第五十三幕 ~英雄と騎士~ 其の弐
(ん? ……何か仕掛けるつもりだな)
重心を落としたオリビアを見て、ボルマーは油断なく戦斧を構える。こちらの攻撃を耐えうる力に、軽業師のような身のこなし。
それだけでも、オリビアは間違いなく強者と言えた。わけのわからないことをほざく様子からして、まだまだ余裕もあるのだろう。
決して侮っていい相手ではない。
──だが、化け物と騒ぎ立てるほどでもない。
オリビアがどんな攻撃を仕掛けてこようと、ねじ伏せることはできるとボルマーは判断した。しかし、その判断が甘かったことをすぐに知る。
タンッ! と軽快な音と共に、いきなりオリビアが目の前に現れたからだ。
「──ッ!?」
それは数々の修羅場を潜り抜けてきたボルマーならでの反応だった。生存本能といってもいい。
自分でも気がつかないうちに、首に伸びていた漆黒の剣を戦斧で防いでいた。一瞬でも反応が遅れていたら、間違いなく首が地面に転がっていただろう。
その状態のまま、ボルマーとオリビアの力比べが始まる。
「うおおおおおおおおおおっっ!!」
ボルマーは歯を思い切り食いしばりながら、戦斧に力を込めていく。先程のような小手調べではなく、一切遊びのない全力。
これが普通の敵なら、とっくに地面に潰れている。だが、オリビアの体は石像のようにピクリとも動かない。
さらには笑みまで浮かべている。不安、焦燥──そして、恐怖。様々な負の感情が、ボルマーの心を徐々に浸食していく。
否定したばかりの言葉が、脳内を駆け巡っていく。
「今度は私の番だね」
そう言うと、オリビアは戦斧越しに剣を振りぬいた。攻守ところを変え、今度はボルマーが空中に吹き飛ばされる形となった。
(俺の巨体を空中に吹き飛ばす!? 馬鹿なッ! あり得ない!)
ボルマーは激しく動揺した。それでもこのまま地面に落ちるのはまずいと判断し、受け身をとるべく体勢を立て直そうと試みる。
だがそれは、鈴の音のような声が聞こえたと同時に阻まれた。
「まずは右腕」
「ぐおおおおおおっっ!!」
突然右腕が斬り落とされ、絶叫するボルマー。最早受け身を取ることなどできるはずもなく、背中を地面に強打した。
「カフュッ!」
肺から全ての空気が絞り出されたかのように、口から息が漏れ出す。気を失わなかったのは、切断された右腕の激痛のおかげか。
浅い呼吸を繰り返しながら体内に充分な空気を送り込むと、戦斧を杖替わりに何とか立ち上がることができた。
何の重さも感じていなかった自分の体が、今では鉛のように重く感じる。
(くそッ! 奴は! 奴はどこに行ったッ!)
