第八十二幕 ~フライベルク高原の戦い~ 其の肆
切りのいいところで終わらせたかったので少しだけ長めです
オリビアの命令を受けたクラウディアとアシュトンは、帝国軍に気づかれることなく後背に回り込んでいたのだが──
「うーん。これは予想外の展開ですね」
アシュトンが丘の上を眺めながら困惑した様子を見せている。
陽動部隊三千に対し、天陽の騎士団は倍以上の数でもって攻めかかっている。それだけオリビアを警戒しているのは明らかだ。しかし、実際あそこにいるのはオリビアではない。鎧と髪の毛を染めただけの兵士だ。今のところ地の利を生かして善戦しているが、天陽の騎士団相手にそう長くはもたないだろう。それこそ替え玉だと気づかれたら一気に蹂躙される恐れもある。
「アシュトンがこれみよがしに旗を掲げさせるからだ。いくら陽動部隊に地の利があるとはいえ、二倍以上の騎士団相手にそう長くはもたないぞ。それに化けの皮というのはいつか剥がれる。どうするのだ、軍師殿」
クラウディアが皮肉を込めて言うと、アシュトンは困ったようにポリポリと頬を掻く。
「確かに僕の読みが甘かったことは否めません。オリビアの勇名は予想以上に浸透していました。ですが──」
「そのおかげで本隊の守りが手薄になった、か?」
アシュトンは一瞬目を丸くした後、すぐにニヤリと笑う。どうでもいいことだが、不遜な笑いがこれほど似合わない男も珍しい。
「クラウディア中尉も人が悪いですね。わかっていてあんな皮肉を言うだなんて」
「今回はたまたま君の読み違いがいい方向に転がったに過ぎない。そのことをよく肝に銘じておけ」
アシュトンは周りのことをよく見てはいるが、そういう人間に限って自分の足下は見えていなかったりする。こと戦争において、そういった人間は早死にする。剣もまともに扱えないような人間なら尚更だろう。だからこそ、その足があさっての方向にいかないよう自分が注意して見てやらねばならない。
「大丈夫です。そこまで僕は自惚れていません」
「ならいい。それでどうする?」
「はい、おかげで部隊長を潰していく手間が省けました。オリビアがこの機会を見逃すとは到底思えません。厳しいでしょうが陽動部隊には今しばらく踏みとどまってもらいましょう」
「ならばこちらも時間をかけるわけにはいかない。一気に行くぞ」
クラウディアは後ろに向き直ると剣を掲げる。そして、待機する兵士たちに向かって高らかに告げた。
「これより我らは帝国軍の後背を突く。敵の主力が陽動部隊と交戦している今がチャンスだ。皆には獅子奮迅の活躍を期待する」
「「「応ッ!!」」」
兵士たちが一斉に拳を突き上げる。クラウディア号令の元、二千の歩兵大隊が進撃を開始した。
「オリビア少佐」
「うん、どうやら天陽の騎士団のほとんどは陽動部隊に向かっちゃったね。戦いは流動的なものだから仕方ないけど、せっかく立てた作戦が水の泡だよ。そんなに帝国軍は私を殺したいのかな? 人気者ってつらいよね。あはは」
オリビアが呑気に笑う横で、金髪に青紫の瞳をもつ男──エヴァンシン准尉が苦笑する。
「嫌な人気者ですね。私は絶対に御免被りたいですが。でもおかげで敵本隊の防御は薄くなりました。その代わり陽動部隊で指揮を執っている兄貴や、オリビア少佐の替え玉をしている姉貴は苦労してそうだけど」
「エヴァンシンはエリスの弟なんだ」
「ええ、残念ながら……」
そう言うと、エヴァンシンは苦笑を深める。なにが残念なのかはわからないが、確かに言われてみればどことなく面影が似ていた。男ながらエリスと同様に綺麗な面立ちをしている。神殿を飛び出した頃は人間の顔など皆同じように見えていたオリビアだったが、最近はちゃんと見分けがつくようになった。これも成長した証と言えるだろう。
「ところでうちの姉貴、オリビア少佐になにか失礼なことをしませんでした?」
なぜかおそるおそる尋ねてくるエヴァンシン。オリビアは小首を傾げた。
「え? 別になにもしていないよ。お話も凄く楽しかったし──あ、弟が十二歳までおねしょをしていたって聞いたけど、それってエヴァンシンのことだったんだ」
「──ッ! あ、あの糞あねきー。余計なことをベラベラと。そ、その話は忘れてください。ほかにはなにもなかったですか?」
「ほか? うーん……あ! そう言えば、時々意味もなくジーッと見つめられたかな?」
オリビアがそう説明すると、エヴァンシンは盛大な溜息を吐いた。
「やっぱり……あまり気にしないでください。一種の病気ですから」
「別に気にしていないけど、病気なの? 病気なら治療師に見せた?」
