第九十三幕 ~アスラの亡霊~
後半です
オリビアを先導するように歩いていたヨハンは、王都からほど近い平原で足を止めた。平原ではあるが程好く岩山や木に囲まれている。振り返り、鼻歌を歌っているオリビアに声をかけた。
「ここなら騒がしくしても迷惑はかからないでしょう。先ほども言いましたが、無理な願いを聞いていただきありがとうございます」
「別にいいよ。私もさっき言ったけどお昼をおごってもらったし。それともう敬語は使わなくてもいいよ。苦手なんだ。敬語って」
そう言って、オリビアは肩をすくめた。
「……そいつはありがたい。実はあまり使い慣れてはいないんだ。なにしろ特定の人物にしか使わないからな。それと露店の席で言ったように、俺は帝国軍ではない。クラウディアは随分と疑っていたようだが」
「私は疑っていないよ。多分だけど神国メキアの人間でしょう?」
オリビアはすました顔で言った。いきなり出身を言い当てられたことに、ヨハンの心臓が大きく跳ねる。だが、あくまでも表面上は冷静に務めて尋ねた。
「なぜ俺が神国メキアの人間だと?」
「匂いだよ」
「匂い?」
ヨハンは思わず体の匂いを嗅いだ。香水の香りがほのかに漂ってくる。
「私が王国軍に入る前、神国メキアの人間と旅をしたことがあるんだ。その人間となんとなく匂いが似ていたから」
そういうことかと単純には納得できない。本当に匂いで言い当てたのだとしたら、少なくとも獣並の嗅覚をもっているということだ。
「君は色々と規格外だな」
「そう? それよりもそろそろ始めようか。クラウディアたちが待っているし、他の露店にも行ってみたいから」
「まだ食べるつもりなのか?」
呆れたヨハンの言葉に、オリビアは大きく胸を反らしながら答えた。
「だって成長期だから!」
「ふっ、そういえばそんなことを言っていたな。やはり君は規格外だ」
ヨハンはそう言って、腰から剣を引き抜いた。その動きに会わせるように、オリビアもまた剣を引き抜く。程なくして黒刃の切っ先から黒い靄が漂い始めた。
「なるほど……そいつが漆黒の剣か。話に聞いていた以上に禍々し過ぎる。死神の異名を持つ君に相応しい武器だな」
「エヘヘ。いいでしょう。そんなにジッと見てもあげないよ。これは大事な大事なものなんだから」
オリビアは漆黒の剣を胸に抱く。まるで我が子を慈しむ母のように。
「人の思いが詰まったものをどうこうしようなどという気はない。それと、君の実力は知っている。悪いが手加減は一切できないと思ってもらおう」
「別にいいよ。私は手加減してあげるから」
その言葉を合図に、ヨハンは地面を蹴りつける。対するオリビアは剣をだらんと下げたまま構えに移行しない。
(どこに打ち込んでも返せる自信があるってことか……では遠慮なくいかせてもらう)
距離を一気に縮めたヨハンは、細身の剣を活かした最速の刺突攻撃を放つ。オリビアは顔色一つ変えることなく漆黒の剣を合わせてくる。互いの剣が激突し、視線が交錯する。だが、それも長くは続かなかった。
(ゼファーは悪夢のような太刀筋と表現していたが、実に言い得て妙だ。しかし、ここまで剣の技量に差があるとはな)
型に囚われない変幻自在な剣の動きに、ヨハンの呼吸は次第に荒くなっていく。戦いで全身汗だくになるなど、ここ最近の記憶にはない。防御するので手一杯であり、反撃など及びもつかない。すでに魔法によって己の身体能力を底上げしているのにもかかわらずだ。
一方彼女は平静そのもの。これだけの攻撃を繰り出しているにもかかわらず、額には汗ひとつ浮かんではいない。公言した通り、手加減しているのは明らかだった。
(やはり彼女は危険だ。こうなった以上、悪いが利き腕を潰させてもらう)
ヨハンは大きく後ろに跳躍しながら左指を弾く。オリビアの右腕に小さな炎が現出すると同時に、ありえない光景が目に飛び込んできた。オリビアはまるで瞬間移動でもしたかのごとく横に移動し、着火を回避したのだ。
「馬鹿な?!」
