ったシンプルな感情だ。強くなりたい。誰よりも強くなりたい。そんな競争心は、自分よりも強いものを見上げてしまえばガリガリと嫌な音を立てる。
「ドラクセル」
「んだよ」
「迷宮の魔物はつええぞ」
「お前よりもか」
「ああ」
「……俺よりもか」
「ああ、そうだ」
それだけのやり取りだったが、ドラクセルは不思議と納得がいった。
わかってしまえばシンプルな答えだ。倒せばいい。迷宮の魔物たちを何もかも倒してしまえば、己の強さは証明できる。苛立ちをぶつける先を見つけると、ドラクセルの気持ちに整理がついた。
「アルタ。俺、また戻ってくる」
「そうか」
村人だった少年は、迷宮を知って探索者となった。そんな幼馴染の様子を横目に見て、ムギは小さく嘆息する。
ドラクセルがその気になるだろうことはわかっていたが、思ったよりも火のついた顔をしている。勢いばかりで向こう見ずな相棒だが、やると決めたことはとことんやる。そんな彼に付き合わされるのも、付き合いきれるのもムギしかいない。
望むところだ。今回の迷宮探索について、悔しく思う気持ちはムギの中にもある。ドラクセルのように直情的にはなれないが、ムギはムギで負けず嫌いだ。次こそはと思うからこそ、迷宮案内書の内容を丹念に頭に入れていた。
「あーっと……。ムギくん。ちょっといい?」
二人がそんなやり取りをする一方で、ルーチェはムギを呼ぶ。少し離れたところで、ルーチェは声を潜めた。
「言伝をお願いしたいんだけど、いいかな」
「言伝? 誰にですか?」
「ミナに。目が覚めたらでいいから」
ムギは眉をひそめる。ムギにとってミナとは、フーリエ村で病に倒れた友人の名だ。目の前の先輩と接点があるようには思えない。
「ええと……。その、えっとね。お姉ちゃんは元気でやってますって、伝えてあげて」
言いづらそうに出てきた言葉に、ムギは察するものがあった。
元々この先輩、どこかで見たような顔だと思っていた。髪と瞳の色こそ違うが、顔立ちは村で寝込んでいるあの少女によく似ている。閃きはすぐにルークと名乗った先輩の正体に結びついた。
「ルーチェさんだったんすね」
「……なんのこと?」
「ミナ、いつもあなたのこと話してますよ」
ルーチェの表情が固まる。この少女、これでも完璧な男装をしていたという自負があったのだ。それが出会って一日の相手にあっさりと見抜かれたとあっては、心中穏やかではいられない。
「いやまあ、えっと。ムギくんや。もし仮に僕が、その、ルーチェという人物だとしてだね」
「黙っててほしいんすか?」
「あはは……。うん、お願い。私のことは内緒にしといてもらえると助かります」
ムギは確信を持っている。妹の知り合いとあっては誤魔化しきることは難しいだろう。ルーチェは誤魔化すことを諦めた。
「内緒にするのは構いませんけど、たぶん無駄だと思いますよ」
「どういうこと?」
「先輩、めちゃくちゃ童顔じゃないすか」
「人が……。人が気にしてることをずばっと言ってくれるじゃないか、後輩……」
「すみません。事実です」
「なお悪いわ」
実のところ、ムギは初見でルーチェの男装を見抜いていた。察しの悪いドラクセルは気づかなかったが、見る人が見ればあっさりわかるものだ。
「言伝、確かに承りました。たまには顔見せてあげてください」
「ううん。私、もうあの村には帰れないよ。ミナから聞いてない?」
「ミナからは、ある日突然いなくなった姉がいるとしか」
「……そっか」
ルーチェは少し安心した。あの冷害の年に何があったかをミナは知らない。知らなくていいのだ。本当に捨てられようとしていたのはミナであり、それを庇ったルーチェが自ら村を出たなんてことは。
さっさと体調を治して、健やかに平和に生きてほしい。それが、姉として妹に望むただ一つの願いだ。
「先輩。また今度、ゆっくり話しましょう」
「うん。頑張って」
妹の近況について、気にならないと言えば嘘になる。再会を約束して、二人は握手を交わした。




