第六十九幕 ~狂乱のアストラ砦~
──アストラ砦 ガイエル大佐の執務室
「大佐、いい加減お休みになってください。差し出がましいことを申し上げますが、少し働き過ぎです」
空になったティーカップを下げながら、側近であるヴィムが気遣いの言葉をかけてきた。柱時計に視線を移すと、針はすでに深夜であることを示している。ガイエルはペンを置き、大きく息をついた。
「そうもいかないだろう。閣下が戻って来たときに『なんだ、この体たらくは?』などと、言われたくはないからな」
そう言って自嘲気味に笑っていると、ヴィムは即座に大きく首を振る。
「ローゼンマリー閣下がそのようなことを申すとはとても思えません。それこそ無理をして大佐が倒れられてしまったら、ローゼンマリー閣下に合わす顔がございません。なにとぞ体をご自愛ください」
ヴィムは深々と頭を下げてきた。このまま話を続けても平行線をたどるだけだろう。
「……わかった。では少しだけ休ませてもらおうか」
「少しとは言わず、しっかりとお休みください」
ヴィムは扉を大きく開けると、追い立てるように敬礼をする。ガイエルは内心で苦笑しつつ、自室へと向かっていった。
ひと時の眠りについていたガイエルは、バタバタと廊下を行き交う複数の足音で目を覚ました。窓の外に目を向けると空が僅かに白み始めている。何か問題でもない限り、こんな時間に兵士たちが動き回る理由はない。
「異変か?」
ベッドから飛び起き軍服に袖を通していると、血相を変えた衛兵が飛び込んできた。
「き、奇襲ですッ!」
ガイエルは眉を吊り上げた。
「奇襲だと? 相手は第七軍か!」
「違います! 王国軍の兵装ではありません! どこか別の国の軍隊かと!」
衛兵の言葉を訊いて、ガイエルは思い切り顔を歪めた。
大陸統一戦争が始まってからすでに四年。
今や帝国に逆らう国もなく、王国を滅ぼせば数年のうちに大陸統一はなるだろうと踏んでいた。だが、紅の敗北を知ったどこかの国が、牙を突き立てるべく動き出したのかもしれない
そう考えると、ガイエルの肩は鉛でも乗せられたかのように重くなった。
「──現在の状況は?」
「敵はすでに砦に入り込んでおり、乱戦状態となっておりますッ!」
「馬鹿なッ! なぜ易々と侵入を許したッ!」
アストラ砦の城門は黒硬石が使われている。たとえ破城槌を用いようとも、一朝一夕で破壊することなどできようはずもない。
「そ、それが……」
衛兵の目が激しく泳ぎだす。それだけで尋常ではないことが起こったのだと察した。
「何があった?」
「は、はい! 城門の警備に当たっていた兵士が、門塔に詰めていた同僚を殺害。閂を破壊し、城門を開け放ったとのことです。それと同時に敵が雪崩れ込んできました」
「それは帝国の兵士が、誇り高き紅の兵士が裏切ったということかッ!?」
衛兵は額に汗を滲ませながら小さく頷いた。
「ここまでの状況を見るに、内通者であることはほぼ間違いないかと」
内通者。この信じがたい発言にしばし呆然としていると、衛兵はさらに言いにくそうに口を開く。
「それと裏切った兵士たちですが、その……人間とはとても思えない力と素早さで……それで凶行を止めようとした兵士はあっさりと返り討ちにあって……そう、あれはまるで獰猛な獣そのものです」
「…………」
「ガイエル大佐、ご命令を」
「まずは状況をこの目で確かめる。話はそれからだ」
ガイエルはベッドの脇に置いてある剣を腰に差すと、足早に部屋を後にした。
城門が大きく開け放たれ、一気に砦へと雪崩れ込んだ聖翔軍。味方の裏切りと奇襲により、紅の騎士団は大混乱に陥っていた。
その仕掛け人であるアメリアは、紅の兵士を十人程斬り伏せた後、刃にドロリと付着した血をペロリと舐める。
「紅の騎士団と言っても所詮は山猿ですか。大人しく山に籠っていればいいものを」
激しく剣を交える両軍を眺めているアメリアに、ひとりの衛士が近づいてきた。
「アメリア千人翔、奇襲は大成功です。現在、我が軍が圧倒的有利に事を進めています」
「──それで、何か用ですか?」
「はっ! 第二目標である食料備蓄庫を発見しました」
アメリアは髪をかきあげる。
「ではすぐに火を放ちしなさい。一欠けらの食料も残すことは許しません。万が一失敗したら──わかっていますね」
「はっ!」
衛士は二本指を立てて敬礼すると、駆け足で去っていく。その姿を横目で見つつ、左手の甲。青く明滅する魔法陣を眺める。
