15-12
女の啜り泣く声がする。
胸を締め付けるような切ない声で泣いているのは誰だ?
ふと、涙の一杯堪った大きな黒い瞳が頭に浮かんだ。
…………………………メルグウェン。
どうして忘れていられたのだろう?
俺が世の中で一番大切に想う、愛しい愛しい許婚を。
体が動かせない。
どうなっちまったんだろうか?
泣いているのはあいつなのか?
ガブリエルは顔に雫が降りかかるのを感じ、やがて熱い口付けを額に瞼に唇に感じた。
いや、あいつはこんなに積極的じゃなかった筈だぞ。
訝しげに目を開くと、潤んだ黒い瞳が自分を見つめていた。
メルグウェンは目を見開き、唇を震わせている。
ガブリエルはがばっと起き上がるとメルグウェンを抱き寄せた。
「どうした?」
「……よかった!!!」
メルグウェンはいつもの恥じらいを忘れ、ガブリエルの首に齧りつく。
ガブリエルは驚いた顔をして、それでもメルグウェンをしっかりと抱き締めると背中を優しく叩いた。
セズニとギーは、そんな二人の様子を見て涙を流している。
メルグウェンの後ろに立っている男達に気付いたガブリエルは声をかけた。
「礼を言うぞ。どうやら交渉は上手くいったようだな」
そう言って立ち上がったガブリエルだったが、セズニ達の泣き顔に気付き、呆れた顔をする。
「何だ、皆して情けない顔をして。俺は元気だぞ」
そして曇った空を見上げて呟いた。
「だが、長い間眠って、ずっと奇妙な夢を見ていた気がする」
女王達は森を封じることができたのだろうか?
暫くぼんやり夢の中の出来事を考えていたガブリエルは、頭を振ると皆の後について歩き出した。
セズニ達がガブリエルを連れて丘の上に戻ると、待機していたドグメールと兵達は歓声を上げた。
これで皆揃ってワルローズに帰ることができる。
ガブリエルは、自分の腕に縋り付いて離れようとしないメルグウェンを可笑しそうに見下ろした。
「おい、そんなに掴んでいなくてもどこにも行かぬぞ」
メルグウェンはちらとガブリエルを見上げたが、何も言わずにしっかりと腕を組み直す。
兵がガブリエルの馬を引いてきた。
だがメルグウェンが腕を離そうとしないので、馬に乗ることができない。
「おい、離せよ」
「……嫌」
「離してくれなきゃ帰れないだろうが」
半分呆れて半分腹を立ててそう言ったが、メルグウェンが唇を噛んで泣き出しそうにしているのを見ると驚いて、優しく引き寄せた。
「心配かけて悪かった」
ひんやりと冷たい頬を両手で包み込み、顔を仰向かせると震えている唇にそっと口付ける。
大きな黒い瞳から涙がぽろぽろ零れる。
「泣くな、メルグウェン。俺はここにいるから」
フードを被った頭をギュッと抱き締めた。
そして、手の甲で涙を掃い、泣き顔に必死で微笑を浮かべる許婚を担ぎ上げると自分の馬に乗せる。
自分も馬に跨ると、メルグウェンを抱き寄せ自分の胸に寄りかからせた。
「ちゃんと掴まっていろよ」
メルグウェンは顔を赤くして頷くと、ガブリエルの腰に腕を回した。
馬に揺られながらメルグウェンは、幸福感がふつふつと胸を満たすのを感じていた。
神々様、私にこの男を返してくださって有難うございます。
どうか、これからも私達をお守りください。
この先、何度このようなことがあるのだろう?
でも、これからは城主殿が留守の間、私が皆を守らなければならないのだわ。
ワルローズに戻るまで、もう絶対にこの男から離れない。
さっきみたいに嫌な顔されても、しがみついて絶対に離さないから。
どこかに行こうとしたら私を引き摺っていく羽目になるわ。
メルグウェンはそう決心すると急に可笑しくなり、ガブリエルに気付かれないように下を向いて笑った。
ガブリエルはメルグウェンに自分のいない間にあったことを尋ねた。
メルグウェンは父も弟も無事城に帰ってきたこと、弟がガブリエルに助けてもらったことを隠していたこと、ガブリエルがネヴェンテルの捕虜になってとても心配したことを話したが、自分が代わりにネヴェンテルの許に行こうと思ったことは話さなかった。
「父上はネヴェンテルの要求してきた身代金の半額を出してくれたの。残りは立て替えてくれたので、今朝早く使いの者が残りの半額をお願いしにキリル様の許に向かっているわ。でも金を渡してないから、必要なくなったわね」
「では、人をやって使いの者を追わせなければならないな」
「だけど、どうして貴方はあそこに一人で寝ていたの? ネヴェンテル殿はどこへ行ったの?」
「分からない。覚えているのは雨漏りのするテントの中にいたことだけだ。目が覚めたらおまえがいたのだ」
「貴方を見つけた時、死んでしまったのかと思ってとても怖かった」
ガブリエルはニヤニヤした。
「それで、おまえに似つかわしくなく、あんなに大胆だったのか。一瞬、誰か別の女かと思って焦ったぞ」
メルグウェンは頬を膨らました。
「別な女の人って誰のことかしら? その人の方が良かった?」
「そんな訳ないだろう? おまえの方が希少価値があるだろうが」
「もう、絶対しないから」
「おい、怒るなよ。馬から落ちるぞ」
ダネールの城では、城主本人が一行を迎えに出てきた。
馬から下りたガブリエルに歩み寄り、その手をしっかり握って頭を下げた。
「キリル殿、愚息の命を助けてくださったこと感謝します」
そして、ガブリエルに寄り添っている男の姿をした娘を見ると苦笑いをして言った。
「じゃじゃ馬で頑固で、しようもない娘だが、宜しく頼みます」
ガブリエルも真面目な顔をして頭を下げる。
「結婚を許してくださって有難うございます」
それからメルグウェンの方をちらと見るとニヤリとして付け足す。
「悍馬を御するのは好きですし、お陰で一生退屈せずに済みますよ」
メルグウェンはガブリエルを睨むと口を尖らし、男達に背を向けてさっさと城の方に歩き始めた。
元気で帰ってきてくれたのは嬉しい。
嬉しいけど。
何であの男は人の気に障るようなことばかり言うのだろう?
悍馬ですって?
メルグウェンは以前ガブリエルに猪のグウェネックと呼ばれたことを思い出した。
人のことを猪だの馬だのって、本当に失礼な男だ。
私が怒るのを面白がっていると分かるから、余計に腹が立つわ。
もう少し恋人らしい振る舞いをしてくれてもいいと思うのだけど。
私は欲張りなのかしら?




