第23話 呼び出した末(グリフィス視点)
アゼリアが図書館の扉の向こうへと姿を消す。離れていく瞬間から、いいようのないほどの寂しさを感じた。伸ばそうとする手を下げ、グッと握り締めるほど必死に我慢をする。
そんなことをすれば、先ほどのように怒られてしまうことだろう。だから、視線を図書館とは別の方向へと向けた。そう、最近アゼリアが世話をしているという、男の方へ。もう姿は見えないが。
確か……マックスといったか。
相談所のことで悩んでいたから、休憩がてら別の仕事を勧めたのに、その先で出会った男。何を調べているのかアゼリアに聞いたところで、守秘義務があるから、と断れてしまうだろう。
ならばどうするか……ここは原因を作った人間に落とし前をつけてもらおうか。
私はアゼリアを待ちながら、ある人物を呼び出す算段を考えた。
***
「それで私を呼び出したってわけね。まぁいいけど」
翌日。私はヘルガを自分の書店に来るように、と連絡を入れた。内容は一つ。『アゼリアに関することで話があります。半休を取って来てください』とだけ伝えた。
だから不満そうな顔をしていたものの、キチンと午後きっかりにヘルガは書店へとやって来た。
私はカウンターにカップを置き、向かいに座るヘルガへ、これまでのことを一部始終話した。
「へぇ、あのグリフィスが嫉妬ねぇ〜」
「……何を言っているのですか? 私はマックスとかいう男のせいで、アゼリアに――……」
「その苛立ちが嫉妬だって言っているのよ。本当はアゼリアに自分がウサギ獣人だって知られても、全然構わないって思っているんでしょう?」
ヘルガの指摘に、私は目を逸らした。
アゼリアには、ヘルガとはただの知り合いだといっているが、実は彼女も魔術師であり、図書館に在籍している職員のほとんどが、私たちと同じ魔術師だった。しかもその中には、獣人もいる。私とは違う種族の獣人が。
「相談所のお陰で、この世界の人たちへの偏見や恐怖も薄れているようですから、問題はないと思っています」
「だったら、その点に関しては怒られる筋合いはないわね」
「ありますよ、勿論」
ヘルガには、アゼリアが異世界の人間であることを事前に伝えていた。そうでなければ図書館といえど、アゼリアを預けたりしない。知り合いが誰もいない世界で少しでも心休まり、且つ、アゼリアも馴染みのある場所が図書館だった、という理由もある。
とはいえ、獣人にアゼリアを任せるわけにはいかず、唯一同性で年齢も近い、人間のヘルガに白羽の矢を立てたのだ。ヘルガもアゼリアを気に入ってくれたようで、何かと世話を焼いてくれて助かっていたのだが……。
「あなたはやり過ぎたんです」
「え? どこが?」
「まずは、相談所の件です。図書館の問題にアゼリアを巻き込みましたよね。アゼリアはあなたたちの期待に応えようとした結果、無理が祟ったんですよ」
「あ、あれは悪かったと思っているわ。だからグリフィスの提案を呑んだんじゃない」
仮にアゼリアが言い出せないのであれば、裏から手を回そうと画策していたのだ。まぁ、杞憂に終わったから良かったものの。
「それだけではありません。相談所とは言っていますが、あのタロットカードを使用しています。ヘルガも感じたでしょう。アゼリアから姉……ウルリーケの魔力を」
「……日に日に感じていたわ。でも、アゼリアにはグリフィスが保護魔術を幾重にもかけているじゃない」
「気休めですよ。ウルリーケの魔力の影響が出ているのか、夜中うなされているのを度々見かけます。それが忍びないのです」
「そんなところに、アゼリアに近づく怪しい男を見れば、そりゃ心配になるか」
「はい」
ため息を吐くと、ヘルガが意味ありげな顔でこちらを見てきた。
「……なんですか?」
「そろそろちゃんとした夫婦になりそうだなって感じたのよ。最初、偽装結婚なんて、グリフィスにできるのって思ったけど」