地面に着地すると同時に、重ねて左指を弾いていく。そのたびにオリビアは、華麗に舞いながら炎を回避していく。未だかつてこの攻撃をかわした者などひとりもいない。ヨハンの中で初めて恐怖という感情が頭をもたげてきた。
「ねぇ。それってもしかすると──」
オリビアの問いかけを無視し、ヨハンは魔法陣に全力で魔力を注ぎ込む。焔光の輝きが放たれると同時に、大きく手を振るった。オリビアを中心に巨大な火柱が連なるように地面から吹き上がり、やがて炎の輪を形成していく。
「ふーん……」
オリビアは恐怖の色を微塵にも見せず、炎の輪を興味深げに眺めていた。
「……君は俺が考えていた以上に危険すぎる。恨みなど微塵もないが神国メキア、そして聖天使様の未来のために」
最後の言葉を口にすることなく左手を握りしめる。炎は大きくうねりながら輪を縮め、オリビアを一気に飲み込んでいった──
(終わったな……)
バチバチと燃え上がる炎を尻目に、ヨハンはゆっくりと歩き出す。オリビアが死んだと知れたら間違いなく帝国軍は勢いを取り戻すだろう。ソフィティーアに対し、どう言い訳するかを考えていると。
「──ねぇ。やっぱりこれが魔法ってやつ?」
絶対に聞こえてくるはずのない声を聞いて、ヨハンは慌てて振り返った。すると、猛る炎の中からオリビアが涼しい顔で姿を現し始める。しかも、体中に虹色の光を纏いながら。
「まさか君も魔法士だったのかッ?!」
「え? 私は魔法士じゃないよ」
オリビアは小首を傾げる。
「ならその体に纏っている光はなんだッ!」
ヨハンはオリビアの体を猛然と指さした。どう考えても風華焔光輪を防いだのはあの虹色に輝く光だ。でなければとっくに黒砂化しているはず。
オリビアは自身の体を見つめ、平然と答えた。
「これは魔法じゃなくて魔術だよ」
「魔術?! 魔術とはなんだ!」
目の前の事象は何らかの魔法が発現したようにしか見えない。だが、オリビアは魔法ではなく魔術と言い切る。しかしながら魔術なんて言葉をヨハンは一度も耳にしたことはない。
不意にソフィティーアが以前言っていた〝女の勘〟が脳内を駆け巡った。
「魔術知らない? じゃあ特別にわかりやすいものを見せてあげる。お昼おごってもらったし」
体を包んでいた光がスッと消え、代わりに人差し指を立てるオリビア。固唾を呑んで見守っていると、空気が震えるような振動音と共に、極微小の青白い玉が指先に向けて無数に集まっていくのが見える。やがてそれは拳大ほどの光の玉に姿を変えた。
「じゃあ、行くよ?」
オリビアは軽く腕を振るう。放たれた光の玉は凄まじい速さでヨハンの頬をかすめていった。それとほぼ同時に後方から稲妻が落ちたがごとき衝撃と熱風が襲いかかってくる。手で顔を覆いながら振り返った先には、岩山が見る影もなく粉々に砕け散っていた。
「これが魔術だよ」
呆然とその様子を眺めるヨハンに向かって、オリビアは事もなげに言う。
「ば、馬鹿な! そんな力を練り込んだら一気に体内の魔力が枯渇してしまうぞ。魔法士にとってそれは即、死へと繋がる。わかっているのか!」
そう言いつつも、自らの矛盾点にヨハンは気づいていた。莫大な魔力を保有するラーラでさえも、岩山を破壊するくらいの魔力を放てば危ういだろう。にもかかわらず、オリビアは平気な顔をして今も立っているのだ。
「だから私は魔法士じゃないって。どうやら魔力が尽きると死んじゃうのは一緒らしいけど。だから大気中の魔素を取り込んで、魔力の消費を抑えるんじゃない」
「魔力の消費を抑える? いったい魔素とはなんだ!」
「結構質問が多いね。さっき青白い光の粒子を見たでしょう? あれが魔素だよ」
「あれが……あれが魔素だとッ! そんなものは聞いたことがないッ! 魔法士は己の魔力が全てだッ!」
声を荒げるヨハンに、オリビアは得心がいったように二度三度頷いた。
「そういえば昔ゼットが魔術の出来そこないが存在するって言ってた。多分それが魔法なんだね」
「魔法が……魔法が魔術の出来そこないだと?!」
まるで己の存在自体が否定されたような気がし、ヨハンの足下がぐらつく。
