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いつもの席で珈琲を  作者: よろず
第三章
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たくらみごと5

 次の日我が家は屍だらけ。

 店の常連さん達はみんな近所の人だから、わいわい飲み食いして頃合いを見て帰った。その後が大変で、日曜休みの陣さんの友達が残って飲み明かしたんだ。俺もかなり飲まされたけど、今回は泥酔するまでは飲まなかった。


「お酒臭い…」


 昨夜泊まった一葉がリビングに入って来て顔を顰めてる。陣さんは屍の一員で、歩はまだ唯さんの部屋で寝てる。唯さんと俺は、屍達を跨ぎながら酒盛りの跡を片付け中。


「五月の誕生日、一葉も酒飲んでみるか?」


 一葉は五月で二十歳になる。もうすぐ酒を飲める歳。俺の提案に、一葉は眉根を寄せた。


「興味はあるけど…こんなんなるのは嫌だな」

「極端に弱かったり飲みすぎたりしなければ大丈夫だって。初めては可愛らしく度数の弱いチューハイからかな」

「…兄さんは日本酒が好きなの?この前一升瓶抱えて飲んでたし、昨夜も日本酒だった」


 この前っていうのは俺が記憶をなくした時か。あの時、俺はどうやら一人で一升瓶を空にしたらしい。そりゃあ記憶もなくなる。


「陣さんが日本酒好きで色々飲ませてもらったから、俺もハマった」


 片付ける手を動かしながら答えた俺の脇にしゃがんで頬杖ついて、一葉はふーんって呟いた。


「兄さんは叔父さんが大好きなんだね」


 不満そうな顔でしみじみ一葉が言うもんだから、俺は笑って手を伸ばす。くしゃりと一葉の髪を撫でて、立ち上がった。


「腹、減ってるか?」

「昨夜食べすぎたから、あんまり」

「なら珈琲飲むか」

「うん」


 台所では唯さんが既に珈琲の用意をしてくれてる所だった。唯さんが淹れてくれた珈琲を受け取って、三人で台所に立ったまま珈琲を啜る。

 リビングからは酔い潰れて寝てるオヤジ共のイビキの大合唱。一葉は顔を顰めて、俺と唯さんは苦く笑った。


「僕ね…」


 ぽつりと言葉を落とした一葉へ視線を向けると、一葉はカップの中の珈琲にじっと視線を注いでる。


「本当は僕、兄さんを連れ戻せたらって考えてた」


 その為に色々と考えたんだって、まるで堰が切ったように一葉の口からは言葉が溢れ出した。


「政略結婚させて坂上の家に兄さんは有用だってアピールしようかとか。…父さんを退けて僕がトップになるまで待ったら兄さんはもっと遠くに行っちゃう。だから、焦った。ここに来てからは、唯さんを上手く使って兄さんを脅したら戻ってくれるかなとか…本当に色々、考えたんだ」


 俯いてる所為で一葉の表情はわからない。ただ声は、少しだけ震えてた。

 俺と一緒に黙って一葉の言葉を聞いてる唯さんは、ただただ、優しい顔をしてる。


「でもどれも…先を考えれば僕は兄さんに嫌われちゃう未来しか見えない。僕には兄さんしかいないのに、兄さんに嫌われるなんて…意味がないんだ」


 俺は片手を伸ばして、一葉の頭を抱えるようにして抱き寄せた。一葉は大人しく、俺に身を寄せる。


「塩むすび…僕には本当に特別で、兄さんだけが僕の家族だった。僕の利用価値を考えてないのは兄さんだけだった。僕は兄さんを、取り戻したかったんだ。…僕は兄さんと、叔父さんや父さんみたいな関係になりたくないっ」


 小刻みに震える身体。俺は片手で一葉の頭をぽんぽん撫でる。そんな俺の手からそっと、唯さんがコーヒーカップを受け取った。一葉の手からも、唯さんはカップを取ってシンクに置く。目が合うと、彼女はふわりと優しく、微笑んだ。


「ならねぇよ。歩み寄りってのは、片方が拒絶してたら出来ないんだ。陣さんと親父は、親父の方が陣さんを拒絶し続けてる。だからどうにもならない。でも俺たちはこうして、歩み寄れる」


