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ガブリエルはイライラしていた。
既に首都に着いてから1週間以上経っているにも拘らず、何も片付いていなかった。
王はワルローズの城主を快く迎えた。
しかし、ガブリエルの願いを聞いた王は、すぐには答えてくれなかったのだ。
王侯の豪奢な宮廷生活は、ガブリエルの好みにあったものではなかった。
狩猟は宮廷風の作法が窮屈だったが、まだよかった。
宮廷での会話は噂話か世辞の言い合いが主なもので、ガブリエルはうんざりしていた。
田舎者と思われても構わぬと愛想のないガブリエルだったが、女達は若く見た目の良い男を放ってはおかず、物憂い騎士様などと呼んで近づいて来る。
その日も延々と続く食事の後に着飾った女達と踊らされ、いい加減嫌になったガブリエルは気分が優れないとの口実で王宮を抜け出した。
泊まっている宿屋に戻り、広間で酒を2杯程煽るとさっさと寝床に引き上げる。
ベッドに横になり目を閉じると、メルグウェンの花のような笑顔が浮かんだ。
それはガブリエルにとって、宮廷の洗練された女達よりもずっと愛らしく思われた。
艶やかな黒い髪、綺麗な弓形を描いた眉、大きな黒い瞳、小さいが形の良い鼻、柔らかそうな桃色の頬、ほっそりした首、小さな可愛らしい白い耳、柔らかい微笑を湛えたふっくらした唇……
一つ一つ大切に心の中に描きながら、ガブリエルは闇の中で笑みを浮かべた。
あいつの笑っている顔も、怒っている顔も、つんと澄ました顔も、驚いた顔も、真面目な顔も全て愛しい。
けれども、涙をいっぱい溜めた黒い瞳や、悲しそうに伏せられた長い睫を思い出したガブリエルは深い溜息をついた。
他の男と結婚させてやろうなどと考えていた俺は大馬鹿者だ。
森で見つけた時、自分がしたように、他の男がメルグウェンを抱き締めると想像しただけでも気が狂いそうになる。
俺がこんな所で足止め喰っている間に他の男に求婚されてしまうのではないか?
ドグメールではなく、モルガドを一緒に連れて来るのだったとガブリエルは後悔した。
あいつの気持ちはルモンから聞いただけで、確かめていない。
俺の側にいるのが嬉しそうに見えたが、離れて考えてみると分からなくなってくる。
本当に俺のことを好きなのだろうか?
ガブリエルは結婚の許可が下りて、メルグウェンの父の許しも得てから、彼女に話すつもりだった。
だが城を出てくる前にあいつの気持ちを確かめた方が良かったのではないか?
期待させてしまって、もし上手くいかなかった時に悲しませたくなかったんだ。
しかし、上手くいったとしても、俺の妻になってくれるのだろうか?
以前メルグウェンにきっぱりと断られたことを思い出し、不安になる。
どうしても眠れず寝床の中に起き上がったガブリエルは決心した。
明日の馬上槍試合で決着をつけてやる。
さっさと片付けて帰らなければ、俺はあいつに恋焦がれて狂っちまうぞ。
初めの日は既に夕食の支度は終わっていたので、床の掃除をさせられたが、翌日からはまだ薄暗いうちにたたき起こされ働かされた。
台所の仕事は厳しかった。
勿論、入ったばかりの見習いの小僧に料理長が調理を任せる筈はなく、メルグウェンは水汲みを命じられた。
井戸は中庭の隅にある。
桶に水を汲み、長い棒の両端に吊るし、肩に背負い台所まで運ばなければならぬ。
大きな台所で使われる水の量は半端ではなく、昼にもならないうちにメルグウェンは疲れ切ってしまっていた。
重い桶を担ぎ台所への階段を下りながらふらついたメルグウェンが、水をこぼしたのを見て、料理長はこっぴどく叱ったが殴りはしなかった。
真っ青な顔をしたメルグウェンは今にも気絶しそうに見えたのだ。
野菜の皮剥きをするように言われたメルグウェンはほっとしたが、代わりに水汲みを命じられた見習いはメルグウェンの側を通る時にわざと肘でぶつかり罵った。
「新入りの癖に偉そうにするんじゃねえよ」
メルグウェンは腹が立ったが、確かに辛い仕事を代わってもらうので、大人しく礼を言った。
見習いはいまいましそうに舌打ちをすると台所を出て行った。
メルグウェンは手際よく野菜を洗って皮を剥き、言われたとおりの大きさに切った。
その様子を見ていた料理長は考えた。
こいつはひ弱だが手先は器用なようだ。
力仕事より、手を使う仕事を与えた方が効率が良かろう。
料理長の配慮のお蔭でメルグウェンの仕事は楽になったが、同時に他の見習いの反感を買うこととなった。
夕食の片付けが終わって初めて台所は静かになる。
既に外は真っ暗だった。
メルグウェンはくたくたで早く横になって休みたかった。
初めの夜は無理を言って台所の番をしている料理人に台所に残らせてもらったのだが、次の日からは召使達の休む部屋で寝るように言われていた。
メルグウェンはルモン達と泊まった宿屋の屋根裏部屋を思い出し、気が進まなかったが仕方がない。
服を着たまま寝ようとメルグウェンは思った。
あまりにも疲れ過ぎていてどこでも眠れそうだった。
だが夜も更けた頃、息苦しくて目が覚めた。
壁際に縮こまるようにして寝ていたのだが、いつの間にか両側に人がいて、メルグウェンを押し潰すようにしている。
起き上がろうとしたが、がっちりと押さえつけられ身動きが取れない。
叫ぼうとした時、誰かの手が口を塞ぎ、別の手が体を弄るのを感じた。
メルグウェンは暴れ、口を塞いでいる手に力一杯噛み付いた。
手が離れた隙に大声で叫ぶ。
「人殺し!!! 助けて!!!!」
辺りは騒然となった。




