1-14 存在証明のやりなおし
広間の入り口に立つと、結晶狼は片目を開いた。
こちらに気づいてもすぐに襲いかかっては来ない。獣が示したのは無関心だ。私などすぐにでも殺せるゆえの余裕か、単に気分ではなかったのか。どちらにせよ、それは私にとって好都合だ。
左手から魔力を広げ、結晶狼を迂回するように天井に伸ばす。薄く細い魔力を限界まで伸ばし、天井から垂れ下がる一際大きな水晶に触れた。
「火魔法」
水晶の根本を魔力でぐるりと囲み、小さな爆発を起こした。
「爆火」
爆炎で根本が砕け散り、鋭利な結晶が落下する。その落下地点にいる結晶狼は、伏せたままの姿勢から、瞬時に真横に飛び退いた。
――たいした反応力。だけど、これは織り込み済みだ。
寝込みを邪魔され、さすがの結晶狼も気を害したようだった。重心を落とし、低く唸りを上げ、入り口に立つ私を見定める。次の瞬間にはもう跳ねていた。
「風魔法・槌風ッ!」
飛びかかる狼の横っ面を風魔法で殴りつける。私の風で吹き飛ばすことなどできないが、ほんの少し邪魔ができればそれでいい。
即座に抜刀したショートソードで狼の牙を受け流す。鉄と結晶が奏でる甲高い衝突音。一瞬の交差が終わった後、私の手のひらには重い痺れが残っていた。
――まず一合、切り抜けた。さあ、次だ。
私の戦闘力で正面からこいつを倒すことはできない。必要なのは隙を作ること。無理に傷を負わせる必要はない。自衛と陽動に徹せれば、私だって少しはやれることがある。
先に動いたのは狼だ。ヤツは斜め前に飛び、着地と同時に反対方向へ切り返す。ジグザグの歩法で飛び回りながら距離を詰め、ある一点で強く踏み込んだ。
狼の姿が消えたのかと錯覚するほどの高速移動。次の瞬間、真横から飛び込んだヤツは、私の右腕に牙を突き立てた。
「――右、か」
激痛を味わいながら、しかし私は冷静だった。もとより無傷で渡り合える相手とは思っていない。右腕に攻撃を受けたのならどうすればいいか。どうすれば生き残れるのか。私は考えることをやめなかった。
右手で握っていた剣は使えない。となると、対処できるのは左手の魔法だ。クロスレンジでの火魔法は効果が高いが、おそらく私の魔法では怯ませることはできないだろう。風魔法も同様に力不足だ。拘束に特化した氷魔法は問題外。となると、突破口はこれだ。
「土魔法」
今まさに私の右腕を噛みちぎらんとする狼の口に、左手を突っ込んだ。
「壁土」
三十センチ大の土塊を、結晶狼の口内に無理やり生成した。
土壁に阻まれ、私の腕から牙が抜ける。その隙に狼の腹を蹴り飛ばし、距離を取った。
――二合。今のは惜しかったな。
結晶狼は土塊を噛み潰して吐き捨てる。もう数秒魔力を籠める時間があれば、一メートルの土塊を生成してやつの顎を潰すこともできただろう。しかし、そうすると私の右腕は噛みちぎられていた。
状況は悪い。右腕は傷を負い、動きこそするが剣を振るのは難しいだろう。魔力も消耗し始めている。一方で結晶狼の方はほぼ無傷。ジリ貧だ。
「火魔法」
右手と左手でそれぞれ魔法を用意する。まずは片方、左手の魔力を結晶狼に向けて伸ばした。
「爆火」
足元で爆発した炎を、狼は軽々と飛び退いてかわす。その着地地点に、右手で用意した魔法を発動させた。
「からの、氷魔法・縛氷ッ!」
狼の足元で氷が生成される。しかし結晶狼の機動力は、それをも踏み抜いた上で瞬時に飛び退いた。
足の速さに物を言わせた強引極まりない突破。結局凍りついたのは爪先の一部だけだ。あれでは機動力を削ぐこともほとんど敵わない。私の魔法は空振った。
