1-20 人ごっこ、人形ごっこ
――超越者にならないか。
超越者の女は私に手を差し出した。人間離れした美しい笑みを湛えて。
そんな超常からの誘いに、私はただただ困惑した。
「すみません、僕には荷が重いです」
何を言ってるんだこの女は、というのが率直な感想だった。
何度も言うが、ルーチェ・マロウズは村娘だ。村から追い出されて、食うに困って探索者をしているだけの、特別な才能のない人間だ。それ以下であることはあっても、それ以上なんてありえない。
私に《魔神の瞳》なんて荷が重いし、超越者なんてもってのほかだ。私がそれになれるとは思えない。なりたいとも思わない。
そもそも私は平穏な生活以上のものなんて望まない。それが全てだ。
「この《瞳》に用があるなら持っていってください。もとより僕の手には余る代物です。迷宮の遺宝も超越者の座も、僕には荷が重すぎます」
「あら、随分とご謙遜なさるのですね」
「事実ですが」
たまたま拾った遺宝がどんな力を持っていたとしても、それは自分の力ではないだろう。
私には偶然手にした力を背負えるほどの器はないし、自分のものにしたいと思うほどの野心もない。謙遜も何も、これが私の手に余るというのは紛れもなく事実である。
「困りましたね……。別に《瞳》がほしいというわけではないのですよね。その遺宝は大変に人を選びます。《瞳》だけ頂いたところで、《瞳》に認められた人間がいなければ無用の長物となってしまうのですよ」
「でも……。そんなこと言われても、僕には無理ですよ」
「どうしてもと言うなら《瞳》をえぐり出してもいいですが、結構痛いですよ? それ、もうあなたの奥底まで結びついちゃってるので。下手に取っちゃうと、頭が壊れて死んじゃうかもです」
それは嫌だ。痛いのも死んじゃうのもどっちも嫌だ。
どうしたものかと、おとがいに指を当てて考えていたナノは、ぱっとほころんで手を合わせた。
「そうだ。あなたの心、いじってみましょうか?」
彼女はにこにこと微笑む。名案を思いついたと言わんばかりの顔だった。
「人の心って結構簡単に変えられるんですよね。もしその気になれないのなら、その気になるような人格に変えて差し上げますよ。ついでなので、どんな自分になりたいかを教えて下さい。あなたの理想の自分になれるよう、精一杯お手伝いいたしましょう」
「……は? 何、言ってるんですか?」
「もし気に入らなくても戻せばいいだけですからね。ちょっとだけ、お試ししてみませんか?」
今日の髪型を選ぶような気楽さで、ナノは悍ましい提案をした。
人の心はおいそれと手を加えていい領域ではない。自由意志は尊いものであり、束縛された精神は間違ったものだ。そんな当たり前の倫理観を無視して、この女は楽しそうに笑っていた。
――改めて理解する。目の前にいるこれは、人の形をした化け物なのだと。
「自由意志がなければ思い悩むこともなくなりますし、感情がなければ悲しみを覚えることもなくなります。怖いことなんてなーんにもなくなりますよ。もしよろしければ、いっそのこと何もかも取っちゃって、私のお人形さんになりますか?」
「え……。え? いや、え?」
「思いつきでしたけど、これ、名案かもしれません。そうしましょうか。大丈夫ですよ。私、気に入ったものは大事にしますので。壊れてもちゃーんと直してあげます」
「何……? 僕に、何を、するつもりなんですか?」
「私、ほしいものって我慢できないんですよねぇ……。えへ、えへへ。お人形遊びもたまにはいいですよね。百年くらいは遊べるかも」
ナノの目の色が変わっていく。人を見る目から、物を見る目に。店先に飾られたぬいぐるみを見る小さな女の子のような、純真できらきらとした瞳に。
その純粋で残酷な欲望は、紛れもなく私に向けられていた。
「ねえ、ルーチェちゃん。君、自分のこと僕って言うんだね。でもそれって自分を偽ってるんだよね? 私の前ではそんなことしなくていいよ?」
「待って、ねえ、待って。近づかないで。離れてください……!」
「さん付けなんて他人行儀だなぁ。お姉ちゃんって呼んでよ。大丈夫、大丈夫。怖いことなんてなんにもないよ。ほら、目を閉じて」
「念動力……ッ!」
この女の好きにさせたら取り返しのつかないことになる。躊躇だとか手加減だとか、そんなことをする余裕はない。私は咄嗟に《魔神の瞳》の力を解き放った。
《瞳》から魔力が溢れ出す。目は紅く輝いて、髪は真紅に燃え上がる。湧き上がる莫大な魔力をありったけつぎ込んで、私は念動力を発動させた。




