第九十一幕 ~闇の一族の末裔~
案内を受けて館内に足を踏み入れたアシュトンたちは、同僚と共に本棚の整理を行っているクラレスと目が合った。
「おやおや? 誰かと思えばアシュトン・ゼーネフィルダ―ではありませんか。同志オリビアとクラウディアさんもご無事なようでなりよりです」
そう言うと梯子の両端に足を掛け、器用に滑り降りるクラレス。それを見たオリビアが嬉々として梯子に向かうのを、クラウディアが素早く襟首を掴んで止めている。クラレスは同僚が非難めいた目を向けるのを無視し、シンボルともいえる赤い眼鏡をクイッと上げると、ニヤニヤとした笑みを見せ始めた。
「クラレスさんも元気そうでよかったです。ところでその笑みはなんですか?」
アシュトンは警戒しながら尋ねた。
「聞きましたよ。なんでも敵の将軍を次々と屠り、まさに悪鬼羅刹の戦いぶりを演じたとか。帝国三将筆頭が率いる天陽の騎士団も、尻尾を巻いてキール要塞に撤退したらしいですねぇ」
「悪鬼羅刹って……そもそもなんで一般人のクラレスさんが詳しく事情を知っているんですか? おかしいですよね」
「そうだな。アシュトンの言う通り、いささか詳し過ぎるな」
アシュトンに同調したクラウディアが訝しげに言う。もちろん軍の公式発表ではそこまで詳細な内容は伝えていない。アシュトンが疑惑を込めた目を向けると、クラレスは腕を絡ませながら艶のある桃色の唇をそっと耳元に寄せてきた。
「ちょっと将校だからって随分な物言いですねぇ。いつからそんな男に成り果てたのですか? アシュトン・ゼーネフィルダー准尉殿」
「い、いや、別にそういうつもりじゃないけど……というか少し離れてください」
オリビアの視線を気にしつつ、絡みついた腕を強引に引き離す。本当にからかいがいがあるとクラレスは言って、鼻を鳴らした。
「それに私を誰だと思っているのですか? その程度の情報を手に入れることなど造作もありません」
その言葉を聞いて、かつてクラレスが獅子王学院のありとあらゆる情報に精通していたことを思い出した。それこそ学院長秘蔵である酒の隠し場所といったくだらないことから、機密である学院運営費など一生徒には絶対に知り得ないことをだ。
「ま、まぁ、クラレスさんは昔からどこか謎めいたところがありますからね」
「ふふっ。多少の謎は女を神秘的に見せますから」
口元に人差し指をあてがいながら、蠱惑的な笑みを浮かべるクラレス。早速アシュトンたちを閲覧室に案内した後、本人はいずこかに立ち去ってしまう。程なくして一冊の本を抱えながら戻ってくると、オリビアの隣に腰を下ろした。
「もしかして、断絶の理由が判明したのですか?」
何気なく発したアシュトンの言葉に、オリビアが過敏に反応する。鼻息を荒くしながらクラレスに椅子を寄せ始めた。
「わかったの!」
「ど、同志オリビア。非常に近いです。恥ずかしいので少しだけ離れてください」
「わかった!」
珍しく狼狽えるクラレスに、オリビアはコクコク頷き了解の意を示す。だが、一向にクラレスから離れようとしない。むしろ、さらに体を寄せ始めた。あまりの興奮のためか、言動と行動がまるで一致していない。
「ま、まぁいいでしょう。なんだか良い匂いがしてクラクラしますが、早速本題に入りたいと思います」
クラレスを除く三人の目が、机に置かれた黒い装丁の本に注がれていく。表紙に書かれている題名は【闇の一族】著者はアンガス・ホワイト。肩書はファーネスト王国元次席参謀と記されている。
(あれ? このタイトルには見覚えがあるぞ。確か王都を発つ前日に僕が見つけた本だ……)
アシュトンの考えを察したのか、クラレスが頷く。
「そうです。これはアシュトン・ゼーネフィルダーが見つけ出した本です。結局時間がなくて本棚に戻しましたが、後日改めて読んでみたんですよ。結論から先に述べると、ヴァレッドストーム家は太古の時代に存在した闇の一族。その末裔だったことが判明しました。断絶された理由もそのあたりに原因があるようです」
そう言ってクラレスは栞を挟んであるページを開く。アシュトンが素早く目を走らせると、確かにヴァレッドストーム家が闇の一族であることを示す記述がなされていた。
「そもそも闇の一族とはなんなのだ? 闇という言葉からしてあまりよくないものだということはわかるが……」
隣に座っているクラウディアが、ペラペラとページをめくりながらクラレスに尋ねる。
「この本によると、偉大なる王とやらに逆らった少数部族らしいです。凄まじい戦闘能力を背景に、国の乗っ取りを計ったと書かれていますねぇ」
「少数部族で国を乗っ取る? いくらなんでも少し話が飛躍しすぎていないか?」
「前にも言ったと思いますが、歴史とは常に勝利者が紡ぐものです。その話が真実か否かは当事者にしかわかりません」
クラリスは大げさに両手を広げて肩をすくめる。その意見にはアシュトンも同意した。今まで膨大な数の書物を読んできたが、眉唾な話などいくらでも溢れている。結局なにをもって正しいとするかは、自分自身が得た知識を元に判断するしかない。
「ならとりあえずその話が真実だと仮定してだ。ヴァレッドストーム家の者たちが先祖と同じように王位簒奪でも計ったのか?」
聞いたクラウディアに、クラリスは首を横に振って答える。
