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15-8

………………


耳の傍でひたひたと水音がする。


ガブリエルは目を覚ますと慌てて飛び起きた。


辺りはほんのりと淡紅を帯びた乳白色の朝靄に包まれている。


見回すと、寝ていた場所から十歩と離れていない所に池があった。


昨夜、暗い中を動き回らないでよかったぞ。


運悪く池に嵌って溺れていたかも知れん。


周りには誰も見えず、池の向こうに広がる森からか、鳥の囀りが聞こえる。


ガブリエルは立ち上がると自分の体を見た。


ネヴェンの兵に与えられた傷が、跡形もなく消えてしまっている。


やはり俺は夢を見ているのだろう。


ここがどこなのかは分からぬが、都合悪いことになったら目を覚ませばいいのだ。


ガブリエルは、柔らかい草を踏み締めながら池の方に歩いていった。


池の周囲には葦が密生しており、水は黒く深く油のように滑らかだった。


幼い頃、乳母が語った御伽噺のように、この水に触れたら水の精が現れるのだろうか?


下半身が鱗で覆われている、長い金髪を靡かせた美しい女が。


ガブリエルは葦を掻き分け池の淵に跪くと、両手で水を掬い顔を洗う。


乱れた水面をじっと見つめるが何も現れる気配はない。


まるで子供のように目を輝かせて水の中を覗き込んでいる自分の顔が水面に映り、ガブリエルは苦笑いをした。


おい、俺は何を期待しているんだ?


濡れた肌にひんやりとした朝の空気が心地良い。


夢の中でも腹が空くというのはどういうことだろう?


そう言えば、昨日からふやけた不味いパンしか食っていないな。


ガブリエルは立ち上がると、森に向かって歩き出した。


森の中で何か食べる物が見つかるかも知れぬ。


歩きながら周囲を見回す。


朝焼けで空は薔薇色に染まっている。


千切れた真綿のような雲は青みがかった銀色だ。


何と美しい空なのだろう。


ガブリエルがそう思った時、太陽が梢を超え、世界を黄金色に染めた。




近付いて見るとその森は鬱蒼としており、故郷のブレシリアンの森を思い起こさせた。


裸で丸腰のガブリエルは、それでも恐れずに森の奥深くに続いていると思われる細い道をずんずん進んで行った。


暫く歩くと巨大な岩に突き当たった。


古代からそこにあったと思われる岩には不思議な文字が刻まれている。


よく見ると、道は岩を沿って続いているようだ。


長年の雨風で磨り減り、苔の生した岩に手を当てて見上げた。


意味は分からないが神聖な場所なのかも知れぬ。


だが、岩の後ろに回ったガブリエルは、驚いて立ち止まった。


岩の影には人が10人座れる位の石のテーブルがあった。


広い石板を大きな岩が支えている。


そして、その上にはガブリエルの方に足を向けて何者かが寝ていたのだ。


ガブリエルは足音を忍ばせて近付いた。


どうやらそれは、武装した騎士のようだった。


傍らに兜が置かれている。


騎士の頭の方に回ったガブリエルは、驚愕して声を上げた。


黄ばんだ白髪が張り付いた騎士の顔は、空洞の目を見開き、歯を剥き出した骸骨だったのである。


それでは、この岩は墓なのか。


丁度いい。


死んでいるのだったら、俺が武具を借りても悪いことはなかろう。


「騎士殿。お借りするぞ」


ガブリエルがそう言って手を伸ばし甲冑に触れると、騎士の骨はサラサラと崩れて砂となった。


死んだ騎士の武具は、艶のある黒味がかった金属でできていて、驚くほど軽かった。


盾には騎士のものだったと思われる紋章が描かれている。


アジュールの地に楢の木が聳え立つその紋章は、ガブリエルの知らないものであった。


ガブリエルは何とか一人で武具を着け終わると、兜を被り騎士の剣を手に取った。


剣を鞘から抜いたガブリエルは、鈍く光る切れ味の良さそうなその刃を見て満足そうに頷いた。


余計な装飾等は一切ないシンプルな作りの剣だったが、死んだ騎士に大切に使い込まれたものらしく籠手にしっくりと馴染む。


これで、もう怖いものは皆無だ。


そしてガブリエルは、足取りも勇ましく、更に森の奥へと進んで行った。




城の住人達は様々な思いを抱え、眠れない夜を過ごしていた。


ネヴェンテルの許に行く決心をしたとはいえ、メルグウェンは悩んでいた。


もう一度、城主殿の姿を見たい。


無事なことを確認して、できれば話がしたい。


だけど、あの男は私が何をしているのかを知ったら、自分の命を粗末にしてまで守ってくれようとするだろう。


だから、もう会えない。


あの男は私が裏切ったと思うだろうか?


愛していると言いたかった。


ネヴェンテル殿のものになっても、私の心は未来永劫、貴方のものだと伝えたかった。


メルグウェンはキュッと口元を引き締めるとベッドを出た。


さあ、元気を出さないと。


起きる時間だわ。


ダネールが広間に入って行くと、出発する準備を整えたメルグウェンと騎士達が立ち上がった。


「父上」


別れを告げようと近付いたメルグウェンにダネールが言った。


「提案がある」


「……はい」


メルグウェンは顔を上げ、父親の厳しい顔を見つめた。


胸の中に小さな希望の炎が点る。


セズニとドグメールも固唾を呑んで、ダネールが話し出すのを待っている。


「ネヴェンテルの要求してきた身代金の半額を出そう。残りは立て替えるということでいいか?」


メルグウェンはあまりの驚きに口も利けない。


「はい、勿論です!! 感謝します!!! 直ちに残りの半額を準備してくださるようキリル様に使いを出します」


セズニが急き込んで答えた。


目を丸くしてダネールを見つめていたメルグウェンが叫んだ。


「父上!!!」


いきなりメルグウェンに飛びつかれたダネールは、面食らった顔をしたが、やがて苦笑いをしながら娘の背中にごつごつとした手を回した。


「……ありがとうございます!!」


「幸せになりなさい」


泣きじゃくる娘の肩を抱いてそう言ったダネールの瞳は、少しばかり潤んでいるように見えた。


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