宴会の席でオリビアと話をしていたときのエリスは、病気を患っているようにはとても見えなかった。むしろ、周りの人間が辟易するほどの元気娘だった。だが、病気にも色々な種類があることをオリビアは本で学んで知っている。一見元気なように見えても、実はということがあるのかもしれない。
「いや、まぁ、そういうまともな病気ならまだ救いはあったのですが……治療師に見せたところで絶対に治らないのは間違いないので」
エヴァンシンは目を泳がせ、言いにくそうに呟く。最後のほうはあまりにも声が小さすぎてよく聞き取れなかった。
「まともじゃない病気ってあるの? それって本にも載っていないような病気?」
「本に載っていないというか、それは聞かないほうがいいかと。というか、知らないほうがいいと思います。オリビア少佐はそのままでいてください」
「そっか。わかった」
聞くなというなら聞かないほうがいいのだろう。世の中には知らなくてもいいことなどたくさんある。たとえば妖精コメットが壊れたかまどを直していたと思っていたのに、ゼットが魔術を使って直していたこととかだ。そんなことを思い出していると、伝令兵が息を弾ませながら駆け寄ってきた。
「申し上げます。クラウディア中尉率いる二千の歩兵大隊、帝国軍の後背から突入を開始しました」
「わかった。さすがクラウディアは動きが早いね」
オリビアが感心していると、顔を引き締めたエヴァンシンが神妙に尋ねてくる。
「我々も動きますか?」
「うん、あんまりもたもたしていたら陽動部隊がやられちゃうし。突入のタイミングは私が指示するから、いつでも飛び出せるよう準備しておいて」
「はっ!」
パトリックが本隊を動かしてからすでに一時間。間断ない攻撃を加えるが、今だに決着がつかない。あと一歩のところで踏みとどまる第二軍に対し、僅かな苛立ちを感じ始めていた。
「……中々しぶといな」
「敵は方円陣を展開しています。どうやら完全に防御態勢に入ったようです」
「防御したところで死んだ兵が生き返るわけではない。必ず防御の薄い部分が出てくるはずだ。そこを重点的に攻めさせろ」
「それはそうですが、あれだけ優秀な将です。防御に徹せられるとそう易々とは」
アレッシーが険しい表情で言う。遠眼鏡を丘の上に向けると、天陽の騎士は徐々に押してきている。地の利は完全に相手側にあるが、どうやらクリストフは上手くやっているようだ。
(さすがの死神も対応に苦慮しているようだな。こちらはほぼ全ての騎士を繰り出しているのだ。そうでなくては困る)
パトリックが第二軍の防御陣を崩すべく策を巡らしていると、後続の部隊がにわかに騒がしくなる。そちらに視線を向けるのとほぼ同時に、伝令兵が息も絶え絶えに飛び込んできた。
「も、申し上げます! 背後より敵の奇襲! 本隊に向けて怒涛の勢いで迫ってきております!」
「背後からだと!? 数は?」
「およそ二千です!」
「二千? ──そうか、おそらく死神の別働隊だな。小癪な真似を」
パトリックは思わず手にしていた指揮棒を真っ二つに叩き折った。ジークハルトの合図を受け、親衛隊がパトリックの周囲を固め始める。
「まさかとは思いますが、我々が死神の部隊にほぼ全ての騎士を振り向けると見込んで部隊を分けていたのでしょうか?」
パトリックは首を横に振った。
「わからん。わからんがもし本当にそうだとしたら悪魔のような知恵者──いや、この場合は死神の知恵と言ったほうがしっくりくるか」
「どう対処します?」
「慌てる必要はない。すぐに残りの騎士を向かわせろ。鉄壁の防御を誇る天陽の騎士の構え、存分に見せつけてやれ」
「ですが増々本隊の防御……かしこまりました。すぐに向かわせます」
パトリックが一瞥すると、アレッシーはゴクリと喉を鳴らし、命令を即座に伝える。程なくして千からなる天陽の騎士団が迎撃に向かう中、別の伝令兵からもたらされた報告に、パトリックが怒声を上げた。
「左側面から死神が現れた?! 馬鹿も休み休み言え! 死神は今も丘の上で天陽の騎士団が押さえつけておるわッ!」
パトリックは唾を飛ばしながら丘に向かって指を突きつける。だが、伝令兵は納得しない。
「で、ですが銀髪に漆黒の鎧。伝え聞く容貌とうり二つです! な、なにより人間を両断するなんてことが普通の人間にできるわけがないッ!」
顔を真っ青にしながら叫ぶ伝令兵。途中から司令官に対して敬語を使うことも忘れるくらい動揺している。本来なら誰かが叱責を飛ばすはずなのだが、内容が内容だけに皆困惑した表情を浮かべるのみだ。
「お前は死神が二人いるとでも言いたいのかッ! そんな馬鹿な話があってたまるかッ!!」
激高するパトリックに向けて、アレッシーが静かに口を開く。
