第六十幕 ~狩りの季節~ 其の壱
ローゼンマリーは主に部隊を中隊規模に編成し、渓谷全域に展開させた。起伏のとんだ地形を活かして、近接戦闘を主とした攻撃態勢を敷いた。
一方のパウルは、長弓兵を中心とした部隊を展開。一撃離脱を旨とした策を打ち出す。まともにぶつかっては、さすがに分が悪いと判断した。
だが、両総司令官の思惑とは異なり、戦いは次第に乱戦模様となっていく。会戦二日目にして、カルナック渓谷特有の深い霧が発生したためだ。
結果として両軍共に視界が奪われる形となり、各所で遭遇戦が頻発する。
乱れる足音、激しい息遣い、怒号と悲鳴。剣の打ち合う音が響き、矢が四方八方に乱れ飛ぶ。兵士たちは盛りが終わった花のように命を散らし、泥の中へとその身を埋めていく。時間が経過すると共に、双方九割以上の死者を出す部隊も現れ始めた。遭遇戦ゆえの無秩序ぶりを表していると言っていいだろう。
そんな戦いのさなか。王国軍の後背を突くべくニ千の部隊を率いていたミルズ・ベーメンブルク少佐は、対岸で休息している敵部隊を眼下に捉える。
霧が深いため正確な人数は把握できないが、数はおよそ百人程。幸いなことに、こちらに気づいている様子はなかった。
(この霧が功を奏したな。本来なら隠密行動中のため無視すべきだが、あの程度の人数なら一気に……ん? あ、あれは噂の死神オリビアじゃないか!)
思わず声を上げそうになり、慌てて口を塞ぐ。死神の紋章が刻まれているという漆黒の鎧に、帝国ではあまり見ることない銀髪。そして、人の生き血を吸うとまことしやかに囁かれる黒い靄を纏う漆黒の剣。
今や紅の騎士団で、死神オリビアの名を知らぬ者は誰もいない。すぐにこの場を離れるよう指示を出すと、副官レイモンドが待ったをかけてきた。
「少佐、落ち着いてください」
「俺は冷静だ。貴様こそ任務を忘れたわけではあるまいな。ここで死神と戦って無駄に兵を失うわけにはいかん。ボルマー中佐の最後は、貴様も耳にしているはずだ」
「もちろん承知しています。ですが、奴らはこちらに全く気付いていません。見る限り、兵も僅か百人ばかり。さすがの死神とて、この人数で強襲すれば必ず討ち取れるはずです。さすれば敵の士気は大いに下がりましょう。武功第一の栄誉は少佐のものです」
武功第一。その言葉にミルズの心は大きく揺らぐ。元々王国軍の後背を突く重要な任務に志願したのは、武功を上げるためだ。
再び死神に視線を向けるも、やはりこちらに気づいた様子は見られない。完全に隙をさらしている姿に、功名心が一気に膨れ上がる。
二男であるミルズには、ベーメンブルク家の領地を継承する権利がない。世の理とはいえ、長男というだけで自分よりも無能な兄が全てを引き継ぐことがなによりも許せなかった。
だからこそ、この戦いで武功を上げて出世する。そして、ゆくゆくは帝国にその名を轟かせ、兄を自らの足下にひれ伏させる。
それこそが今のミルズの野望だった。
「この機会は二度訪れることはございません。どうか良きご判断を」
甘い色香を放つ女性のような囁きが、ミルズの耳に滑り込む。
「……レイモンドの意見を是とする。全隊、突撃準備」
ミルズは剣を抜き放つと呼吸を整え、一気に手を振り下ろす。斜面を滑るように駆け下り、死神の部隊に襲いかかった。
「──ッ!? 敵襲だとッ!?」
「みんな、ここは一旦引くよ! 敵の数が多すぎる!」
オリビアの号令と共に、敵は山の中へと逃げ込んでいく。余程動揺していたのか、剣や食料などが入っているであろう鞄を放置する有様。
その無様な姿を見たミルズは、思わず笑みを浮かべた。
「はははっ! さすがの死神もこの人数差では逃げざるを得ないか! だが、逃がさん! 一気に河を渡って奴らを追い詰めるぞッ!」
「「「応ッ!!!」」」
ミルズの鼓舞を受け、兵士たちは次々と河に入っていく。見た目通り浅瀬で底が透けて見える。これなら追いかけるのに全く支障はない。
あまり時間もかからずに追いつけるだろう──そう軽く考えていたが。
「うわああっ!」
「さっきから足が滑って立ち──」
河の中腹あたりに差し掛かったところで、方々から声が上がり始める。水深は精々腰の下くらいなのにもかかわらず、流される者が続出している。
そういう自分も気を抜けば、あっという間に体を持って行かれそうだ。
「本当だ。ガウスの言った通りになったね!」
