第六十三幕 ~炎の壁~
──第七軍、本陣。
「急に招集をかけたのはほかでもない。敵に大きな動きが見られたからだ──オットー副官、皆に状況説明を」
「はっ!」
オットーは立ち上がると、居並ぶ将校たちの前で説明を始める。内容は敵の本隊と思わしき部隊が、パラレナ河の下流付近に陣を構え直したという話だ。
しかも、本陣の兵力は僅かに三千だという。付近を索敵した斥候部隊の報告によれば、本来護衛すべき部隊の影も形もなかったとのこと。
「敵が本陣を構えた場所は、カルナック渓谷でもひらけた場所です。紅の騎士団は明らかに山岳戦に長けており、我が方は苦戦を強いられております。にもかかわらず自ら利を捨てるなど、正気の沙汰とは思えません。さらには護衛部隊もつけず僅か三千の本陣をさらすとは……全く意味がわかりません」
古参の将校が疑問を呈すると、居並ぶほとんどの将校が同意を示す。ただ、アシュトンだけは様子が違った。何かを考えているかのように、机に広げられた布陣図をジッと見つめている。
ちなみにオリビアはというと、布きれで自分の鎧をせっせと磨いていた。どうやら相当気に入っているらしい。オットーが冷たい視線を飛ばしてくるので、クラウディアは小声で注意する。一旦は止めるのだが、またすぐに磨き始める。先程からこの繰り返しだ。
「確かに意味がわからないが、今が絶好の好機と言えるのではないか?」
「その通りだ。一気に本陣を襲えば、敵の総司令官を討ち取ることも可能ではないか。パウル閣下、ここは進軍するべきです」
「私もその意見に同意します」
将校たちから次々と進軍すべしとの意見が述べられていく。このままだと本陣急襲に話が流れていきそうだ。
パウルはしきりに顎を撫でていたが、突然アシュトンに話しかける。
「アシュトン准尉はこの状況をどう見る。忌憚なき意見を述べたまえ」
「は……これは確実に罠だと思われます。安易に進軍すべきではありません」
そう言い切ると、アシュトンは敵の本陣に見立てた旗を布陣図に配置する。全く真逆の意見に対し、異議を唱える者は誰もいない。
これまでの実績がそうさせないのだろう。軍議の席でアシュトンをあれだけ嘲笑したホスムントも、今では真剣な表情で耳を傾けていた。
「総司令官がなぜことさらに無防備さを強調するのか。確かに一見すると、我々が敵の本陣を叩く絶好の機会を得たように見えます。ですが、そこにこそ敵の辛辣な罠が隠されています」
さらにアシュトンは、旗を囲むように黒駒を並べていく。
「このように敵は本陣から離れた位置に部隊を伏せていると思われます。斥候が本陣付近に敵を確認できなかったのはそのためです。そうとも知らず、我々がのこのこと姿を表したら──」
旗の前に置かれた白駒を囲むように黒駒を移動し始める。将校たちの視線が黒駒へと集中していく。
「我々が本陣を落とすべく集中している間に、敵は伏せていた部隊を一斉に投入。一挙に包囲殲滅を計るというわけです。おそらく本陣と部隊の距離は一時間程度を目安にして配置されているはずです」
「つまり、一時間程度であればこちらが全戦力を投入したとしても十分防ぐことが可能だと。敵の総司令官はそう考えていると言いたいのだな?」
パウルは目を細めながら言う。事実であれば随分と舐められているようにも聞こえるが、実際それだけの力を紅の騎士団は有している。
この如何ともしがたい差は一朝一夕で埋まるものではない。
「パウル閣下のご推察通りかと思われます。おそらく敵の本陣は精鋭部隊で固められているでしょう」
「アシュトン准尉の言っていることは理解できるが、なぜ今になってこのような策を? そんな危険な真似を冒さずとも、奴らは十分勝っていたではないか」
誰もが思うであろう疑問を、若い将校がぶつけてきた。こちらの兵力はすでに二万を切っている。確かにあえて危険な策を弄せずとも、紅の騎士団の優勢に変わりはない。独立騎兵連隊が局地的な勝利を積み重ねても、全体的に第七軍が劣勢なのは誰が見ても明らかなのだから。
そうクラウディアが思っていると、隣から鈴の音のような声が響いてくる。