「考えられる理由はひとつしかございません。どちらかが本物でどちらかが偽物なのでしょう」
「本物と偽物……」
「結局のところ、我々は死神の手のひらの上で転がされていたということですな」
アレッシーがくつくつと自嘲気味に笑う。パトリックが唖然としていると、兵士たちから悲痛な叫び声が次々と上がる。声のした方向に慌てて視線を向けると、血濡れた銀髪の少女が血飛沫と共に姿を現した。手には黒い靄を漂わせる黒剣が握られ、鎧には禍々しい髑髏と大鎌の紋章が刻まれている。少女の姿を見た伝令兵は、悲鳴を上げながら転げるように逃げ出した。
「到着っと!」
少女は白い歯を見せながら周囲を見渡していく。それはまるで、哀れな獲物を探す捕食者だと言わんばかりに。
「閣下をお守りしろッ!」
ジークハルトの怒声と同時に、親衛隊が猛然と剣を繰り出す。少女はまるで花びらがヒラヒラと風に舞うかのようにかわすと、そのまま親衛隊の首を刎ねていく。あまりに速い一閃に、親衛隊は声を上げることすらかなわない。ただの肉塊になった体が次々と地面に倒れ伏す。気がつくとジークハルトを含めた親衛隊全ての亡骸が地面に散乱していた。
「ば、化け物めええぇぇ」
アレッシーがそう漏らすと、オリビアの視線が向く。
「化け物じゃないよ。私の名前はオリビア──なんだかこのセリフ、久しぶりに言った気がするなー。最近は死神としか呼ばれないから。あ! 別に死神って呼ばれることは嫌じゃないよ」
オリビアと名乗った少女は屈託ない笑顔で言う。眼前で繰り広げられた凄まじい剣技が、こちらこそ本物だと非情なまでに突きつけてくる。
「閣下、急ぎお逃げください。それくらいの時間は──」
「無理だとわかっていて言うものじゃない。今の剣技を見ただろう。一流の使い手である親衛隊が一瞬であのざまだ。ただの兵士が何人、何十人束になってかかろうともおそらく止められない。あれはもはやそういうレベルではない」
ローゼンマリーが重傷を負わされたのも今なら納得できる。パトリックとて己の剣に自信を持っているが、しかしながらそんな自信を一瞬で刈りつくされるものを見せられたのだ。おそらく単騎で止められるとしたら、蒼の騎士団を率いるフェリックスくらいだろう。そうパトリックは推察する。
「では、座して死を待つとでも?」
アレッシーが肩を震わせながら述べてくる。
「そうは言っていない。無論、抵抗はさせてもらう」
言ってパトリックは腰の曲刀を抜き放つ。ほぼ同時にアレッシーも剣を抜いた。
「では私も微力ながらお手伝いさせていただきます。恐れ多いことですが、あとはグラーデン元帥閣下に託しましょう」
「軍議の席で大見得を切っておいて実に情けない限りだ。情けないついでにアレッシーには冥府への道案内でも頼もうか」
「お任せを」
お互い顔を見合わせると声なく笑う。
「──もうお話はいいの?」
「ああ、待たせたな」
「一応聞くけど降伏する気はないかな? 紅の騎士にも言ったことだけど、降伏すれば命は助けるよ」
意外にもオリビアが降伏を進めてくる。今さら虚言を弄するとも思えないパトリックは、死神らしからぬ申し出に驚いた。
「ではこちらも聞くが、降伏勧告をして紅の騎士団は受け入れたのか?」
「ううん」
オリビアはあっさりと首を横に振る。
「なら天陽の騎士団も受け入れるわけにはいかないな」
「そっか。じゃあ殺すね」
アレッシーが裂帛の気合いと共に剣を突きつける。オリビアはあっさりとかわすと、腹部に黒剣を突き刺した。どす黒い血を吐きながらも、アレッシーは身を引こうとしない。それどころか自ら剣に突き刺さりに行くかのごとく足を前に進める。その様子にオリビアはわけがわからないといった感じで目を丸くしていた。やがてオリビアに密着したアレッシーは、両腕を腰に回しながら叫んだ。
「い、今です! 私ごと貫いてくださいッ!」
「でかしたッ!」
パトリックは即座に剣を水平に構えると、体重を乗せて最速の一撃を放った──
「うーん。捨て身の戦法ってやつかな? 考えは良かったけど、私を拘束するつもりならもっと鍛えないとダメだよ」
オリビアの左手には首をへし折られ、白目をむいているアレッシーの姿。そして、右手に握られている黒剣はパトリックの胸を深々と貫いていた。
「ア、アレッシー……すまん」
全身の力が急速に抜け、首がガクリと落ちるパトリック。視界が暗黒に染まっていく中、オリビアの楽しげな声が耳に響いてくる。
「さっきから気になっていたんだけど、なんだか珍しい形の剣を使っているよね。これ、私がもらってもいいかな?」
パトリックがその質問に答えることは永遠になかった。