「だって魔素を取り込むこともできないんだもん。それに左手の甲に刻まれている紋様? 多分だけどそれを触媒にしないと魔法を使えないんでしょう? 腕を斬られたらそれまでだもんね」
言ってオリビアはカラカラと笑う。今の話が事実であれば、オリビアの脅威度は恐ろしく跳ね上がる。なにしろ己の魔力に依存する魔法とは根本的に違うのだ。今のような光の玉を連続で放たれたらと考えただけで全身が総毛立つ。下手をすればひとりで国を相手に出来かねないほどの圧倒的な力だ。
「……そんな力があるのならなぜ積極的に使わない。帝国軍を屠るのもたやすいだろうに」
「自分が危ないとき以外は人間に使っちゃダメだってゼットに言われているから」
「ゼット……ついさっきもその名が出ていたな。そいつがオリビアに魔術とやらを教えたのか?」
「そうだよ。魔術だけじゃなくて他にも色々と教えてもらったんだ。ゼットは何でも知っているんだから」
誇らしげな顔で答えるオリビア。その様子からもゼットという人間を尊敬していることが推察できる。
「どうやら良い師のようだな」
「うーん。師って感じでもないんだけど……それよりもまだ続きをする? 私は別に構わないけど」
オリビアの問いに、ヨハンは肩をすくめて剣を鞘に納めた。
「いや、これ以上は止めておこう。クラウディアに言ったセリフだが、どう逆立ちしても君には勝てないからな──梟たちも余計な真似をするなよ!」
周囲を取り囲んでいるであろう梟に声をかける。岩山の影から姿を現したゼファーは、真っ青な顔で即座に頷いて見せた。
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──アストラ砦 フェリックスの私室
深夜、机の上の蝋燭が僅かに揺らぐ。窓は完全に閉め切っているため風が入り込む余地はない。フェリックスは読んでいた本をおもむろに閉じると、振り返ることなく背後にいるだろう人間に向かって話しかけた。
「いったいこんな夜更けに何の用事ですか? それと、勝手に入り込まないでください。警備兵に見つかっても私は一切関知しませんよ」
「そんなつまらんへまはしない。それよりも至急伝えることがある」
「はぁ……あなた方はいつも一方的ですね。他人の迷惑というものを考えたことはないのですか?」
フェリックスが嘆息しながら椅子を回転させると、扉の前に壮年の男が立っていた。顔の下半分を頭巾で覆っており、黒い装束を身に纏っている。一見すると陽炎に出で立ちがよく似ているのだが、醸し出している気配がまるで違う。暗殺を生業にしている者特有のねっとりまとわりつくような、それでいて鋭い刃のごとき気配だ。
「では伝える。最近判明したのだが、根絶やしにしたと思っていた深淵人の生き残りがいた。我々阿修羅としては、断じて見逃すわけにはいかない。今回は貴様にも手伝って貰うぞ」
男は当然のように言う。古の時代から続く深淵人と阿修羅の浅からぬ因縁はフェリックスも知っている。が、ただそれだけだ。
「あなた方はいつまでそんなことを続けるつもりなのですか? 真なる王とやらと交わした契約など何百年も昔の話でしょうに。それとも王は不老不死で、今もどこかで生きていたりするのですか?」
最後は冗談のつもりで言った。だが、男は眉根ひとつ動かさない。
「王の生死など我々の関知するところではない。我ら阿修羅にとっては契約こそが全て。たとえ悠久の時を刻もうともそれは決して変わらない」
──阿修羅の亡霊
フェリックスは心の中でそう彼らを呼んでいる。契約の名のもとに代々深淵人の末裔を殺すことに血道を上げている狂信者の集まりだ。
「まぁ、私には全く関係のない話ですね。ということで、用が済んだのならさっさとお帰りください」
フェリックスは扉に向ってスッと手を差し伸べた。だが、男は帰るどころか苛立たしげな表情を浮かべながらにじり寄ってくる。