「それはね。独立騎兵連隊が目障りになってきたんだよ。いつの間にか敵の少将もぶっ殺しちゃったみたいだし。だからさっさと潰したいんだよ。出る杭はぶっ叩かれるって言うでしょう?」
オリビアが鎧を拭きながら楽しそうに答えた。少将という言葉に反応したのか、ホスムントがブルリと体を震わす。
アシュトンは頭を掻きながら苦笑した後、再び口を開く。
「オリビア少佐の言う通りです。どうやら我々が考えている以上に、敵は独立騎兵連隊を高く評価している模様です。おそらく今回の罠も、独立騎兵連隊を潰すために考えたように思われます」
将校たちがざわめく中、パウルは納得したように大きく頷いた。
「なるほど。確かに独立騎兵連隊の力は突出している。わしがそう思うくらいだから、敵が脅威を感じるのは至極当然のことだな──オットー副官」
「はっ、そういうことであれば、やりようはいくらでもあります。要するに敵の罠にかかったと思わせて、こちらの罠に誘い込めばいいのですから」
「よし、オットー副官はアシュトン准尉と共に至急策を練り上げろ」
「はっ!」
「……はっ!」
(それにしても、アシュトンは随分と成長したな。少し前までのオドオドとした雰囲気はすっかり影を潜めた。だが……)
死んだ魚のような目で敬礼するアシュトンの姿に、クラウディアは噴出しそうになる笑いを必死に抑えるのだった。
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──紅の騎士団、本陣。
「くくっ、一度ならず二度までもしてやられたというわけか。これは終生に残る失態だな……」
ローゼンマリーは遠くで逆巻く炎の壁を見渡しながら呟く。当初の計画通りに敵をおびき寄せたまではよかった。敵の兵力はざっと見積もって一万強。一時間程度であれば十分耐えうることが可能だった。
だが、戦いが始まるや否や本陣を囲むように炎が燃え上がり、状況が一変した。これでは周囲に展開させていた部隊が戻ってきても、近づくことすらできない。大雨でも降らない限り、当分は燃え続けるだろう。
完全にこちらの裏をついてきた見事な策だった。
「それにしても本当にすごいよね。ここに長居したら私も一緒に燃えちゃいそう」
血の海に沈む親衛隊を前に、目の前の少女は軽やかにステップを踏みながら体をフアリと回転させる。その姿は舞踏会で優雅に踊っているかのようだ。
「能天気な女め……お前が死神オリビアだな」
腰まで伸びる艶やかな銀色の髪。そして、白磁器のような白い肌と人形めいた精緻な顔立ち。さらには死神を象ったとしか思えない紋章が刻まれた漆黒の鎧。極めつけは黒い靄を纏う漆黒の剣。噂に聞いていた容貌と完全に一致している。
なにより、赤子の手を捻るように親衛隊を斬殺する少女がそうそういるわけがない。
「死神じゃないけどそうだよ。あなたが総司令官でしょう? ようやく会えたって感じだね。ところで、私の伝言は訊いてくれた?」
「あれか。あれは実に傑作だった。だからこそ、オリビアをここに招待したんだ。もっとも少々予定が狂っちまったが──そうそう、あたいをぶっ殺すんだろ?」
「うん、そうだよ」
満面の笑顔で答えるオリビア。いっそ清々しいまでの返答に、ローゼンマリーも頬を緩ませる。
「実はあたいの目的も、ある意味オリビアと一緒なんだ。お互い気が合うと思わねぇか?」
そう言いながら、ローゼンマリーはゆっくりと剣を抜き放つ。鋼色の剣が仄かに熱を帯び始め、次第に赤く染まっていく。
オリビアも柄に手をかけると、再び漆黒の剣を抜いてきた。
「うん、なんだかとっても気が合うみたい。ね、あなたの名前を教えてくれる?」
「そうだな。冥府への手土産に教えてやろう。あたいの名はローゼンマリー・フォン・ベルリエッタだ。女同士仲良くしようじゃないか」
「ローゼンマリー・フォン・ベルリエッタさんか。私はオリビア・ヴァレッドストーム。こちらこそ仲良くしてね」
お互い微笑んだ直後、共に地面を蹴り上げる。甲高い金属音が鳴り響き、激しく剣が交差した。




