第13話 旦那様の迎え
「ありがとうございました」
相談者を見送った後、私は壁に掛けてある時計へと視線を向ける。時刻はすでに定時近くを指していた。
「ということは、今ので最後の相談者ってことかな」
部屋の外で待機している男性の職員も、「次の方を呼んでいいですか?」と聞きに来ないことから、そういうことなのだろう。
けれど念の為にと思い、扉を開けて確認した。
「お疲れ様です。今、声をかけようとしたんですが……」
「あっ、そうだったんですね。ということは、今日はもう、これで終わりでしょうか」
「はい。今日も盛況でしたね。それから、すでに旦那さんが迎えに来ているようですよ?」
「え?」
相談者がいないことを確認しただけなのに、まさかそこまで言われるとは思わず、さらに視線を遠くの方へと向けた。
この相談所は、図書館の利用者の邪魔にならないようにするため、入り口付近に設置してある。そのため、外の様子を探り易いのだ。
とはいえ、私のいた世界とは違い、この図書館の出入り口はガラス張りの扉ではない。それなのにグリフィスがいるだなんて……と、すでに相談者がいないロビーを見渡すと、その意味をすぐに理解した。
「早く早く。外に凄くカッコイイ人がいるらしいわよ」
「え〜。何言っているの? ここは繁華街から離れた場所なのよ。そんな人、いるわけないでしょう?」
それがいるんだな、これが。どの世界でも、イケメンは注目を集めるらしい。さながら有名人並みである。
「心配いらないですよ。旦那さん、アゼリアさんしか見ていませんから」
「誰もそんなことは聞いていないです。あと、有り得ない……と思います」
「毎日こうして定時に合わせて迎えに来てくれているんですよ? そちらの方が有り得ません」
そう言われると否定できない。けれど私とグリフィスは偽装結婚の関係だし、迎えに来るのは黒いフードの男たちを警戒してのことである。
心配、は合っているものの、皆が羨むほどの関係ではないのだ。時々、私でも錯覚してしまうことがあるから、気を引き締めているんだけど……グリフィスの顔を見ると、つい甘えてしまう。
家事から食事まで、衣食住のすべてを世話したがるんだもの。この誘惑に勝つ方法を、逆に教えてもらいたいわ! あの顔で、なんでも先回りされたら、世の女性たちだって負けてしまうに決まっている。そう、私の意志が弱いわけじゃないのよ!
帰り支度を済ませて、いざグリフィスの前に立つと、先ほどまでの勢いはどうしたのか。頬が緩み、傍に行くことができなかった。
周りにいる女性だけでなく、男性までもが振り向くような柔らかい笑顔を私に向けてきたのだ。その優しい笑みに安堵するものの、周りの視線が気になって足が前に動かない。
「アゼリア」
けれどグリフィスには関係なかった。私に駆け寄り、心配そうに顔を覗き込む。その仕草に私は、先ほどの男性職員の言葉を思い出す。
『アゼリアさんしか見ていませんから』
確かにグリフィスは周りの視線など、気にしている様子はなかった。私にだけ集中し、さり気なく肩にかけていた鞄を手に取る。
「いいよ。持たなくて」
「私はアゼリアほど疲れていませんから、これくらいさせてください」
「……こんなんじゃダメになっちゃうよ」
甘える癖。やってもらう癖が付いたら、一人では生きていけなくなる。異世界だからって今までグリフィスの世話になりっぱなしでいたけど、さすがに将来のことを思うと受け流せなかった。
「今はそれでいいではありませんか」
「よ、よくないよ」
「そうなんですか? 今日は一日頑張ったアゼリアのために、馬車を手配したんですが……必要ないようでしたら今からでもキャンセルを――……」
「ば、馬車!?」
この街には路面電車のような乗り物があるため、馬車は貴族が乗るものだと、ヘルガから聞いてたことがあった。それに乗れる、と思ったら、周りの視線など一気にどうでもよくなった。
グリフィス越しに辺りを見渡し、それらしきものを探す。すると、黒い馬が二頭。行儀よく待っている姿が目に入った。さらに後ろに視線を向けると、暗くなり出してきた空模様よりも濃くて深い、黒塗りの車室があるではないか。
これは、この世界に疎い私でも分かる。
「グリフィス。これはちょっと、上等過ぎない?」
「もしや料金の心配をしているのですか? 大丈夫ですよ。知り合いの方に貸していただいたので」
平然といっているが、その知り合いの方というのは、もしかしたら貴族か何かかしら。グリフィスを気にかけるマダム的な存在とか。
「……何か誤解しているようなので先に白状しますが、その知り合いというのは、ヘルガの恋人です」
「えっ、交易関係の人だっていう……」
「はい。実はアゼリアのことで申し訳ない、と言っていました。これはそのお詫びだそうです」
「どういうこと?」
「図書館での占いの件ですよ。どうやらヘルガは、人脈のある恋人を使って、盛大に宣伝をしていたらしく。その結果、予想以上に人が来てしまい、ずっと気を揉んでいたそうです」
あぁ~、そういうことか。確かにヘルガならやりかねないわね。だけど……。
「元々彼女が企画したようなものだし。図書館の集客に貢献できたから、私はむしろ助かってる方なんだけど」
「……アゼリアは謙虚過ぎます。ヘルガにいいように利用されているではありませんか。もう少し我が儘を言った方がいいです」
「十分、我が儘を言っているよ」
経営困難な図書館で、司書として雇ってもらえているんだから。それもグリフィスの伝手で。これ以上、欲張ったら罰が当たってしまうわ。
けれど私の不満など、グリフィスには伝わらなかった。私生活でも十分、お世話になっているというのに、さらに我が儘を言え、というグリフィスの方が私には理解できなかった。
「では、試してみましょうか」
「何を?」
「アゼリアが、どんな我が儘を言うのか、です」
「の、望むところよ!」
どこからでもかかってきなさい!
「たとえば、寄り道をせずに帰りたい、とか?」
「……そうね。早く家に帰りたいわ」
「そして、あわよくば夕飯も食べずに寝たい」
「……ほ、本音としては。でも、グリフィスが作った夕飯も食べたいわ」
食材を無駄にしたくないからだ。実はグリフィスは、すぐに食べられるようにと、食事の下準備を済ませていたのだ。
毎日毎日、あまりにも手際が良すぎて、一度調べたことがあった。すると、朝食が終わると昼食の下準備を。昼食が終わると夕飯の下準備。夕飯が……と片付けと一緒に流れ作業のように用意をするグリフィスを見てしまったのだ。
あんな姿を見たら、断れないよ。
「まったく、私を喜ばせたいのか、困らせたいのか……どちらなのですか?」
「だ、だってぇ……」
急に我が儘なんて無理よ!
「……こちらのことなど気にせずに、寝たいのなら寝てください」
「そんなことはできないわ!」
「頑固ですね、アゼリアは」
「グリフィスに言われたくないわよ」
「私が頑固?」
「そうよ」
自覚がないの? と詰め寄った瞬間、周りから黄色い声が耳に入った。いやいやその前に、今の私の状況だ。
「な、何をするのよ」
「すぐに寝たいほど疲れている妻を、歩かせるのが忍びないと思いまして」
「だからって、急に抱き上げられたらビックリするでしょう!?」
「それはすみません。私はアゼリアがいうように、融通が利かない頑固者ですから」
「〜〜〜っ!」
そこまでは言っていないのに。だけどなぜか抵抗する気にもなれず、私はグリフィスに横抱きにされたまま、馬車に乗り込んだ。