「いいえ。そもそもヴァレッドストーム家は、ファーネスト王家に絶対の忠誠を尽くす家として知られていたようです。しかも、当時ヴァレッドストーム家が闇の一族の末裔だと知る者はいなかったそうです」
「ではいったいなにが起こったのだ?」
クラウディアはお手上げだとばかりに声を上げた。今の話が事実であれば、ヴァレッドストーム家が断絶される理由など全くない。
「密告があったのです。ヴァレッドストーム家の先祖が、かつて王位を奪おうとした簒奪者であると。そして、今また悠久の時を経てファーネスト王国が狙われているぞと」
「いや、だって王家に対して絶対の忠誠を尽くしていたんでしょう? そんな突拍子もない密告を当時の王家は信じたのですか?」
今度はアシュトンが声を上げてクラレスを見た。すると、彼女は事もなげに答える。
「当時は光陰歴八〇〇年代。無理もないことですねぇ。アシュトン・ゼーネフィルダ―ならこの意味、わかると思いますが」
(光陰歴八〇〇年代……なるほどね)
俗に光陰歴八〇〇年代は暗黒の時代とも言われている。出口が全く見えない戦争に皆が疲弊し、不安と焦燥感を募らせていた時代だ。そんなときに舞い込んできた王家を揺るがす密告。事の是非を問う前に、一刻も早く障害になりそうな芽を摘み取る。現在なら精査されるべきことだが、当時の世情を慮ればそれはごく自然な流れなのかもしれないとアシュトンは思った。クラレスの発言もそれを踏まえてのことだろう。
「──それで、結局ヴァレッドストーム家の人間は全員ぶっ殺されちゃったの?」
今まで黙って耳を傾けていたオリビアが口を開く。いつの間にか真剣な表情を覗かせている彼女に、初めて見たであろうクラレスはハッと息を呑む。
「同志オリビア。そのあたりのことはよくわからないのです。屋敷を取り囲み火を放ったと書かれていますが、生死についてはとくに触れられていません。ただ、気になるのはここの一文です」
クラレスは素早くページをめくり、一点を指差す。
『焼け落ちる屋敷の窓から黒い靄を纏う大きな塊が飛び立つのを何人もの兵士が目撃した。それがなんであったのか、未だに謎とされている』
──黒い靄
アシュトンは思わずオリビアの剣に目を向けた。クラウディアも同じことを思ったのだろう。オリビアと剣を交互に見つめている。剣の持ち主であるオリビアはというと、目を爛々と輝かせ、口角を思い切り上げていた。どこか狂気をはらんだ表情に、声をかけるのをためらってしまう。
剣のことを知らないクラレスは、そのまま話を続けていく。
「この箇所だけが異様なのです。黒い靄の塊とは一体何なのか。この件に触れているのは後にも先にもこのページだけでした。ちなみにヴァレッドストーム家が簒奪を企てたという証拠を見つけることはできなかったそうです」
「つまり無実の罪を着せられた、ということか……」
クラウディアがボソリと呟いた。
「私が推測するに、王家も負い目があったのでしょう。なんの証拠もないまま王家に忠義を尽くした者たちを断罪したのですから」
「たとえ闇の一族の末裔だったとしても、それは大昔の話だからな。当時を生きる者たちにはなんの関係もない」
「断絶理由だけが記載されていなかったのは、そういう背景があったからだと思います。普通なら家名ごと抹消ですから。アンガス・ホワイトも贖罪の意味からこの本を残したものと思われます」
本をパタリと閉じると、クラレスは大きく息を吐いた。
「ちなみに密告者とやらの正体はわかっているんですか?」
そもそも事の発端となったのがいわれのない密告からだ。クラレスが言及していないことも気になり、アシュトンは尋ねてみた。
「それについては一切触れられていませんねぇ。著者であるアンガス・ホワイトも知らないのか、それとも知っていてあえて触れなかったのかはわかりませんが……」
なんとなく場が静まり返る中、オリビアが快活な声を上げた。
「クラレス、そしてクラウディアもアシュトンも手伝ってくれてありがとう。私がヴァレッドストーム家を継いだのは正解だったよ」
「……それはどういう意味でしょう?」
クラレスが探るような視線を向けると、オリビアは気にしないでと言って、晴れやかな顔で大きく伸びをしていた。アシュトンも詳しい話を聞きたいが、本人が語りたくないのなら無理に聞きはしない。
人にはそれぞれ事情というものがあるのだから。
王立図書館を後にしたアシュトンたちは、あてもないまま歩を進めていた。
「あっさりと終わっちゃいましたね。この後どうしましょう?」
振り返って尋ねると、クラウディアは苦笑する。
「少なくとも数日はかかると予想していたからな」
前を歩くオリビアがピタッと足を止めた。
「じゃあさ。なにか美味しいものでも食べに行こうよ。ちょうどお昼だし」
オリビアが提案した途端、お昼を告げる鐘楼塔の鐘が鳴り響く。あまりのタイミングの良さに、アシュトンは思わず笑みを漏らした。
「そうだな……じゃあ折角だから露店にでも行ってみるか」
「大賛成!」
オリビアは嬉々と頷いた。
「クラウディア中尉もそれでいいですか?」
「ああ、それで構わない」
クラウディアも首肯する。
「私も構わないよ。露店で食べるなんて滅多にできる経験ではないからね」
突然後ろから話しかけられ振り向くと、そこには端正な顔立ちをした男が白い歯を見せながら立っていた。
次回で第三章完結予定です




