第4話 一年で得たもの
その後の私とグリフィスの関係は、出会ってから一年が経った今でも変わらない。偽装夫婦のままだった。けれど毎日、私を見送るグリフィスの姿に、誰も偽装だとは思っていない。
美しい夫に愛された妻だと、皆に羨望の眼差しを向けられている……が私は居た堪れない気持ちでいっぱいになっていた。
グリフィスは私のことを、あくまでも保護する対象でしか見ていない。私もまた、この世界に馴染むため、自分の居場所を得ることに、この一年間は精一杯だった。
彼がなぜ、あの時、偽装結婚を申し出たのか。あの男たちに召喚され、狙われているのか。そんなことを考えている余裕などないほど、本当に大変だった。
見知らぬ街並みに、見知らぬ人たち。最初に私がしなければならなかったのは、これを受け入れることだった。それが思った以上に、私の心を疲弊させたのだ。
耳が尖っていたり、尻尾があったり。初めてグリフィスに街の中を案内された時は、思わず袖を掴んでしまったほどだった。漫画やイラストで見たことはあっても、さすがに実物を見ると、すぐに受け入れることはできなかったのだ。
それはまた、街並みも同じだった。私のいた世界に似ている部分はあるものの、やはり違うのだと思う箇所を見つけては、落胆する日々。いやでもここが、違う世界なのだと思わせてくれる。それなのに、似ている部分を見ると、ホッとするどころか、ホームシックになってしまうのだ。
今、私が乗っている路面電車のような乗り物が、まさにそれである。初めて見た時ははしゃいでしまったが、よく見ると線路もパンタグラフもない。グリフィス曰く、魔石で動いているらしい。思わず蒸気機関車を連想してしまったが、それとも違うという。摩訶不思議な乗り物である。
「正直、原理を聞いたところで、理解できないしね。って、ここで降ります!」
ふと、一年前のことに想いを馳せていたら、危うく乗り過ごしてしまうところだった。私は急いで鞄を肩に掛けて立ち上がり、人混みをかき分けて、停留所に降り立った。
目の前に聳え立つのは、古めかしい年季の入った建築物。柱などに彫刻が施されているため、ただの建物だというのには忍びなかった。
私のいた世界だったら、間違いなく文化財レベルの建物よ、これ。それを図書館として使っているのだから、さすがは異世界。概念からして違うわ。
「アゼリア!」
その図書館へと一歩、足を踏み入れようとした瞬間、後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
一年前、グリフィスが私につけてくれた名前。始めは慣れなかったけれど、今では自然と自分の名前だと認識できるようになった。
反田梓葉の名前を忘れたわけではない。けれどグリフィスの妻、アゼリア・ハウエルを演じるには、ちょうどいい役名だと思えたのだ。
私は後ろを振り向き、青い髪の女性に向かって手を振った。
「ヘルガ! おはよう!」
「おはよう! 今日も早いのね」
「そっちこそ」
「私はいつも通りよ。でも、アゼリアは違うでしょう?」
笑顔で返事をすると、ヘルガは金色の瞳を細めて返してくれた。彼女はこの世界で初めてできた、私の友達である。キッカケは……聞かずもがな。ここの図書館で、である。私がこの世界に馴染めているのは、偏にヘルガのお陰といっても過言ではない。
当初、私はこのように外に働きに行くとは予想だにしなかった。あの黒いフードの男たちから狙われている身である以上、グリフィスの家でひたすら静かに暮らすものだと、てっきり思っていたからだ。
けれど私は、どうやらじっとしていられない性格のようで、グリフィスが出かけている間に掃除や食事の用意などをしていたら、案の定というべきか、彼の逆鱗に触れてしまったのだ。
そう、家事はグリフィスの領域。いや、聖域といっても過言ではない。そこに自分以外の誰かがやった、という痕跡すら残っているのが、許せない人物だったのだ。グリフィス・ハウエル、という人間は。
あんなに怒ったグリフィスを見たのは、後にも先にも、あれが初めてだった。
そこでグリフィスも考えたのだろう。外へ働きに出ないか、と提案してくれたのだ。勿論、私は二つ返事で答えた。そしてグリフィスの伝手で、ここの図書館で働くようになったのである。
「だって……司書として雇ってもらえたのに、ここのところ、ずっとできていないでしょう。早目に出勤して、ちゃんと仕事をしようと思ったの」
「……あぁ~、うん。アゼリアのその気持ちは分かるんだけどね。今日も無理だと思うよ」
「え? どうして?」
「ほら、あれ」
ヘルガの視線を追った先で見たのは、図書館の入口に並ぶ人々だった。早目に来たこともあり、開館時間まではあと一時間近くある。それなのに、行列ができているとは思わず、私は口元に手を当てた。
「あの人たちの目当てって、もしかして……」
「勿論、図書館の本じゃないわよ」
「やっぱり……」
「そんな声を出さないで。アゼリアの相談所、結構人気なんだから」
「だけどね、ヘルガ。図書館は本来、本を利用する人たちの施設なのよ。その一角に相談所なんて……やっぱりよくないと思うの」
しかもその相談所が、ただの相談所だったのなら、私もここまでは渋らなかっただろう。
「何をそんなに弱気になっているのよ!」
ヘルガが思いっ切り私の背中を叩いた。お陰で、列をなしている人たちの視線が、一斉に私たちの方へと集まる。
「我が図書館の占い師さん。今日も迷える子羊たちを導いて、図書館の中を人で満たして。そうすれば、この図書館の修繕費が請求できるから」
「……ははははは」
そう。私は図書館の修繕費を国に請求するための客寄せパンダとして、相談所もとい占いを利用者相手にしていた。キッカケは、利用者を増やすためには何をしたらいいのか、ただ案を出しただけなのに……。
「なんだか、色々と冒涜している気がするわ」
「気のせい気のせい。アゼリアは心配し過ぎなのよ」
「ヘルガは逆に、もっと気にしてちょうだい」
私のお小言など、どこへやら。ヘルガは利用者の視線など、諸共せずに図書館の中へと入っていってしまった。
本当にもう、どうしてこんな事態になってしまったのかしら。私はただ静かに図書館の業務をするつもりだったのに。