 陣さんから何度か聞いた事がある。陣さんが実家を嫌う理由。俺と会ったあの時まで、俺たちが陣さんに会った事がなかった理由。

 陣さんはあの家に、あの家の人間達に馴染めなかった。だから放り出された。二度と家の敷居を跨ぐなって俺たちの爺さんに言われて、見返す為に頑張ったけどあの時まで本当に、家の敷居を跨ぐ事を許されなかったんだ。


『でもよぉ…大嫌いで、良い思い出なんてないはずなのにさ、血の繋がった家族だからって期待しちまうんだ。兄貴とも、いつか分かり合える日が来るんじゃねぇかなんて…な』


 期待して、でもダメで。話も聞いてもらえなくて、何度足を運んでも頭を下げても無視される。視線を向けてすらもらえない。


『家族って、簡単に捨てられるもんじゃねぇよ。捨てた気になったって、やっぱりふとした時に気になる。歳をとれば丸くなって、いつかお前とこうして酒を飲むみたいに、兄貴とも…』


 その先の言葉を陣さんは言わなかった。口にはしなかったけど、続く言葉はわかった。"酒が飲みてぇな"だ。


「一葉、お前の誕生日、やっぱり一緒に酒を飲もう。実家で何か祝いをやるのかもしれないし、俺はそっちには顔を出せないけどさ。ここで今日みたいに、みんなで騒ごう」


 俯いて震えてる一葉は鼻を啜ってる。どうやらまた泣いてるみたいだ。


「お酒飲むなら、兄さんの好きな日本酒が良い」

「あぁ。酒のうまさ、教えてやる」


 こくこく、一葉は頷いた。その拍子にパタパタと、床に涙が零れ落ちる。唯さんが無言で差し出してくれたタオルを受け取って、一葉は涙と鼻水を拭った。


「兄さん、僕…ここが好き」


 顔を上げた一葉の目と鼻は赤い。涙はまだ瞳を濡らしてる。でも顔に浮かぶのは照れたような、明るい笑み。


「…俺もだよ」


 笑みを返してから俺は、可愛い弟の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 俺は一度、全てを捨てた。全部を諦めた。でも一葉は俺を諦めないで、会いに来てくれた。歩み寄ってくれた。

 あの頃は周りを傷付けるだけだった俺だけど、今は俺の手の中には、いろんな人から与えられた優しい温もりが溢れてる。もらうばかりじゃなくて俺も、与えたい。一葉の髪を泣きそうになりながら撫でて、俺は心からそう思ったんだ。


 *


 酔っ払いオヤジ共は昼過ぎにぽつぽつ起き出して、昼飯食ったらそれぞれ挨拶して帰って行った。よく集まる飲み会に今度唯さんも連れて顔を出せって言われて俺は、考えておくって答える。唯さんが嫌がらなければ、歩も一緒に連れて行くのも良いかもしれない。

 一葉と歩は夕方頃まで歩がうちに置いてるゲーム機で遊んでたけど、暗くなる前に喧嘩しながら仲良く帰って行った。


「なぁ、陣さん」


 夕飯も終わって、唯さんは風呂に入ってる。俺はリビングで、陣さんと一緒に緑茶を啜りながらニュース番組を眺めてた。テレビ画面から視線を外さないままでの俺の呼び掛けに、陣さんもテレビを見たまま応じる。


「…俺もいつか、親父や母さんと酒、飲めるかな」


 呟いたらくしゃりと髪を撫でられた。こうやって陣さんに頭撫でられるの、実は俺、嫌いじゃない。


「諦めなければなんとかなる。なんて綺麗事は経験上言えねぇけどな。諦めないのは悪い事じゃねぇって、俺は思ってる」

「…努力だけじゃなんともならない事もあるって、俺も知ってる。でもやっぱり"いつか"が、俺にも陣さんにも来たら良いなって思うんだ」

「…そうだな」


 お互い顔は見なかったけどなんとなく、どんな表情を浮かべてるかは想像がつく。

 この人が引き上げてくれたからこそ、今の俺がいる。実の親よりも大きな存在。でも両親がいなければ俺は、産まれていない。

 人の生って不思議だ。

 上手くいかない事だらけ。でも、それだけじゃないって俺は知ってる。教えてもらった。

 俺をここまで引き上げてくれた陣さんはでっかくて、優しくて、とっても温かい。

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