1-15 傷口はじんわりと暖かく、不運は身を焼き滅ぼすほどに
代償は大きかったと言え、結晶狼を倒せたのは好都合だ。
この広間の先にあるのは赤水晶のエリアだ。あちらの方に行けば誰かと会える可能性は高くなる。見覚えのある道に出れば、魔物と遭遇せずに通れるルートだってわかるだろう。
我ながら馬鹿なことをしたと思うが、結果として生還の可能性が大きく上がったのは間違いない。
「ルーク。腕、大丈夫か?」
「んー……」
右腕はアルタに包帯を巻いてもらったが、戦闘に使うにはまだ不安が残る。魔力もすっかり消耗してしまっていた。とても万全な状態とは言えない、というのが正直なところだ。
この広間で体を休めていくというのも、一つの選択肢ではあった。
「大丈夫、先に進もう。でも、戦闘はちょっとお任せしたいかも」
「ああ、任せろ。後ろで休んでてくれ」
「ありがと」
それでも私は前に進むことにした。気になることがあったのだ。
あの広間にいたのは狼の魔物が変異した結晶獣だ。本来、狼とは群れを作る動物である。魔物化しようと、結晶獣に変異しようと、基本的にその性質が失われることはない。
しかし、あの結晶狼は一匹であそこにいた。あの個体が一匹狼だったのならそこまでの話だが、もしそうでなかったとしたら。あの広間に留まっていれば、近い内に結晶狼の群れが戻ってくるかもしれない。
(まあ、運次第だ。最適解なんてわからないんだから)
迷宮の内部にはどんな可能性だってある。あそこで体を休めないという選択が吉と出るか凶と出るかは、それこそ運に頼るしかなかった。
戦闘の後で疲れていたせいか、私はそんな風に考えていた。運任せなんて、それこそ私らしくないことだ。それに、今回に限れば絶対にやってはならないことでもあった。
アルタという男は、凄まじい凶運の持ち主なのだから。
道の奥から近づいてくる獣の息遣いがあった。数は二つ。それを確認した私はすぐに引き返そうとして、反対側から近づく二つの気配に気がついた。
足音や気配は、どれも先ほど交戦した結晶狼と同じもの。数は四体。私たちは今、四体の結晶狼に挟まれていた。
しかも。しかも、だ。
奴らの歩き方は、何かを警戒したり、姿を潜めているようなものではない。
奴らは私たちの存在に気づかず、ただ普通に歩いているだけなのだ。
(ふざ……けん、な……っ!)
声を出すこともできず、私は無言で不運を呪った。
広大な迷宮の中で別々に行動していた二組の結晶狼が偶然はち合わせた場所に、運悪く私たちがいる。一体どんな凶運だ。こんな事故みたいな不運があってたまるか。
ここは一本道。身を隠せるような場所はない。
危機感がせぐりあげ、思考が静かに冷え込んでいく。考えろ。どうすればいい。何かないか。何か、やつらをやり過ごすための術は――。
「アルタ」
狼たちが近づいてくる中、私は口を開いた。
「囲まれてる。結晶狼が四体。五秒後に全力ダッシュ。恨みっこなしで」
――逃げるには、犠牲が必要だ。
私かアルタ、どちらかが犠牲になっている間にもう片方が逃げる。もう、それしか取れる術はない。
一つ注釈を加えるなら、この場合犠牲になるのは私だろう。戦闘能力を喪失した今の私が一人で生き残ったところで、迷宮を脱出できるとは思えない。ここはアルタが生き残るべきだ。
一応頑張って走ってはみるが、私の足とアルタの足のどちらが遅いかなんてわかりきっている。私が軽装でアルタが重装だということを加味しても、この男の身体能力は手負いの私を凌駕している。順当に行けば襲われるのは私だろう。
(――死にたくなんて、ないけれど)
死にたいわけではない。死ぬことに納得できたわけでもない。私はもっと生きていたい。しかし、極限状況に加速した私の思考は、そんな感情論を考慮に入れてはくれなかった。
騒ぎ立てて生き残れるなら私だってそうする。しかし、そうではないのだ。探索者はいつだって冷静に考えるべきだ。時には感情を割り切ってでも最善手を取らねばならない。
これが一番、勝率が高い。
私が自分の命を諦めた理由は、そんなつまらないものだった。
「目のこと、忘れないでね。いくよ」
「やーだね」
「……は?」
しかし、アルタは。
理屈だとか、計算だとか、勝率だとか、そんなものを全部無視して好き勝手してくれるこの大馬鹿野郎は。
握りしめた拳を、全力で水晶の壁に叩きつけた。
「だれが逃げるか」