「そろそろお人形さんも限界ですかね」
アメリアは咆哮を上げている兵士を一瞥すると、ひとり砦の中へと向かっていった。
部屋を後にしたガイエルは、監視塔を目指して螺旋階段を上っていく。やがて黎明の光と共に目に飛び込んできた光景。それは広場の中心で獣のような咆哮を上げながら、デタラメに槍を振り回す兵士の姿だった。
「奴がそうか?」
「はい、死んでいなければどこかにもうひとりいるはずです」
そう言いながら、衛兵が遠眼鏡を差し出してきた。ガイエルは乱暴に受け取ると、食い入るように覗き込む。遠眼鏡越しに喉笛を噛み千切っている兵士の姿を捉えた。
「あれか……どう見ても正気とは思えない。あれでは本当に獣──ん?」
不意に違和感を覚えて遠眼鏡を下に向けた。両軍激しく入り乱れる中、青髪の女が悠然と歩きながら砦の中へと向かっていく。その彼女の手から青く明滅する光をガイエルは確かに見た。
「あの手の光は何だ? ……まさか?!」
いつの間にか、喉にたまった唾をゴクリと飲み込む。
「どうされました?」
「全軍に伝えろ。不意を突かれたとはいえ、敵の数は決して多くはない。当然地の利もこちらにある。紅の騎士の威信にかけて敵を撃滅せよと」
「はっ! ──ところでガイエル大佐はどうなさるおつもりですか?」
「しかと伝えたぞ」
「ちょっ! 大佐! ──」
背後から呼び止める衛兵の言葉を無視して、ガイエルは螺旋階段を一足飛びに降りて行った。
砦の内部に足を踏み入れたアメリアは、目につく扉を次々と蹴り破っていく。その度に襲いかかってくる紅の兵士を存分に斬り伏せていった。
「ここは兵舎塔のようですね。だとしたらもっと奥でしょうか?」
血のりのついた剣を振り払い、無人の野を行くが如く歩を進めていく。兵舎塔を通り抜け、向かい側に別の塔の入口が見えてきたところでアメリアは足を止めた。
「まるでネズミのようにチョロチョロと……それに随分と偉そうな人も出てきましたね。その白髪と灰色の瞳。もしかして、あなたがガイエル大佐ですか?」
「──ッ?! なぜ私の名を知っている?」
ガイエルの表情は強張っている。紅の兵士たちが剣を向けてくる中、アメリアは事もなげに答えた。
「梟に調べられないことなど何一つありません」
「梟だと? 貴様一体どこの国の軍隊だ」
聞いたガイエルに、アメリアは隠すことなく真実を伝える。
「神国メキアです」
「神国メキア……確か聖イルミナス教会の総本山が鎮座している国だったな?」
「その通りです。女神シトレシアに祝福された素晴らしい国です」
「──解せないな。なぜ素直に答えた?」
アメリアは小首を傾げた。
「素直に答えてはいけなかったのですか?」
「今の話を訊いて帝国が貴様の国を放置しておくとでも思っているのか?」
ガイエルは胡乱げな目で見つめてくる。
「ああ、そういうことですか。とても簡単なことです。それを知ったところで、あなたたちは誰に話すこともできませんから」
その言葉を皮切りに、ガイエルを含めた紅の兵士が走り寄ってくる。敵は全部で五人。アメリアは唇をチロリと舐め、ガイエルたちに向けて左手を突きだす。体内の魔力を魔法陣に注ぎ込むと、青い光を放ち始めた。
「ガイエル大佐?! か、体がッ?!」
「き、貴様ッ! 一体我々に何をしたッ!」
「随分とつまらない質問をするのですね。魔法士が魔法を使う。至極当然のことをしたまでです」
必死に体を動かそうとしている兵士たちに向けて、アメリアは次々と心臓に剣を突き立てていく。彼らは恐怖に顔を歪ませ、絶望の雄叫びをあげながら絶命した。
「あとはガイエル大佐ただひとりですが……驚きました。少し動けていますよね? 多少は素養があったということでしょうか?」
剣を振りぬこうともがいているガイエルの耳元で、アメリアは囁いた。
「き、貴様の思い通りになどッ!」
「急所は僅かに外しておきます。おそらく五分くらいは生きていられるでしょう。探す手間が省けたので感謝の気持ちです」
言ってガイエルの腰を抱くように手を回すと、心臓から少し離れた位置目がけ刃を突きあげた。肉を割く程好い感触と共に、ガイエルの肩がビクッと跳ねる。
「…………」
「悲鳴ひとつあげないのは立派です。さすがはベルリエッタ卿の副官といったところでしょうか? では女神シトレシアのご加護があらんことを」




