会いに行く
「ここですか!?」
ドアを開けた春乃が一気に駆け込むと、部屋の中にいた男2人はポカンと見つめた。
「春乃さん……」
春乃の名を呟いたのは彼だった。
「加我谷さん……」
春乃は彼の姿を見つめながら、同じく彼の名を呟いた。
春乃の姿をポカンと見つめていた彼はようやく我に返った。
そのまま隣に佇む男に視線を向ける。
「広夢、ありがとう。もう大丈夫だ」
彼がそう言うと隣の男ははいと返事をし、そのまま部屋を出て行った。
1つの部屋に春乃と彼だけが残された。
「すみません春乃さん。今すぐそっちに行けません」
彼の方から近付けないと言うので、春乃は呆然としながら彼に近付いた。
目の前まで近付いた彼が嬉しそうに春乃を見上げた。
「……加我谷さん、無事ですか」
「はい、無事です」
「一体何がありました」
「怪我をしました、捻挫です。大したことはありません」
捻挫と教えられ、彼の足を見つめた。
彼の左足に白い包帯が巻かれていた。
春乃はようやくここで深く息を吐き出した。
「一体何がありました」
春乃がもう一度尋ねると、彼は恥ずかしそうに笑った。
「階段で転びました」
「階段……」
「非常階段です。転倒しました」
「転倒……」
転倒したと教えられた春乃は、改めて彼の姿を見つめた。
彼はまだ恥ずかしそうに笑っていた。
「どうして転倒しました」
「足を踏み外しました」
「どうして非常階段に行きました」
春乃が理由を問うと、恥ずかしそうに笑っていた彼が静かに笑顔を失くした。
「……会いたかったんです」
「え?」
「会いたかったんです。それだけじゃいけませんか?」
笑顔を失くした彼がじっと春乃の顔を見上げた。
「会いたかったんです、会いたかったんです。
この階段から落ちれば、会えるかと思ったんです。
この階段から落ちれば、会いに来てくれるかと思ったんです。
心配性の春乃さんは、必ず会いに来てくれると思ったんです。
心配性の春乃さんは、今まで俺を放っておいたことを気にして、必ず俺に会いに来てくれると思ったんです。
そんなことを考えていたら、本当に落ちてしまいました」
じっと春乃を見上げる彼の目を、春乃も同じように見つめた。
「槙が春乃さんを呼びに行くと言った時、俺は止めなかったんです。止めたくなかったんです。
春乃さんに会いたかったんです。春乃さんに会いに来て欲しかったんです。それだけじゃいけませんか?」
彼に問われた春乃は、再び彼に近付いた。
ゆっくりと彼に手を伸ばした。
「泣き虫……」
「はい」
「加我谷さんは大馬鹿者です」
「はい」
「ここまで乗り込んできた私はもっと大馬鹿者です」
「春乃さん……」
「大馬鹿者同士、後悔しても知りませんよ?」
うっすらと涙を浮かべる彼の頬を包み込むと、彼は嬉しそうに笑った。
「はい」
「槙先輩、行きますよ」
「ちょっと待て広夢、今ちょうどいいとこなんだ」
「覗きはいけません」
「おい、やめろ。俺のネクタイを無理やり引っ張るな」
「はい、さっさと動ーく」
ネクタイを引っ張り合いながら、2人はようやくその場から歩き始めた。
「やったね、槙先輩」
「よかったな、広夢」
「とうとう今夜こそ乾杯ですね、コレで」
「ようやくコレで乾杯だ」
「無事コレでハッピーエンドですね」
「馬鹿たれが、コレからもずっとハッピーさ」
「でも加我谷先輩が突然上から降ってきた時はビックリしましたね」
「俺が受け止めてやっただろ?」
「結局受け止めきれず一緒に転倒したのに、槙先輩だけ異常なしっておかしくないですか?」
「当たり前だ、俺はお前の一番大切な先輩だぞ」
「小田さ――ん、浅見さ――ん、大変、大変なんで――――す!」
廊下のずっと先から全速力で疾走してくる同僚の亀井に呼び止められ、今日の清掃業務を終えた尚照と浅見は立ち止まった。
目の前まで辿り着いた亀井はゼイゼイと息切らし、大変苦しそうだ。
「亀井ちゃんどうしたの? そんなに慌てて」
「た、大変、大変なんです!」
「だから何が」
「か、加我谷さんが階段から落ちてしまったんです!」
「え!?」
「怪我は!?」
尚照と浅見が驚きながら状況を確かめると、亀井はなぜか明るく笑い始めた。
「大丈夫です! 加我谷さんは無事です。なんでも偶然そこにいた人が己の身を挺してまで華麗に受け止めてくれたらしくて、軽い捻挫で済んだそうです」
尚照と浅見は亀井の言葉にようやくほっと安堵すると、一度互いの目を合わせた。
「…………で、加我谷さんが無事だったなら何が大変なの?」
「あ! そうだった! 大変、大変なんです! なんと、加我谷さんの怪我を知った彼女さんが会社まで乗り込んできたんだそうです!」
尚照と浅見は興奮状態の亀井の言葉に、再び互いの目を合わせた。
「とんでもない勢いで脇目もふらず医務室まで突っ走っていったそうです。もう会社全体彼女さんの話題で持ちきりですよ!」
「ふーん…………それはすごいけど、亀井ちゃん今日は落ち込まないんだね。加我谷さんの彼女が乗り込んで来たっていうのに」
「だぁってロマンチックじゃないですかぁ! まるでロミオとジュリエットの逆バージョンですよ?」
うふふ、と頬を押さえる亀井の姿を見つめた尚照と浅見は再び互いの目を合わせ、クスリと笑った。
「あれ? 今日はお父さん1人? 加我谷さんは?」
自宅へ戻った父親の姿を見つめ不思議そうに尋ねた拓馬は、キョロキョロと辺りを見回した。
「今日は家に来る日なのに………………姉ちゃんもまだ帰ってこないし」
不安を覚えたのか落ち込み始めた息子に近付いた尚照は、ポンとその頭を撫でた。
「なあに、そのうち2人で帰ってくるさ」
明るく笑った父に安心したのか、拓馬も嬉しそうに笑った。
ちょうどその時、玄関引戸の開く音が聞こえて、尚照と拓馬は同時に振り返った。
「「ただいま」」




