第1話 同居人は世話好き
朝、目が覚めると、すでにカーテンが開けられていた。陽の光が、余すことなく部屋の中を満たし、灯りを付けたかのように明るい。
お陰で隣のベッドが空になっていることに気がついた。
相変わらず早い……。
未だに先に起きられた試しがなくて、私は恨めしそうに、綺麗に整えられたベッドを眺めた。
「いけない。あまりのんびりしていられないんだった」
部屋にいるのは私だけだったが、隅にある衝立の奥へと向かい、手早く着替えを済ませる。シャツとスカートとブーツだけ、というお洒落よりも機能性を重視したスタイル。けれど、忙しい朝にはピッタリなチョイスだった。
しかも黒髪の私に似合う深緑色のジャンパースカート。昨夜、準備した覚えがないから……。
「また用意してくれたのね」
何を着ていくか、迷う私のために。
「センスもいいから、文句も言えない」
さらに鏡台の前で髪をセットする。寝癖がないことも確認し、いざ、その人物のところに向かって扉を開けた。すると、焼けたパンとコーヒーの匂いが、すでに廊下に充満している。まさに私の食欲を唆らせるラインナップに、思わず愚痴る。
「相変わらず隙がないんだから」
廊下から見える台所へと通じる扉を、恨めしそうに見つめていると、今度はお腹の音が鳴った。咄嗟に隠すも、後の祭り。台所が開け放たれていたこともあり、中にいた人物の耳に、しっかりと届いていたようだった。
「アゼリア。そこで何をしているのですか?」
「えっと、その……おはよう、グリフィス」
「……おはようございます。朝の挨拶も大事ですが、そこで蹲っている暇など、私にはないと思うのですが」
「っ!」
そうだった。私の朝は忙しい。小走りでグリフィスの横を通り過ぎ、台所へと入る。テーブルには案の定、焼き立ての食パンとコーヒーが並んでいた。その横には、付け合わせのサラダも置いてある。
これを今から流し込むように食べるのは忍びない。だけど私に残されている時間はなかった。
「あぁ〜。ゆっくり味わいたいのに〜」
そういいながらも焼いた食パンにサラダを挟んで、一口齧る。それだけで、パリッといい音がした。さらに焼き加減も私好み。ちゃんと咀嚼したい気持ちにかられたが、グリフィスが私の目の前にカップを差し出してきた。さっさと流し込め、と無言の圧力をかけてくる。
「んー!」
「だから起こす、と言っているではありませんか。それなのにアゼリアは……」
「いや、それは……ちょっと……」
なんというか、グリフィスという人間は、どのように他人が自身を見ているのか、それが分かっていない。
一言でいうと、彼は……見た目が綺麗。いや、美し過ぎて神々しいのだ。加えて今は、台所の小窓から射す光に当てられて、金色の髪がいつも以上に輝いている。その奥に見える紫の瞳なんて、アメジストだと勘違いしてしまうだろう。
う〜ん。私にもっと語彙力と詩的センスがあれば、グリフィスの美しさを表現できたのに……それが恨めしかった。
「手が止まっていますよ。大丈夫なんですか?」
「よくないに決まっているでしょう!」
私はグリフィスの手から奪うように、コーヒーの入ったカップを受け取った。甘さ控えめなのも私好み。
「美味しい……」
「それはどうも」
言葉は素っ気なかったが、口調と表情でグリフィスが満足しているのが分かる。
毎朝、母親のように私の世話をしてくれるが、グリフィスは私の母でもなければ、兄でもない。敬語を使っているが、私よりも年上。二歳違いだから、あまり変わらないんだけど、グリフィスは初めて会った時からずっとこうだった。
一年前、突然この世界に飛ばされてきた私に対して、憶もせずに話しかけてきたグリフィス。その時から、今も変わらずにずっと。
「アゼリア? どうかしましたか?」
「え? なんでもない。今日もグリフィスは綺麗だなって思ったの」
「……私はアゼリアの黒髪の方が、綺麗だと思いますけど」
それはつまり……髪以外は平凡だって言いたいのね。
私はカップをテーブルの上に置き、ナプキンで口元を拭く。用意周到なグリフィスは、朝食の席にそんなものまで置いているのだ。
身だしなみは大事だし、グリフィスの沽券にもかかわる。だから文句はないのだけど……。
「まだ外は寒いですから」
すかさず鞄を手渡され、上着までかけてくれる。
「ありがとう」
「図書館の中も気をつけてください。アゼリアは――……」
「分かっているわ。ここの世界の人間じゃない私が病気に罹ったら、大変だものね」
医者という問題もあるけれど、他の人たちとは違う出方をする場合があるからだ。たとえば、重症になったり、変なアレルギー反応が出たりしたら大騒動になってしまう。グリフィスはそれを言っているのだ。
私の世話を甲斐甲斐しくするのも、また。この世界に慣れていない私に対する配慮だった。
時々、やり過ぎかな、とは思うけど。それがまさに今だった。
私はニコリと笑い、台所を出る。玄関へと続く廊下に響く足音は二つ。その音が聞こえた瞬間、私は後ろを振り返った。
「いつも言っているけど、見送りはいらないわよ。グリフィスだって、朝は忙しいでしょう?」
「アゼリアと違い、早く起きていますから大丈夫です。それよりも、こうしている間に遅刻しますよ」
「えっ!? 嘘っ!」
「本当です。さ、早く出勤してください。私も後片付けが残っていますので」
だったら、見送らなくてもいいのに。
体を玄関に向けられ、さらに背中まで押される始末。女性のような綺麗な顔に華奢な体をしているのに、こういう時はグリフィスも男性なのだと再確認させられる。
いつもは母親かと思うほど、色々と世話を焼くから忘れそうになるけれど。
それでもグリフィスの顔がいかに規格外の美しさなのかは、忘れたくても忘れられない。毎朝、私を見送るために玄関の外に出た途端、道を歩く老若男女、すべての人たちがこちらを見るのだ。
「……これが恥ずかしいから嫌なのに」
「これがあるから、むしろ見送りに出るんですよ」
意味が分からない、とグリフィスの方を見ると、急に顔を近づけられた。その瞬間、周りにいる人たちが口元に手を当てる。奥にある顔は勿論、赤くなっていた。
けれどグリフィスの口から出てきたのは、周りの人たちが期待しているような甘いものではない。
「まったく、自覚がないようですからあえて言いますが、自分が狙われていることを重々、忘れないでください」
「っ!」
思わず息を呑む。グリフィスがこれほどまでに甲斐甲斐しく私の世話する理由――それは私が異世界から召喚された者だったからだ。
そのことを知っているのはグリフィスだけ。どうしてこの世界に召喚されたのか、狙われる羽目になったのか、など未だに分からないことだらけだった。




