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追放された村娘に《魔神の瞳》は荷が重い  作者: 佐藤悪糖
1章 才能がなければ運もないけど、何かの間違いで生きている
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1-19 《外界》の超越者は微笑んでいる。歓喜の渦に身を捩らせて。

「ルークッ!」


 アルタが叫ぶ。女に剣を向け、私の前に立つ。

 この命がけの迷宮探索で、最後まで余裕を持ち続けたアルタは。どんなに絶望的な状況であろうとも、気楽に笑ってみせたこの男は。

 今、見たこともないくらいに、必死の顔をしていた。


「逃げろッ! 今すぐだ!」

「ああ、ごめんなさい、ごめんなさい。そんなつもりはないんですよ。ええと、一旦こうしますか」


 女はパチンと指を弾く。その瞬間、全てが静止した。

 時が止まる。音も、風も、遠くから聞こえるざわめきも。剣を抜いたアルタはそのままの姿勢で微動だにしなくなる。何もかもが止まった時間の中で、私と、目の前の女だけが動いていた。


「えーと、これくらい、ですかね?」


 やがて女の存在感が収縮する。彼女は今、希薄すぎず、強大すぎることもない。油断すれば見落としてしまうことも、過度に目を引くこともない。

 それはまるで、人間のようだった。


「ルーチェ・マロウズさんですね。時間を止めさせてもらいました。お疲れのところ恐縮ですが、少しお話させていただいてもよろしいですか?」

「……何者、ですか」

「そんなに警戒しないでください。命は取りませんよ」


 彼女はまるで人間のように冗談めかして笑う。そんな人間らしい仕草が、かえって私の危機感を駆り立てた。

 私の前にいるこれは何だ。一体どんな化け物が、人間のフリをしている。


「本当なら自己紹介をするのが筋なのでしょうが、ごめんなさい。この世界にはもう、私が名乗るべき名前がないんですよね」

「名前が……ない……?」

「そうなんですよ。以前、ちょーっとだけやらかした時に運命から追放されてしまって。私、この世界に存在してはいけない人間なんですよ。なので、名乗るべき名前も取り上げられてしまいました」

「人間……? あなた、人間なんですか?」

「そこ引っかかります? いやまあ、確かに自分でも人間っぽくないなーって思うことはありますけど……。でも、数万年前まではれっきとした人間やってました。この世界の時間軸じゃないですけどね」


 何を言っているんだ、この女は。

 この女が言っている言葉を正しく理解してはいけないと思った。遺宝が見せた危険な知識とはまた別種の恐怖を感じる。彼女の言葉を理解してしまえば、現実が足元から崩れ去ってしまうような恐ろしさがあった。


「なので、私のことは好きにお呼びください。何者にして頂いても構いませんよ。あなたの望む私になりましょう」


 微塵も理解できないし、理解してはいけない。意識して思考を止め、頭に入った音だけを反射的に処理する。


「では……。ナノさんで」

「あら、これはかわいらしいお名前をいただいてしまいました」


 名乗るべき名前がない女、ナノ。名前を定義すると、彼女という存在がより立体感を増し、より一層人間に近づいた気がした。


「では、改めて自己紹介をしましょうか。私は《外界》の超越者(オーバード)。この世界に五人いる、理を超越してしまった超越者(おろかもの)の筆頭を務めさせていただいております」


 ナノはにこりと可憐に微笑んだ。

 超越者。その言葉には聞き覚えがあった。いくつかの神話に時々出てくる、人間を超えた力を持つ者がそう呼ばれていた。神話によって扱われ方は違うが、共通して神とも悪魔とも評される絶対的な存在であるように伝えられている。


 言うまでもなくそれは伝説上の存在だ。現実に存在するようなものではない。しかし。

 目の前の女は、そう言われても納得してしまうだけの何か(・・)を持っていた。


 ナノはすっと私に近づく。吐息がかかるほどの距離で私の頬を両手で挟み、ぱちりと開いた琥珀の瞳で、私の目を覗き込んだ。


「《魔神の瞳》。ようやく所有者を選んだのですね」


 迷宮の遺宝(アンノウン)のことを言っているのは自ずとわかった。


「ルーチェ・マロウズ。それはとても気まぐれで、とてもお人好しな遺宝です。今はまだ魔神があなたを選んだのかもしれませんが、いずれあなたが魔神を選ぶ日が来るのかもしれません。少なくとも今、あなたはその資格を手にしています」


 彼女は瞳を揺らさない。大きく見開いた瞳孔は、吸い込まれそうなほどに透明だ。


「《瞳》を持つ者、ルーチェ・マロウズ。あなたに提案があります」


 存分に私の目を覗き込んだ後、ナノはようやく私から離れた。数歩離れてくるりと振り向き、ただただ呆然とする私に手を差し伸べた。


「六人目の超越者になってみませんか?」


 見惚れるほどに美しく、彼女は華やかに微笑む。

 あまりにも完璧なその笑顔は、やはり人間味を感じなかった。

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