「どういう意味ですか?」
「そのまんまよ。グリフィスって見た目はいいけど、人を寄せつけないでしょう? ウルリーケが理由なのは知っているけど。だからそのウルリーケに関わる物を持っているアゼリアと、上手くいくのかなって思っていたの。でもうまくいこうがいくまいが、今の私ならアゼリアを引き取ることはできるから、どうでもよくなったけどね」
確かに、今のアゼリアならばヘルガの元にいても、安心して過ごせるだろう。だが……。
「あいにく、その心配はいりません。気晴らしに行くくらいならいいですが、長期は許容できそうにありませんから」
「だったら、きちんと話すべきじゃない。私に苦情を言ったり、探ったりしないでさ」
「……分かっています」
「そうしないと、例の男に取られちゃうかもしれないわよ。彼、人間だから」
「やはり……遠目だったので、確認できませんでしたが」
そうではないか、と思った。だから焦ったといってもいい。
「あと、これは守秘義務だけど、内容が内容だから教えてあげる。例の男、ジェマナキア遺跡について調べていたわ」
「そ、そこはっ!」
ウルリーケが拠点にしていた遺跡。禁忌に手を出したウルリーケは、魔術師が多く所属する魔塔から追われ、ジェマナキア遺跡に身を潜めていたのだ。そこは我々、ウサギ獣人に馴染みのある遺跡であったため、すぐに見つかり、タロットカードに封じられた。
私たちウサギ獣人は安心できる場所を求めるから、それが仇になったのだ。
その時、ウルリーケが持っていた魔術書は、現在図書館に寄贈されている。危険なものであったため、人手に渡る前に持って行ったのだ。
禁書区画の近くまで行き、ジェマナキア遺跡を調べている、となれば目的は……。
「アゼリアが危ない!?」
「そうよ。だからといって、急に配置換えはできないの。もうすぐ一週間経つからね。どうしてって疑われるわ。でもグリフィスなら、説明できる立場にいるし――……」
「やめるようにいうことはできます。ですが……アゼリアの楽しみを奪った挙句、私が獣人だと知ったらどうなるでしょうか」
一つの傷なら許せるけれど、二つは難しい。時間がないから、分けて話したとしても、似たような状況になってしまう。
「まったく、それくらい狼狽えるのなら、さっさと気持ちを伝えれば良かったのに。でもまぁ、いざという時は協力するわよ。今の彼は人間だけど、前に好きだった人は獣人だから、フォローはできると思うし」
「……失恋をした、という彼ですか。それならアゼリアも……いえ、そうしたら、図書館の職員に獣人が多くいることがバレてしまいます。さらに負担に――……」
「あー、もう! それも含めてフォローするって言っているんじゃない! 過保護が過ぎると嫌われるわよ!」
「っ!」
そう思った瞬間、悲しみで人の姿を維持できなくなってしまった。本来ならば、魔力切れで獣の姿になるのだが……。
「あー、なんというか、その……ごめんなさい」
ヘルガは驚くどころか申し訳なさそうな顔で、カウンターの横に置かれたカップの横にいる、淡い黄色がかった茶色の垂れ耳ウサギに声をかけた。私は首を横に振る。
「いいえ。私もまさかこうなるとは思わず、驚いています」
「その……よく分からないけど、すぐに戻れるの?」
「たぶん、無理だと思います。魔力切れではないので」
「そっか」
「だからアゼリアのことを任せてもいいですか? この状態では迎えにも行けませんから」
「……うん。任せて! 原因を作ったのも私だから、グリフィスの代わりになるかは分からないけど、精一杯フォローするわ!」
一抹の不安はあったものの、今、頼れる相手はヘルガのみ。ここは任せるしかない。この姿でアゼリアに説明することなどできないのだから。
しかしこの決断が後悔に変わるまで、さほど時間はかからなかった。




