2-15 絶叫、狂気、肉片
核を失ったシプロは動きを止めた。
純黒の巨人は立ったまま沈黙している。動くそぶりがないのを確認し、私は展開していた念動力・魔拳を解いた。
「……倒した?」
「みたいだな」
アルタも同様に構えを解く。改めて見ると、彼の体はボロボロだった。
体中痣だらけ。額から血を流し、自慢の鎧は見るも無残なものだ。なのに、表情だけはなぜか満足そうだった。
冷静になって考えると、なんていう戦い方をするんだお前は。こんな無茶苦茶な戦法があってたまるか。仮に生きて帰れたとしても、こんなに消耗してしまっては修理費と治療費だけで大赤字じゃないか。とても探索者の戦い方じゃない。
「ねえ。あれが、アルタの奥の手ってやつ?」
「あー……。いや、まあ。使う気だったけど、なくてもいけたわ」
「そうなの?」
結局使わなかったらしい。なんなんだ。
アルタほどではないと言え、消耗しているのは私も同様だ。全力の魔拳展開により体内の魔力はほとんど使い果たしてしまった。今の状況で移動をするのは、正直怖い。
「ちょっと休憩していこっか。門番の縄張りなら、他の魔物がやって来ることもそうそうないし」
消耗した魔力を回復したいし、アルタの怪我だって治療が必要だ。先を急ぎたいのは山々だが、さすがに消耗が激しいと判断した。
まったくもう、無茶しやがって。あんな戦い方して死んだらどうするんだ。戦っている最中はあまりの荒々しさに驚いてしまったが、冷静になれば無謀もいいところである。
私はアルタと同じように戦うことはできないけれど。彼が無茶をしすぎないようにフォローすることは、できるんじゃないか。
「アルタ、服脱いで。治してあげる」
「それはいいけど……。なあ、ルーク」
「なに?」
「お前、いっつも俺の服脱がせてないか?」
「はったおすぞくそやろう」
うるせえな、私だって野郎の服脱がせて楽しむ趣味なんてねえよ。いいから脱げよ。医療行為だ。大人しく私に裸を見せろ。
そんな風に私がアルタの服をひん剥こうとした時。《魔神の瞳》が、意図せずに発動した。
「……え、ちょっと、何!?」
《瞳》が開くと同時に、私の奥底から知識の筺が浮かび上がる。鍵が解かれた筺の中から吹きすさぶ知識の暴風雨は、一瞬にして私の脳内を焼き尽くした。
「待って、ダメ、止まって……!」
――知っておいたほうがいい。
魔神のつぶやきが頭に響くと、暴風雨の中から一つの知識が私の手のひらに握られる。すぐさま《瞳》は閉じ、知識の嵐は筺に詰められて再び私の奥底へと戻っていった。
床に膝をついて荒い息を吐く。一瞬とは言え《瞳》の負荷は甚大だ。しかし、《瞳》が教えてくれた知識は、緊急を要するものだった。
それは異界で生み出された魔導人形についての知識だ。
魔導人形とは、人工の体に人間の意識を封じ込めた自律型の兵器である。しかし魔導人形を制作する過程で、人間の意識はかなりの高確率で発狂してしまうのだ。それでは実用に耐えないため、別途埋め込んだコアユニットにより制御する必要があった。
もし万が一コアユニットが破壊された場合、魔導人形は発狂により暴走する。そのため運用には細心の注意が必要だと、《瞳》は教えてくれた。
「げほっ……。くそっ、アルタ……! まだ……! まだ……終わって……」
顔を上げると、音もなくシプロが絶叫していた。
彼は叫んでいた。鉱物の肉体を震わせて、声帯すらもないのに、全身で悲鳴を上げていた。荒れ狂う魔力の波を解き放ち、大地を揺るがすほどにもがき苦しんでいた。
シプロは絶叫と共に暴れだす。無機質な肉体から無軌道に奔出する情動の発露。黒曜石の腕をむちゃくちゃに振り回すたびに、水晶で彩られた空間に破壊が撒き散らされる。ガン、ガン、ガン、と。耳をつんざく轟音が響き続けた。
そしてある一点で、純黒の巨人が瞳のない顔で私たちを認識した時。
シプロが、跳ねた。
「……は?」
あの巨体が、あの質量が跳躍する。拳を振り上げて、全身を弓なりに反らしながら。目的は明確だ。叩き潰す。あまりにも明瞭で、あまりにも純粋な殺意だった。
一瞬に思考は加速する。回避――間に合わない。膝をついた体勢では、着弾地点から避けきることは難しい。魔法――これも無理だ。念動力を発動するには一瞬の溜めがいる。そんな時間はない。防御なんて考えるにも能わない。私の軽装であの攻撃を受け止めきれず、防ぐためのショートソードだって失った。
ダメだ、打つ手がない。どうにもならない。
死、というものを強く意識した。
「任せろよ」
アルタは私よりも早く動いていた。
一切の迷いない判断だった。身体能力と反射神経に物を言わせて、アルタは私の体を突き飛ばす。私はそれで拳を免れた。しかし、免れたのは、私だけだ。
着弾と共に、シプロは拳を叩きつける。ろくな防御もできないまま、アルタは全身でそれを受けた。
激しい衝撃と共に、アルタの体が強かに地面に叩きつけられる。何かが潰れる嫌な音がした。
そこに純黒の巨人は、もう一度拳を振り上げて。
振り下ろした。
「……ッ!」
私は即座に念動力を発動する。残った魔力をすべて費やした魔拳。シプロの体を全力でぶん殴ると、一歩だけシプロを後退させることはできた。
私にできたのは、それだけだ。よろめいたシプロはゆらりと体を持ち直し、地面に潰されたアルタをもう一度殴り始める。
二度、三度、四度。拳が振り下ろされるたびに鎧が弾け飛び、アルタの体が潰れる。赤い血飛沫が床に広がって、ぐずぐずになった肉片がびちびちと飛び散った。
私にはもう魔力がない。剣も失った私に、シプロの殴打を止める術はない。
だからもう。たとえ手遅れだったとしても。
《瞳》を使うしかなかった。
「どけよ、この野郎ッ!」
開いた《瞳》から溢れ出す魔力が、私の体を満たしていく。すぐさま展開した念動力・魔拳は、私の魔力で作ったものよりも圧倒的に強大だ。
片腕でぶん殴るとシプロの体が吹き飛び、壁にめり込んだ。アルタは無事か。駆け寄ろうとして、私は一歩で無駄を悟る。
もう、原型もない。
「ある……た……?」
声をかける意味もない。死んでいる。こんな有様で生きているはずがない。
アルタという男は。一緒に迷宮を踏破しようと約束した、たった一人の相棒は。
肉片になって、迷宮に散った。