必死にオリビアの姿を探していると、背後から心臓を鷲掴みにするような声。
「次は左腕」
「ぐぅぁぁぁぁぁああああ!!」
振り返った途端、戦斧を握った左腕が高々と宙に舞った。地面に新たな鮮血が流れ落ちる中、さらに右足、左足と呪詛のようなオリビアの言葉が続いていく。
痛みの感覚で脳がマヒし、最早まともに思考が働かない。途中から自分の体がどういう状態なのか、どうでもいいと思えるほどに。
ふと気がつくと、眼前に美しい蒼天が広がっていた。
「どうかな? ここに来る途中、達磨にされた王国兵を見かけたから、同じようにしてあげたんだけど。気に入ってくれたかな?」
蒼天を塞ぐようにオリビアが顔を覗き込んでくる。銀糸のような髪が肩から零れ落ち、ボルマーの鼻をくすぐった。
「ぁ……ぅ……ぁ……」
「もう私の声は聞こえていないかな。やっぱり先にお礼を言っておいてよかった──じゃあ、ゼットに美味しく食べられてね」
近づいてはいけなかった。
触れてはいけなかった。
──まさに化け物。
オリビアは黒い靄を纏う剣をゆっくりと振り上げる。その姿を半分閉じられた目で見つめながら、己の甘さに内心で唾を吐いた。
「オリビア連隊長が、敵指揮官を討ち取ったぞッ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおっっ!!!」」」
独立騎兵連隊の面々が、一斉に雄叫びを上げる。一方、紅の騎士団は一様に目を大きく見開いていた。
ボルマーの敗北が信じられないといった様子だ。
オリビアは息をつくと、空を見上げた。
鴉が一羽、大空を優雅に飛んでいる。
「私のプレゼント。ゼットは受け取ってくれたかなぁ」
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ラミアは剣を垂直に振り下ろし──真横へと軌道を変える。女は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに後ろへと飛び退かれてしまう。
虚実を織り交ぜたラミア得意の剣技は、僅かに鎧を傷つけるにとどまった。類まれなる女の身体能力に、ラミアは素直に舌を巻く。
「本当にやるなぁ。お前、今からでも帝国軍に鞍替えしないか? それほどの腕をむざむざと失うのは惜しい。なんなら俺が口を訊いてやってもいいぞ」
ラミアが真面目にそう言うと、女は眉を顰める。
「私も随分と見くびられたものだな。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。そんな話を本気で受けると思っているのか?」
「おいおいおい! 俺は親切心で言っているんだぞ? この先どう考えても王国に未来はねぇ。それとも破滅願望でもあるのか?」
わざとらしく手を広げてみせるラミアに対し、女は肩を竦めながら鼻で笑う。
「私は誇りあるファーネスト王国の騎士だ。旗色が悪いからといって、鞍替えするような下賤な心など持ち合わせてはいない」
「……どうあっても帝国に鞍替えする気はないと?」
「ふん。どうやら同じ騎士でも、お前たちは紛い物らしいな」
そう言うと、女はラミアに剣を突きつけてきた。まるで紛い物は斬り伏せると言わんばかりに。
「へぇ……言うねぇ……じゃあ、用はねぇからさっさと死ねやッ!」
地面を蹴り上げ女の懐に飛び込むと、無数の斬撃を繰り出す。だが、女は全ての斬撃を見切り、受け止めてくる。
身体能力もそうだが、目もかなりいいのだろう。精々髪の毛を数本斬り飛ばすのがやっとで、一向に傷を負わすことができない。
次第にラミアの頭に血が昇っていく。
「ちっ!」
左足を強く踏み込むと、再び剣を垂直に振るい──真横へと軌道を変える。
「その剣筋はさっき見せてもらったッ! 二度も通じると思うなッ!」
女は地を這うように深くしゃがみ込むと、足払いを仕掛けてきた。逆に虚を突かれ、判断が一瞬遅れてしまう。
そのため回避が一歩間に合わず、勢いよく地面に倒れてしまった。その隙を逃すはずもなく、すかさず剣の切っ先が喉元に突きつけられた。
「勝負あったな」
女が乾いた声で言う。
「あーあ。負けちまったか──さっさと殺せ。もっとも、どうせお前もすぐに俺の仲間入りだ。化け物指揮官を屠った中佐の手にかかってなあああっ!!」
ラミアはあえて挑発するような言葉をかけた。心の乱れの隙をつき、ここから逆転劇を演じるために。
だが、突きつけられた切っ先は僅かな揺らぎもみせない。女は深く息を吐くと、冷徹な視線を向けながら口を開いた。
「……お前は二つ、大きな勘違いをしている」
「ああ?」
「まずひとつ目。お前の言う中佐とやらは、もう冥府へと旅立っているだろう。せめてあの世では、騎士の名に恥じぬよう忠義を尽くせ。そして、二つ目。少佐は断じて化け物なのではない。少佐は、オリビアは──英雄だッ!!」
突き立てられた剣は、ラミアの喉を深く、深く貫いていった。
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