1-16 叫びたくなるほど願いを籠めて、懸命に懸命に手を伸ばした
水晶の一部が砕け散り、迷宮の通路に大音響が鳴り響く。結晶狼たちは即座に反応し、こちらに向かって疾走した。接敵まで一秒もないだろう。しかし、その一秒でアルタは完璧に行動を終えた。
アルタの行動は素早かった。私の首根っこをひっつかむと、天井すれすれの軌道で全力でぶん投げたのだ。
「ふへっ!?」
「受け身ー! ちゃんと取れよ!」
投げ飛ばされた私は、前方から襲い来る結晶狼たちの頭上を飛び越える。私に気がついた狼は一瞬足を止めたが、そこにアルタが飛び込んだ。
結晶狼は遠くに投げ飛ばされた私よりも、前方の脅威を優先したようだ。私には目もくれずにアルタへと襲いかかっていった。
「……は?」
左手一本で受け身を取り、すぐに立ち上がった。アルタは四体の結晶狼を相手取り、血まみれになりながら懸命に戦っている。どう見ても善戦しているとはいい難い。
逃されたのだ。あいつは、自分を犠牲にしてでも私を逃したのだ。
ふざけるなと言いたかった。計算外もいい加減にしろ。一体何度セオリーを外せば気が済む。なんなんだ、あの男は。
私には、死ぬことなんて考えるなとか言っておきながら。
自分の命は、こんな風に簡単に捨てるのか。
「……ふざっ、けんじゃ、ねえぞ……!」
私は今、久しぶりの感情を味わっていた。
村から捨てられた時も、パーティから追放された時も、命の危機に直面した時にも味わったことのない感情だ。私の奥底に閉じ込められて久しく顔を見せなかった感情は、今、溶岩のように煮えたぎって噴出した。
私だって。
怒ることくらい、ある。
探索者は冷静に考えるべきだとか。感情を割り切った判断も必要だとか。そんなものは頭の中から吹っ飛んでいった。このまま一人で逃げてたまるか。私は、何がどうしてもあの大馬鹿野郎を一発ぶん殴らなければ気がすまない。
そのためにはどうすればいい。考えろ。剣は振れない。魔法も使えない。どうすれば私はあいつをぶん殴れる。手札はとっくに尽きている。
――いや。
一つだけ、あるじゃないか。
「上等だ……ッ! 使って……やるよ……ッ!」
迷宮の遺宝だ。
使えば何が起こるかはわからない。危険だって十分に承知の上だ。それでもこれが唯一の可能性だと言うならば、理性と感情の両面が私の選択を承認した。
一度使うという意思を固めると、紅晶の瞳は燃えるように熱くなった。私の奥底から、鍵のかけられた大きな筺が浮かび上がるイメージが思い浮かぶ。
鍵が解け、筺の蓋がゆっくりと開くと、頭の中に知識の暴風雨が吹きすさんだ。
知るだけで精神を蝕むような禁断の知識が脳内に荒れ狂う。どれも凄まじい力があり、どれも凄まじく危険な代物だ。そんな知識が一瞬だけ頭に浮かんではすぐに消えていく。
どれにするかと、問いかけるように。
莫大な知識に脳を焼かれ、朦朧としながらも私は手をのばす。
自分の無力を呪い続けたこの私だ。望むものなんて一つしかない。
歯を食いしばってそれを望み続けると、私の手の中に一つの知識がするりと舞い込んできた。
――じゃあ、これ。危ないから気をつけてね。
かつて魔神と呼ばれていた誰かが、そんなことを言ったような気がした。
知識の暴風雨が筺の中へと帰っていく。すべての知識を飲み込んだ筺は鍵がかけられ、再び私の奥底へと沈んでいった。
そして今、私の手にはただ一つの知識が握られている。それをどう使えばいいかも、私は全て理解していた。
瞳は今も熱いままだ。燃え盛る瞳から溢れ出す莫大な魔力が、私の体を満たしていく。私が生来持つものよりもよっぽど純粋で、濃厚で、洗練された強大な魔力だ。それを手のひらから放出し、私は、今知ったばかりの魔法を唱えた。
「念動力」
――いや。
厳密にはこれは、魔法とは呼べないのかもしれない。
「魔手――!」
両の手から魔力の手を伸ばす。感覚としては風魔法に近い。しかし、念動力で操るのは風ではない。もっと本質的で、より根源に近い、動力そのものだ。
私は伸ばした手で二匹の結晶狼を纏めて掴み上げた。もう片方の手で残りの二匹も宙に釣り上げる。四匹の狼たちは、突然空中に持ち上げられてじたばたと足掻いていたが、非物質の魔力の手には爪も牙も意味をなさない。
「砕けろ……ッ!」
空中に持ち上げた四匹の狼たちを、両の手で包み込むようにしてすりつぶした。
凄まじい圧力が結晶狼の体を押しつぶす。堅固な水晶の体は粉々に砕かれ、断末魔すらも上げることなく、四つの命は光り輝く水晶の粉へと変わっていった。
魔力を介して物質そのものを直接動かす魔法。無力を呪い続けた私に与えられた、『力』を操る異界の魔法。
それが、念動力だ。