「貴様にも誇り高い阿修羅の血が流れているのだ。関係ないわけないだろう。しかも、一族の誰よりも色濃く血を受け継ぐ次期当主でもある。勝手な振る舞いなど許される立場だと思うな」
「それはあなた方が勝手に決めたことでしょう。私が従う理由なんて微塵もありませんよ。まして好きで暗殺者の血を引いているわけではありませんので」
ズィーガー家は代々皇帝に仕えてきた名家として名を馳せてきた。その一方、稀代の暗殺集団である阿修羅の末裔だと知っているのは、現ズィーガー家当主であるところのフェリックスただひとり。皇帝であるラムザでさえもその事実は知らない。
「まだいうか。我々とて本来ならお前の手など借りたくはない。だが、此度の相手は若いが相当の手練れと見受けられる。わかったら黙って手を貸せ」
「お断りします。私には帝国三将としての責務があります。くだらない暗殺ごっこに付き合っているほど暇ではありません」
「──どうしても断ると言うのか?」
男の声が一段と低くなる。
「だからさきほどから何度もそう言っているでしょう」
フェリックスが苛立ちまぎれに肘掛を叩いていると、男の口元がふいに歪む。
「……確か唯一残された妹の名はアンネリーゼと言ったか? お前に似て随分と美しい娘だという話ではない──」
「黙れ。それ以上口にするならば即座に殺す」
「──ッ!?」
蝋燭の炎が激しく揺らぐ。怒りをあらわにするフェリックスを見て、男は素早く後ろに飛び下がった。腰の短剣に手を添えながら油断なくこちらを見据えてくる。
普段は穏やかなフェリックスではあるが、身内の名を出されて冷静でいられるほど人間できてはいない。
「……ここではっきりと述べておきます。あなたたちがなにをしようと勝手です。邪魔をするつもりなど毛頭ありません。ですが私の身内や知人に手を出したら、一族全てを皆殺しにします」
男の顔がさっと青ざめた。彼もフェリックスの言葉がただのはったりではないことはわかっているのだろう。
「くっ……わ、わかった。手助けはいらない。だが、わたしたちの邪魔だけはするなよ」
男は捨て台詞のような言葉を吐きながら扉に手を掛け、なにかを思い出したかのように振り返る。
「まだなにか?」
「一応帝国三将殿にも関わりはあるだろうから伝えておく」
「別に聞きたくは──」
「深淵人の名はオリビア・ヴァレッドストーム。ファーネスト王国軍の少佐だ」
「!?」
思わず声を上げそうになり、強引に口を引き結んだ。
「──その反応。何か心当たりがあるのか?」
男が探るような目つきで尋ねてきた。心当たりがあるどころか、帝国軍にとって一番の悩みの種と言っても過言ではない。紅と天陽の騎士団が敗北した原因に、彼女が大きく関わっているのだから。調印式で見た精緻な顔が脳裏に浮かぶ。
「……まぁ、それなりには」
「そうか……」
そう短く答えると、男は音もなく部屋を後にする。阿修羅にとっては帝国が勝とうが負けようがどうでもいい。オリビアがどれだけ帝国軍に脅威を与えているか興味の欠片もないのだろう。
フェリックスは大きな溜息を吐きながら椅子にもたれかかった。
(まさか彼女が深淵人の末裔だったとは……どうりで強いわけだ。このままいけば、いずれ彼女とぶつかるのは間違いない。彼らを手伝う気など毛頭ないが、これが因縁というものなのだろうか)
──深淵人と阿修羅。
──オリビアとフェリックス。
まるでそうなるのが必然であったかのように互いの糸が絡み合う。
フェリックスは椅子から立ち上がると、おもむろに窓を開ける。生温かな風が吹きすさび、遠くのほうで一筋の稲妻が走るのを目にした。
「春の嵐か……」
誰に言うともなく呟いた言葉は、蝋燭の灯りと共に漆黒の闇へと溶けていった。
第三章 魔法士と対峙する少女 完
これにて第三章は完結です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
第四章 敗北する少女開始は六月頃を予定しています。
それまでに誤字脱字などの修正及び、第三章の登場人物紹介などをUPします。




