第九十六幕 ~宣戦布告~
──神国メキア 神都エルスフィア ラ・シャイム城
「聖天使様ご到着!」
衛士の高らかな声が響き渡り、女神シトレシアの彫刻が施された扉が厳かに開かれた。煌びやかな純白の衣装に身を包んだ聖天使ことソフィティーア・ヘル・メキアは、銀製の錫杖片手に居並ぶ衛士たちの横を優雅な足取りで歩いていく。
時に、戦乱渦巻く光陰歴一千年。
ストニア公国による宣戦布告を正式に受け、ラ・シャイム城にて軍議が開かれた。【神霊の間】と名付けられた会議室に集まったのは、
ラーラ・ミラ・クリスタル聖翔。
ヨハン・ストライダー上級千人翔。
アメリア・ストラスト千人翔。
ゼファー・バルシュミーデ上級百人翔。
そして、とくに知略や武勇に秀でた上級百人翔。俗に十二衛翔と呼ばれる者たちを加えた計十六名である。
彼らは一斉に立ち上がり、二本指を立てソフィティーアを迎える。ソフィティーアは従者が引いた椅子に腰かけると、全員に着席を命じた。
「すでにご存じの通り、我が国はストニア公国に宣戦布告を受けました。もちろんわたくしは全力をもって迎え撃つ所存です」
ソフィティーアの言葉に、一同が神妙に頷く。その中にあって、 ひとりの上級百人翔が発言を求めて手を挙げてきた。ソフィティーアは軽く頷くことで発言の許可を与える。
「聖天使様、周知の通りストニア公国はアースベルト帝国の属国。彼らが裏で糸を引いているのは疑いようもありません」
「おっしゃる通りです。帝国はアストラ砦の奇襲が神国メキアの仕業であると気づいたのでしょう」
でなければ縁もゆかりもないストニア公国が突如宣戦布告するなどありえない。豊富な鉱物資源を狙ってとの線もなくはないが、ソフィティーアはその考えを一蹴する。判明までもう少し時間がかかると踏んでいたが、さすがは帝国というべきだろう。
「しかし解せません。なぜ帝国は直接手を下さないのでしょう? 少々腑に落ちません」
「確かに。帝国は逆らうものには容赦しない、いささか回りくどくはあるな」
二人の上級百人翔が次々と疑問を口にした。彼らの疑問はもっともであり、帝国との戦力差は誰の目にも明らか。にもかかわらず直接戦端を開かない理由はいくつか思い当たる。帝国軍の象徴というべき紅・天陽両騎士団の敗北を受けて、帝国に対する各国の動向を見極めている、というのも理由のひとつだろうが。
「おそらくですが聖イルミナス教会を警戒しているのでしょう」
聖イルミナス教会の総本山、ミゼリアナ大聖堂が鎮座する神国メキアはもちろんのこと、帝国内にも多数の教会が存在している。信徒たちが神国メキアを聖地として崇めている以上、迂闊に攻め入ればそれだけで逆鱗に触れることは容易に想像つく。彼らが一斉蜂起すれば、帝国とて無事には済まないだろう。
帝国軍はあくまでも関与していない呈を装いつつ、 こちらの実力を測るつもりに違いないとソフィティーアは説明した。
「帝国も随分と小賢しい手を使ってきますね」
ラーラが怫然とした表情で腕を組む。
「ですが正しい戦略ではあります。当て馬にされたストニアはいっそ哀れとも言えますが」
梟の調査によると、ストニア公国の推定兵力はおよそ六万。一方聖翔軍の総兵士数は五万。数だけでいえば圧倒的に不利だが、ここに居並ぶ者たちに畏れの色はない。むしろ、表情に高揚感を浮かばせている。誰一人として敗北するとは思っていない面構えだ。
「聖天使様、兵の動員数はどの程度をお考えですか?」
アメリアが抑揚の乏しい声で尋ねてくる。一同の視線がソフィティーアに集まる中、笑みを交えて答えた。
「全軍をもってと言いたいところですが、三万程度を考えています」
居並ぶ上級百人翔たちからどよめきが上がった。
「三万ですか……敵の半数ですね」
一方アメリアは後ろ髪を軽く左手で跳ね上げ、なんでもないように言う。
「此度の戦は帝国に我々の力を示すデモンストレーションの場と位置付けています。少ない兵で勝つこと、これが大前提です」
敵より劣る兵数で勝利を得る。言葉にすればたやすいが、実際そう上手く事は運ばない。奇策などを用いて勝利を得たケースを除き、歴史的にも兵力の劣る国が勝利した例は極めてまれだからだ。だが、神国メキアには一騎当千のラーラを始め、ヨハン、アメリアといった魔法士がいる。
対してストニアは兵数こそ勝っているものの、帝国によって無理やり戦場という舞台に立たされる立場。戦いの明暗を分ける士気など無きに等しいとソフィティーアは確信する。
勝利する。この一点において、なんの不安も覚えていなかった。
「聖天使様のお考えは理解いたしました。ところで陣頭指揮は誰をお考えですか?」
ラーラが不安そうな瞳を向けるのがおかしく、ソフィティーアはつい笑ってしまった。
「ご安心ください。此度はわたくしが聖天使の座に就いてから初めての大戦です。ラーラさんを置いてお任せする人はおりません」
