1-10 ばか(いいやつ)(でもやっぱりばか)
頭の痛みに苛まれて、私は目が覚めた。
爽快な目覚めとは言えなかった。かつてないほど最低最悪の目覚めだ。頭は痛いし吐き気もする。それに何より最悪なのは、寝ている場合ではないということだった。
「ああ……。くっそ、私、気絶してたのか……」
額を抑えながらふらふらと体を起こす。頭どころか全身あちこち痛い。硬い水晶の床で気絶すればこうもなるだろう。
「起きたかルーク。無事か?」
「うん、あんまり、元気じゃないけど……。んぁ?」
ぼやっと返事をしてから目をまたたかせる。
銀水晶の小部屋にアルタがいた。水晶の床に簡易的な野営キットを広げて、火を熾して鍋を煮ていた。
「……アルタ? 何やってんの?」
「何って、飯作ってるんだが」
「色々突っ込みたいんだけど、まずこんな狭くて空気の流れがない場所で火を熾したら酸欠になって死ぬよ」
「ばっかお前そういうの先言えって」
アルタは急いで火を消す。私も風魔法で空気をかき回した。完全な密閉空間ではないようだし、これで大丈夫だろう。
「貸して」
バックパックから取り出した魔石――魔物の体内で生体濃縮され、結晶化した魔力だ――を並べ、火魔法を撃つ。魔石に含まれた魔力を燃料に、魔法的な熱源が生み出された。これなら炭素を燃やしているわけではないので、一酸化炭素が発生する心配はない。
「へー。魔法ってそういうこともできるのか。便利だな」
「これくらいちょっと覚えれば誰でもできるけど」
「俺はできん」
「あなたはそうでしょうね」
迷宮内で調理がしたいなら魔石を使うのは基本中の基本だ。わざわざ火を熾すやつなんて初めて見たぞ。
「で、アルタ。なんでここにいるの?」
熱源にあたって体を休めながら、改めて聞きなおす。
手品でも見せられた気分だった。なんでこの場所にこいつがいるんだ。ひょっとして、私が気絶している間に居場所を突き止められたのだろうか。
「ああ。俺もあの罠踏んだんだよ」
「は? 踏んだ? なんで?」
「お前言ってただろ、一度作動した罠はしばらくしたらまた使えるようになるって。だから罠が再起動するのを待って、俺も踏んでみた。そしたらここに飛ばされたってわけだ。どうよこれ、名案だったろ」
……え? まって、え? なんで?
いやまあ、たしかにそうすればここには来られるんだけど。ちょっと理解が追いつかない。
「アルタ……? なんでそんなことしたの……?」
「なんでって、闇雲に走り回ったって合流できないだろ。居場所わからんし」
「どういう罠かわかって踏んだの? 即死する可能性もあったんだよ?」
「そうなのか? 前踏んだ時は平気だったぞ」
「……一応聞くけど、どうやってここから帰るか知ってる?」
「知らん」
「罠を踏む前に事情を誰かに話した? 僕たちが今ここにいることを知ってる人は?」
「いや、誰にも話してないが」
「おい馬鹿。お前、二次遭難って知ってるか」
「なんだそりゃ」
うっわ、こいつ……やりやがった……!
