2-18 それでも、きっと幸せになれますよ
「……味覚、障害?」
「そういうこと。刺激の強いもんならギリギリわかるけどな」
思い返すのは先日酒場で食べた夕食だ。確かこいつは、めちゃめちゃにマスタードをぶちまけたチキンソテーを食べていた。それ以前にも、大量の塩を突っ込んだスープを作っていたことを思い出す。
「それと危機感の欠如。なんつーか、生きてるっていう実感が薄くなった。罠踏んだり魔物に襲われたりするくらいじゃもうなんとも思わん。だからああいう強いやつと素手で殴り合うの、好きなんだよな。生きてるって気がする」
「それは……。遺宝の、後遺症で……?」
「かもな。よくわかんね」
六年の迷宮探索で死んで生き返ってを繰り返したことは、アルタの精神に何かしらの変調をもたらしたのだろう。
凶運と引き換えに不死の力をもたらす《万呪紋》。それはきっと、ただ便利なだけの道具ではなかった。
私の《魔神の瞳》だって、本格的に発動すれば気絶するほど脳を酷使する遺宝だ。長期にわたって使い続ければ副作用が現れるのかもしれない。おそらくは、脳に直接影響があるタイプの。
「わかった。あんまり、使わないようにする」
「ああ。それがいい」
この歳で脳障害なんて絶対に嫌だ。妙なことになってしまったけれど、私だって本当は安穏とした生活を送りたい。無理は控えようと、肝に銘じた。
しかし、私たちが迷宮の奥底を目指すには遺宝の力は必要不可欠だ。今回交戦した門番だって、私の《瞳》やアルタの《万呪紋》を使わずに倒せただろうか?
間違いなく無理だったと断言できる。あいつを倒せたのは遺宝の力あってのことだ。
それは、私たち本来の力ではない。
「僕ら、弱いんだね」
アルタの《万呪紋》も私の《魔神の瞳》も、使わないでいるには私たちは弱すぎる。
きっと、私たちに第二迷宮はまだ早いのだろう。この先に進むには遺宝頼りではいられない。もっと強さが必要だと、としみじみ思った。
「俺もちょっと前にそう思った。だからお前を誘ったんだ」
「本当に僕で大丈夫?」
「まあ、なんとかなるだろ」
「出た。危機感の欠如だ」
「本心だよ」
それは後遺症ゆえの楽観視だったかもしれないけれど、少しだけ気が楽になったのは確かだ。
「そういえばさ。アルタの《万呪紋》って、どこで手に入れたの?」
なぜかこいつ、当然のような顔で迷宮の遺宝を持ち出したけれど、冷静に考えるととんでもないことである。遺宝だぞ遺宝。たまたま持ってたなんてものではないはずだ。
そんなわけで、興味本位で聞いてみた。
「やめとけ」
しかしアルタは、明確にこの質問を拒絶した。
「知ればお前も命を狙われる」
「聞かない。なにも知らない。絶対に言わないで」
「めちゃめちゃ露骨じゃん」
「僕、危ないのとかそういうの嫌い」
「探索者向いてそう」
「それは言わないで……」
危機管理能力に優れた安全志向の探索者の方が、この仕事に向いているのは間違いない。だけど、こんな危なっかしい仕事が自分の天職だなんてのは中々に認めがたい現実であった。
アルタの事情を深くは聞くまい。彼のことはもう十分わかったじゃないか。それでよしとしよう。
「あ、見えてきたね」
第一迷宮の果てに、ついに洞窟の出口が見えた。その先から差し込むのは、太陽の光だ。
話には聞いていたが、やはり初めて見ると混乱する光景だ。地底に広がるはずの迷宮内に、明るい陽光が差し込んでいるのだ。しかし、これこそが迷宮が異界に繋がっているとされる証左である。
第一迷宮はまだ比較的現実に近い空間だった。しかし、より濃密な魔力が満ちた第二迷宮からはほぼ異空間と呼んで差し支えない。空間そのものがねじ曲がってしまったこの場所は、どこかの世界に広がる樹海を太陽光ごとそっくりそのまま模している。
第二迷宮・樹海のクレイドル。
深緑の木々が行く手を阻む、大森林の迷宮だ。
「じゃ、仕事して帰ろっか」
「探索していかないのか?」
「ミナを待たせたくない。それに、もう疲れた」
たどり着くだけでも一苦労だったのだ。ここから更に第二迷宮の探索なんて、とてもじゃないけどやっていられない。
幸いにも目当ての品はすぐに見つかった。川のほとりに立ち込める煙を辿っていくと、薄く煙を吐き出す低木が見つかった。地面に落ちている枝をバックパック一つ分ほど拾い集めれば、お仕事完了だ。
早々に仕事を終わらせた私たちは、第二迷宮入り口近くに設置された無人キャンプに引き返した。
ここは探索者ギルドが(珍しくまともに仕事して)設立した、第二迷宮の探索拠点だ。魔物避けの結界が貼られたこの場所には、地上直通の転移魔法陣が敷かれていた。
「アルタ。そこ乗って」
長い一日だったけれど、これで終わりだ。今日はもうこれ以上何も起こってくれるなよと祈りながら、私は転移魔法陣を作動させた。