ラーラの顔がパッと華やいだ。たまにソフィティーアに見せる可憐な笑みだが、彼女の部下はそうではなかったのだろう。皆一様に目を見開いている。普段表情を表に出さないアメリアでさえ、口を大きく開けてラーラを凝視していた。ラーラは恥ずかしそうに何度か咳払いをすると、ことさらに顔を引き締めた。
「かしこまりました。ラーラ・ミラ・クリスタル、聖翔軍三万をもってストニア軍を撃滅いたします。聖天使様はラ・シャイム城にてごゆるりと吉報をお待ちください」
視線を交わした後、ソフィティーアはにっこりと微笑んだ。
「ではそうさせていただきます。ラーラさん、お願いしますね」
「はっ!」
「──聖天使様、ひとつよろしいですか?」
声のした方向に視線を向けると、ヨハンがいつになく厳しい表情を浮かべている。日頃の飄々とした態度を知っているだけに、ソフィティーアとしても居住まいを正して耳を傾ける。
「ひとつと言わずいくつでも」
ヨハンは黙って頷き口を開いた。
「ストニア公国の件はそれで問題ないとして……死神オリビア。彼女についてはいかように対処なさるおつもりですか? 是非お考えをお聞かせください」
死神オリビア。ヨハンがその名を口にすると先程までの高揚感は影を潜め、判で押したように皆の顔が険しくなる。それというのもここに集まった者たちは、ヨハンから提出された死神オリビアに関する報告書を一読しているからに他ならない。
「魔術……本当にそんなものが存在するのですか? しかも、外から魔力を得る魔素だなんて。いくらなんでもデタラメすぎます」
ソフィティーアが質問に答えるよりも早く、アメリアが胡乱な目つきをヨハンに向けて言う。ラーラもまた同様な目を向けていることから、同じ思いを抱いていることが窺えた。
「まぁ、アメリア嬢がそう言いたい気持ちもわかる。実際のところ魔術を目のあたりにした俺でさえ、いまだ夢うつつの気分だ。だが、これだけははっきりと言っておく。彼女を敵に回したら甚大な被害が出ること疑いない」
ヨハンがそう断言すると、すかさずゼファーが頷いた。ヨハンは冷静な状況分析ができる男であり、ゼファーは言わずもがな。そんな二人が警鐘を鳴らす死神オリビアを放置できるはずもない。
報告を受けたソフィティーアは、魔術について徹底的に調べるよう命令を下した。が、どんな古文書を調べてみても魔術に関する記述はなにひとつ見つからず今に至る。
「死神さんの危険性はわたくしも十二分に理解しているつもりです。ですがヨハンさんのお話を聞く限り、友好的ではあっても敵対心は持たれていませんよね?」
そう結論付けないと、ヨハンが五体満足に生還した理由に説明がつかない。それほどオリビアの戦闘能力は圧倒的なのだから。
ヨハンは顎をひとしきりなでた後、僅かに揺らぐ青紫の双眸をソフィティーアに向けた。
「断言はできませんが、おそらくは……」
「なら事を急いても仕方がありません。今は様子見といきましょう」
ヨハンに調査を命じたのは正解だったとソフィティーアは思っている。もしもアメリアに命じていれば、貴重な魔法士を失っていたかもしれない。今回ヨハンが命を拾ったのは彼の人となりがもたらした結果だと、自信を持って言える。
「それよりも気になるのは死神さんに魔術を教えたゼットなる謎の人物です。なにか報告書以外の情報は聞いていませんか?」
「と、急に言われましても……」
「たとえば男なのか女なのか。そんな取るに足らない情報でも構いません」
「……申し訳ありません。正直あの状況ではそこまで聞き出す余裕がありませんでした」
「私も同様です。梟衆の長として実に情けない限りです」
ヨハンはバツが悪そうに頭を掻き、ゼファーもまた恥じ入るように深く首を垂れていた。
「誤解がないよう言っておきますが、お二人を責めているわけではありません。目的は十分に果たし、尚且つ極めて貴重な情報を得たのですから」
本音を言えばより深く踏み込んでほしかった。一方でヨハンの言う通り、状況を考えればそこまで求めるのは酷なことも理解している。ソフィティーアは表情に僅かな失望も出さないよう努めた。
おそらくは魔法の上位に位置するであろう魔術。まさに神の御業というべき術を教えたゼットの価値は計り知れない。ヨハンの報告によれば魔力が枯渇すると死に至るのは同じだという。だとすると魔法も魔術も源流は同じではないか、とソフィティーアは考察する。
元が同じであれば、ラーラたち魔法士も魔術を扱える可能性はゼロではないはず。そのためにはゼットに接触を図る必要があり、第一歩として死神オリビアと友誼を結ぶ必要があると結論付けた。
「では死神オリビアの件は干渉せず、ということでよろしいですか?」
ラーラが話をまとめるように言う。
「そうですね。今はストニア公国との戦いに全力を注ぎましょう。もちろん死神さんにも布石は打っておきますが」
「……非礼を承知でお聞きしますが、それはどういった布石ですか?」
ヨハンが探るような目で尋ねてくる。この場にいる全員が興味深げにソフィティーアを見つめてきた。
「ふふっ。それは今後のお楽しみということで」
錫杖をシャンと鳴らすと、ソフィティーアは薄い笑みを浮かべて立ち上がった。




