2-14 ルーチェちゃん@ボス戦でいじけるな
純黒の巨人が振るう拳を、アルタは交差した腕で受け止めた。
青水晶の地面をグリーヴの踵で削りながら、衝撃を全身で殺し切る。防御の構えを解いたアルタは、お返しとばかりに固めた拳を振りかぶった。
「だッ……らアッ!」
力任せの荒々しい一撃。『阻む者』シプロの巨体がぐらりと揺れる。どんな筋力をしてるんだ。
アルタの攻撃はそこで止まらない。左足で強く地を蹴り、更に懐に潜り込む。ほぼ密着するような距離感から、体重を乗せた拳を叩き込む。二撃、三撃、まだ止まらない。合わせて六撃を打ち込んだところで、一瞬のバックステップを挟んでシプロの反撃を回避した。
「きひッ……! おっせえな、おっせえなァ……!」
アルタが浮かべた獰猛な笑みに、思わずぞくりとしてしまう。
戦士の愉悦に身を委ねて、全身全霊で戦いを愉しみながら、アルタは拳一つで巨人へと立ち向かう。背負った自慢の両手剣を抜こうとすらしない。無邪気に獰猛な笑みを浮かべて、立ちふさがる強者へと挑みかかる。
傍目にも理解できてしまう。強いか、弱いか。彼は今その二元論だけで動いている。
全身を闘争に投げ込むアルタは、私が見たことのない顔をしていた。
「ひひッ……! 硬いな、強いな、でも遅ェ……! そんなすっとろさじゃ、食われちまっても文句は言えねえなァ……!」
アルタの速度が上がる。拳を主体とした直線的な戦法から、足を使った速度重視の戦いへ。軸足を瞬間に入れ替えながら踊るように翻弄し、シプロの攻撃を誘っては鋭い一撃を差し込む。
武術のような美しさはない。そこにあるのは、相手の命を刈り取ることだけを目的とした荒々しさだ。
おそらくあれは、迷宮探索の中で培ってきた我流の戦闘だ。迷宮という環境に適応するために編み出した、魔物と戦うための術。あの領域に至るまでに、彼はどれほどの戦闘経験を積んできたのだろう。そして、どれほどの死線を生き延びてきたのだろう。
打撃と蹴撃を織り交ぜた、嵐のような猛攻がシプロの体を滅多打ちにする。このまま押し切ってしまうのではないか。かと思えば、アルタは突然に足を止めた。
「あー。やめだ」
足を止めたところにシプロの拳が振り抜かれる。それを片手で受け止めて、やはり衝撃を全身で殺しながら、ますます楽しそうに笑うのだ。
「やっぱ、こっちの方が楽しいからなッ!」
そして始まったのは、回避など毛頭考えない直線的な暴力のぶつけ合いだ。
力と力が唸りを上げてぶつかり合う。片方は意思があるかも定かではない岩人形だが、もう片方は人の形をした獣だ。己のほうが強いのだと証明するが如く、火花を散らすように獣は暴れまわる。
私たちの前に立ちはだかっているのは第一迷宮最強の魔物であり、幻想種の一角であるというのに。私には、アルタの方がよっぽど恐ろしく見えてしまった。
「え……っと……」
援護のために用意していた魔法を構えながら、どうするべきかと迷ってしまった。
アルタは全力で戦いを楽しんでいる。たぶんだけど、邪魔したら怒るんじゃないか。今のアルタの顰蹙を買うのはごめんだ。あの獣のような荒々しさを向けられるのは、正直言ってかなり怖い。目の前にいるあれが、あの寝ぼけた相棒と同一人物だとは思えなかった。
しかし、だからと言って何もせずに見ているというのも考えものだ。仮にも相手は第一迷宮の門番。アルタは楽しんでいるようだけど、一人で倒せる相手ではないはずだ。
となると、私にできることは一つしかなかった。
「僕も、あそこにつっこむかぁ……」
ショートソードを構える。援護ではなく挟撃にしよう。なんとなくだけど、遠くからちょっかい出すよりも、一緒に至近距離で戦った方が怒られない気がする。たぶん。
語るのも今更だけど、私の剣術は本当に大したことがない。魔法を主体に立ち回るスタイルなので、剣は接近戦を挑まれた時くらいにしか抜かないのだ。それでも後衛職よりは戦えるが、かと言って前衛を張れるほどに剣が冴えるわけでもない。
「てやー」
