52.負の感情
「アンジュ―侯爵、前へ」
「はっ、はい……っ」
呼ばれると思っていなかったのか、それとも何かやましい事でもあるのか、アンジュ―侯爵と呼ばれたおじさんは脂汗を流しながら歩み出た。
それにしても、このおじさんのふわふわした髪質、どこかで見たような……。
「そなたの娘、ロクサーヌ嬢が何をしたかわかっておるな?」
「昨日神殿へ赴いて、聖女様に詰め寄った件でしょうか……。あれは恋する乙女がゆえの行動です、なにとぞ寛大なお心でお赦しいただければと!」
どうやらサミュエルの婚約者候補の父親らしい。
頭を下げながら汗を拭いているが、私の立ち位置からだと目が泳いでいるのが見えた。
恐らく王都へ来る途中の刺客の事も知っているのだろう。
「それだけではないと調べはついている。知らぬとは言わせぬぞ! 聖女が王都に来る途中に起こった襲撃での暗殺未遂。サミュエルが聖女と親密になった事を懸念して、親族であるジョエル司祭を使って王太子に聖女の情報を流して協力させた事! 聖女が王太子の妃になれば、己が娘はこのままサミュエルと結婚できると思っての事だろうが、そなたがした事は到底赦される事ではないぞ! 当然サミュエルとの婚約予定も白紙に戻す!」
「そ、そんな……!」
なんだか次から次へと新事実が出て来た。
そして今まで睨むだけで黙っていた王太子……元王太子がいきり立つ。
「父上! 聖女とはいえ、サキは国民でしょう!? ならば我々王族の命令に従うべきなのでは!? 聖女とはいえ平民ではないですか!」
そんな元王太子の態度に王様は頭を抱えた。
それならば前提を覆してあげよう。
「あの~……」
「ん? どうした聖女よ」
そろりと手を上げて発言許可を求めると、王様が促した。
「私、この国の……というより、この世界の人間ではありません。創造神(の作った通り道)によりこちらの世界にきた異世界人、という事になります」
その途端にざわつく謁見の間。
しかし王は驚きはしたものの、納得したように頷いた。
「なんと……!! しかし……なるほど。一般には忘れられているが、これまでに顕現したフェンリルは時の権力者により捕らえられ、凶悪なブラックフェンリルとなっていくつもの国々を滅ぼしたと伝承が残っている。ゆえに創造神はフェンリルのために聖女を異世界から呼び出したのであろう。もしよければサミュエルの妃となり、我々に守らせてはもらえまいか」
「サキ、私もそれを望んでいる。共に過ごした日々をこれからも続けていきたい」
サミュエルは好き。
だけど将来王妃になる自信はない。
そして将来王となる事が決まったであろうサミュエルに、娘をあてがおうとする貴族達の圧力をヒシヒシと感じる。
『……ッ! ぐぅ……っ、負の感情が……ァ……ッ』
「アーサー!?」
突然アーサーが苦しみ始め、振り返ってマティスに抱かれたアーサーを見ると、明らかに毛色が昏く変色していた。