こいつがやったことは救助じゃない、ただ遭難者を一人から二人に増やしただけだ。自分の帰り道も確保できないのにここに来てどうするんだよ。それどころか救助も呼んでいないって正気かお前。ギルド側が事態を把握していなければ救助隊が編成されることもない。それはつまり、私たちは自分の力でここから脱出しなければならないってことなんだぞ。
そう言った旨のことを、私は可能な限り怒気を抑えながら説明した。アルタは、ふーんと呟いた。
「ま、なんとかなるだろ」
「なんとかなるだろじゃないんだけど!」
「大丈夫大丈夫。任せとけって」
はあ、もう……。なんなんだこいつのこの自信は。頼むから危機的な状況だってことを理解してくれ。
まあ、アルタが来てくれたというのは悪いことばかりではない。なんだかんだ言ってもこの男の戦闘力は本物だ。一人では難しくとも、二人なら深層の魔物との交戦もある程度選択肢に入ってくる。
……それに。多少なりとも心強く思う気持ちはあった。私だってこんなところで誰にも知られずに一人で死ぬなんて嫌だ。この状況で、一人でも平気だったなんて言えるほど、私は強い人間ではない。
「あー……。えっと、その。ありがとって、言っておくよ」
「なあルーク。干し肉、うまいこと半分に千切れなかったわ。どうしよ」
「大きい方をもっていけ。あと、二度目は言わないからな。絶対にだ」
「? なにがだ?」
知るか。ばーか。
干し肉とスープで体を温めながら、戦力を再評価して脱出プランを考えなおす。なんとかできるのだろうか。不思議となんとかなるような気がして、それがかえって癪だった。
「……ねえ。このスープ、想像を絶するほど不味いんだけど」
「そうか? 普通じゃね?」
「塩の味しかしない……」
次の味付けは私がやろう、と心に誓った。次があればの話だが。
ご飯を食べて、なんだかんだで体力も回復した。荷物をまとめてそろそろ出発しよう、という段になって、なにかを忘れているような気がした。
「ん……。なんだっけ……。なにか、忘れてるような……?」
ズキリと頭が痛む。その感覚で思い出した。
そうだ、遺宝だ。私はこの部屋で迷宮の遺宝を見つけたのだった。
膨大な知識で私の意識を刈り取ったにっくき宝石球はどこに行ったのだろう。ピックで砕いた銀水晶の壁や、ついさっきまで寝転がっていた水晶の床を見回してみたが、あの遺宝はどこにもなかった。
「アルタ、小さくて丸いやつって見なかった? 真っ赤な目玉みたいなやつなんだけど」
「なんだそりゃ。気持ち悪っ」
見ていないようだ。どうしよう、困ったな。
二人で探してもやはり遺宝は見つからない。一体どこに行ってしまったのだろう。
……見つからないなら見つからないで、それでもいいかと思えてきた。あれに関わるのはまずいぞと私の直感が言っている。それにもしかすると、私があれを見つけたのは何かの幻覚だったのかもしれないし。
「そういや目玉と言えばさー。お前の目ってそんな色だったか?」
「……へ?」
「なんか急に雰囲気変わったよな。寝起きめちゃめちゃ良いタイプ?」
その言葉でピンと来るものがあった。私はショートソードを抜き、刃を覗き込む。鈍い鋼の刀身にうっすらと写り込んだ私の瞳は、それは鮮やかな紅色をしていた。
「ああ……。うん、なるほど。そう来たか」
焦げ茶色だったはずの瞳が、水晶のように透明で彩度の高い紅になっている。もしもあの赤い目玉に内側から光を灯したとしたら、ちょうどこんな感じの色になるだろう。
瞳がそっくりそのまま遺物に置き換わったというわけではないが、色はとても良く似ている。なにかの間違いというわけではなさそうだ。
自覚が伴うと、急に自分の置かれた状況を理解できた。私の頭に大災害を引き起こした莫大な知識と経験は、何も消えてなくなったわけではない。ただ、筺の中にしまわれたのだ。私の精神が壊れないように、厳重に鍵をかけた状態で。
魔神の知識と経験を宿した、迷宮の遺宝。
それは今、私の中にあった。
「アルタ。探しもの、見つかった」
「お、あったのか? 良かったな」
「……良くはないかも」
この遺宝が途方もない力を宿していることは間違いないが、試しに使い方を調べてみようという気にはなれなかった。
絶対に知ってはならない、理解してはならない知識がいくつもあるのだ。もし何かの弾みで、禁断の知識を封じ込めた筺の鍵が外れてしまったら、今度こそ無事でいられる保障はない。
私は今、頭の中に爆弾を抱えているようなものだった。