精一杯の気合をこめて、私はシプロの背中に斬りかかった。
硬質な黒曜石の体に当たり、鉄のショートソードはぺきんとへし折れた。
「……あ、折れた」
その一撃で気を害したのか、シプロは振り向きざまに裏拳を放つ。瞬間、アルタが私の前に割り込んだ。
「危ねえッ!」
アルタは拳を受け止める。その間に、私は全力で後ろに下がった。
危ないところだった。アルタが割り込んでいなければ、どうなっていたかは考えたくない。私はあんな近接馬鹿とは違う、軽装のか弱い中衛職なのだ。
「下がってろッ! お前は前に出るな!」
「あ、うん……。ごめん。ごめんなさい……」
私が後ろに下がると、アルタは改めて純黒の巨人と殴り合いを始める。どう見ても、私が割り込める余地はなさそうだった。
「どうせ僕はいらない子ですよ……」
そんなわけでいじけることにした。
私たちのコンビネーションが良いだとか思っていたのが馬鹿みたいだ。あれはただ、アルタが私に合わせてくれていただけだったのだ。
思い返すといつだって彼には緊張感がなかった。目の前に敵がいるのに、どこかぼんやりとしているような。その理由が今わかった。彼はこれまで、本気になれずに適当に戦っていただけなのだと。
しかし今になって、アルタは初めて本気を見せてくれた。これが全力のアルタだ。目の前で繰り広げられているこの光景こそが、アルタという男の本当の戦い方だ。そして私は、本気の彼の隣には立てない。
おしまいだ。パーティ解散だ。アルタはこれから一人でシプロを倒し、その実力は大々的に喧伝されて色んなパーティに引っ張りだこにされるのだ。
対して私は、アルタが奮闘する最中何もできなかった弱虫の烙印を押され、パーティからまたもや追放されて一人で迷宮深層に挑むことになり、突然出会ったものすごくつよい魔物に死ぬまで腹パンされるのだ。きっとそうだ。そうなのだったらそうなのだ。
「ルークッ!」
そんな風にいじけていると、アルタが鋭い声を発した。
「あいつ、背中側に核みたいなものがある! 狙えるか!」
「しょーがないなー!」
そこまで言うならやってやろうじゃないか。しょうがないやつだな。本当にアルタってやつは、私がいないと何もできないんだから。今回だけは特別だぞ。
シプロの後ろ側に回り込むと、橙色の核らしきものが確認できた。この純黒の巨人がどういった仕組みで動いているのかはわからないが、おそらくあの核は構造的に重要な部分ではなかろうか。狙ってみる価値はありそうだ。
「念動力――」
剣を失ったので大人しく魔法に頼ることにした。やはり頼るべきは念動力だ。さすがは魔神が教えてくれた魔法と言うべきか、出力といい応用の幅といい、一般的な魔法とはわけが違う。
両腕から伸ばした魔力の腕で、拳を固める。以前使った時は指一本で消し飛ばされてしまった魔法だけど、今なら。
「魔拳!」
シプロの裏を取り、中距離から魔力の拳でぶん殴った。
魔力の腕は伸縮自在だ。拳と言えど、その大きさは片腕だけで一メートルはある。両の手から繰り出した魔拳で、真後ろから連撃を叩き込んだ。
魔力を衝撃に変換する術式は、シプロの体を大きく揺さぶった。破壊とまでは至らないが、これなら私もこいつと殴り合える。
「アルタッ! ごめん、僕の魔法じゃ壊しきれないかも!」
とは言え、魔拳はどちらかと言えば面での攻撃だ。核をピンポイントで破壊できるような攻撃力はない。ここは役割を交換するべきだと判断した。
「僕が抑えるから、核を全力でぶん殴って!」
「任せろッ!」
魔拳による力任せの連打。魔力の続く限り衝撃を打ち込み、体勢を立て直す猶予を与えない。
私が体内に保有する魔力量はそう多くない。こんな風に激しく魔法を行使すると、すぐに魔力が尽きてしまう。抑えられるのは後数秒だ。
だけど、アルタなら。数秒も猶予があればやってくれる。
「だッ……らああああああああああああああッ!」
アルタが握りしめた拳は、狙い過たず核に激突した。
ギン、と鈍い衝撃音。直後に鈍い破砕音がして、シプロの核はバキバキと砕け散った。