「でしょう? このパラレナ河は見た目に騙されると非常に危険なんですよ。藻が大量に生えているんで、足を簡単に取られます。しかも、中腹は流れが恐ろしく早い。この河のことをよく知っている人間なら、身一つで渡ろうなどと絶対に思いませんぜ」
「なんだか見ていると凄く楽しそう。ね、私もためしに入ってみてもいいかな?」
「それは絶対に止めてください。隊長なら問題ないと思っちまう自分もいますが、後でクラウディア中尉に怒られたくありませんから」
「う、うん止めとく。知ってる? クラウディアは時々夜叉になるんだよ」
いつの間に戻って来ていたのか。河岸に立っているオリビアに、ガウスと呼ばれた隻眼の兵士が得意げに話しかけている。
その間にも山の中から続々と弓を抱えた王国兵士が駆け下りてくる。ざっと見ても千人以上いるのは間違いない。
事ここに至って、これが敵の仕掛けた罠であったことをミルズは悟った。
「お、おのれえぇえぇええっ!」
「さあ、みんなの出番だよ。頑張ってね」
「「「応ッ!!!」」」
オリビアが手を振り下ろすと同時に、凄まじい数の矢が飛んできた。まともにかわすこともできず、次々と矢に射抜かれる兵士たち。
次第に河が赤く染まっていく中、近くで叫び声が上がった。声のした方向に目を向けると、若い兵士が兜を脱ぎ棄て狂ったように髪を掻き毟っている。
「貴様、無様な醜態をさらしおって。それでも紅の兵士か。恥を知れ!」
そう言いながら、壮年の兵士が狂乱した若い兵士を諌めるべく羽交い絞めにする。そんな彼らにも容赦なく矢は降り注ぎ、力なく下流に向かって流されていく。
このままだと全滅も時間の問題だ。
「ミルズ少佐ッ!」
「わかっている。口惜しいがここはすみやかに後退し、部隊を再編する。このままでは何の抵抗もできず、ただただ死を待つばかりだ」
だが、その考えが甘かったことをミルズはすぐに知る。後退すべく背後を振り返ると、すでに後方の河岸も王国兵士によって固められていた。
白銀の鎧に身を固めた騎士らしき女が、勇ましく号令をかけている。
「くっ! 網にかかった魚は一匹たりとも逃がさないということか」
おそらく霧に紛れてどこかに潜んでいたのだろう。河を渡ることに夢中になるあまり、全く気付けなかった。
下手な功名心を出したことを後悔するが、今さら手遅れだ。
「どうする? 降伏するなら命は助けてあげるけど?」
「降伏? 降伏だと? ──紅の騎士団に降伏の二文字はないッ!」
息も絶え絶えに岸にたどり着いたレイモンドが、怒りの雄叫びを上げながら斬りかかる。オリビアはなんなく剣をかわすと、抜き身すら見えない一閃を放った。
首を失った胴体が血飛沫を吹き上げながらゆっくりと倒れ伏す。
「もう一度言うよ? 降伏するなら命は助けてあげる。本陣の場所とか教えて欲しいから」
オリビアは血のりを振り払うように剣を振ると、再度降伏を呼びかけてきた。その言葉を訊いたミルズは一笑に付す。
ここまでされて降伏するなど、たとえ天地がひっくり返ってもあり得ない。第一それではローゼンマリーに対し、顔向けできない。
(もっとも、今の状態でも十分顔向けはできないが。まさかこんなところで俺の野望が潰えることになろうとは……)
最早本来の任務は遂行不可能。後は刺し違える覚悟で死神を屠るまでだ。
「貴様はさっきの話を訊いていなかったのか? 誇り高き紅の騎士団に、降伏の二文字はないッ!」
ようやく岸にたどり着いたミルズは、オリビアの脳天目がけ剣を振り下ろす──と見せかけて、右足を大きく後ろに引き、猛然と突きを放った。
だが、オリビアは全く動じた様子を見せない。切っ先が胸に達しようとした瞬間、舞うように体を回転させながら背中に強烈な一撃を放ってきた。
直後、臓腑をぶちまけながらミルズの上半身は地面に転がった。
「ねぇ。もう一回聞くけど、本陣ってどのあたりにあるのかな? あなたがこの部隊の指揮官でしょう? 知らないはずないよね?」
「……馬鹿……言う……」
オリビアが再び質問をしていると、横からガウスが呆れたように口を開く。
「隊長、もうこうなったらまともに口を訊くことなんかできやしませんぜ」
「そっか。じゃあ残りの敵もさっさとぶっ殺して、次の獲物を探さないとね」
オリビアは剣を鞘に納めると、背中のバリスタに手を伸ばす。
「このガウス。隊長にどこまでもお供しますよ」
──それから三十分後。
オリビアの放った矢が最後の兵士を貫いた。視線の先には真紅の鎧と血で埋め尽くされ、真っ赤に染まったパラレナ河。
まるで赤い絨毯を敷き詰めたみたいだと、オリビアは無邪気に微笑んだ。