――だけど。
目論見の方は、的中した。
「アルタ!」
「おう」
二連続で魔法を回避した狼は、完全に私に意識を向けた状態で、アルタのいる方へと飛び退いていく。
こうなるように誘導したのだ。一対一を演じながら立ち位置を調整し、回避しやすいように魔法を打って。ここまでお膳立てすれば、たとえ狼の機動力が高かろうと、アルタの射程が短かろうと、当たるものはきっちり当たる。
「剣士ハンマーッ!」
飛び込む狼の土手っ腹に、カウンターを入れる形でアルタの拳が突き刺さる。結晶の体とガントレットの激しい衝突。力任せの一撃は、結晶狼の巨体を吹き飛ばした。
アルタはすぐさま追撃を入れる。強い踏み込みから一瞬で距離を詰め、振り上げた足を狼の首筋に叩きつけた。
「剣士……ッ! ストンプッ!」
鋼のグリーヴとアルタの全体重が、狼の首を地面に縫い付ける。そして、両手のガントレットで力任せに狼の口をかっ開いた。
「ルークッ!」
「任せて」
アルタの出番はここまでだ。ここからは私の仕事である。
全身が結晶化した結晶獣の体は非常に硬い。私の魔法でも、アルタの剣技でも、ロクなダメージは入らないだろう。アルタが新開発した剣士流格闘術なら多少のダメージは入るが、それにしたってヤツの命を刈り取るにはあまりにも心もとない。
ゆえに、私たちには攻撃力が必要だった。あいつの命を脅かすほどの高い攻撃力が。
だから私たちは、役割を交換したのだ。
今回、敵を拘束する役割は、アルタが。
敵にとどめを刺す役割は、私が担っていた。
「土魔法――」
距離を詰め、傷だらけの右手を結晶狼の口に突っ込んだ。もしも狼が口を閉じれば私の右腕は千切れ飛ぶだろう。そこはもうヤツの顎を抑えるアルタを信用するしかない。
喉の奥で手を開き、魔力を解放する。残った魔力の全てを注ぎ込んで、私は、魔法を発動させた。
「壁土ッ!」
結晶狼の体内に、数メートル大の土塊を生成する。
いかに結晶獣と言えど、臓器まで硬いというわけではない。ヤツの体の中にあるのは外皮よりもずっと脆く柔らかな結晶の内臓。私はその中に大量の土を流し込んだ。
溢れ出した土は胃袋と腸を破裂させ、肺と心臓を強く圧迫する。結晶狼の体は大きくビクリと跳ね上がり、それきり二度と動かなくなった。
「……はぁ」
結晶狼の命が消えたことを確認し、突っ込んでいた右手をずるりと引き抜いた。
余韻だとか、達成感だとか、そういったものはない。ただ、らしくないことをしたな、という後悔だけが後を引いていた。
今回、私は随分と無茶をした。圧倒的格上の魔物と一人で殴り合い、傷を負いながらも無理やり隙を作った。最後の攻撃なんて、一つ間違えれば重傷を負っていただろう。魔力も使い切ってしまったし、剣だってろくに振れなくなってしまった。
今後の探索に支障が出るのは間違いない。こんな向こう見ずな戦いは、探索者のやることではなかった。
だけど。
「な、ルーク。勝っただろ?」
「あー。そうだね」
「俺とお前で掴んだ勝利だ。俺たちなら勝てるんだよ。だから……。あー、なんだっけ?」
「こっちが聞きたいわ。本当になんなんだよ」
「ま、いいや。やったな!」
「勝手だなぁ」
こんな泥臭い勝利にも喜んでいる馬鹿を見ると、まあ、それでもいいかなと思えてしまうのだ。
なんだかんだ私もこの男に毒されているのかもしれない。大変によろしくない傾向だと、自分でもよくわかっていた。




