握り飯の記憶7
大量に作ったおにぎりは案の定余った。だから一葉が自分の家で食えるように、タッパーに詰めておく。あいつはあれヤダこれヤダ言うわりになんでも食えると思う。口に無理矢理突っ込めばにこにこして食ってる。おにぎりに拘ってるのは、なんでなんだろ。
「思い出、だからじゃないですか?」
洗い物しながら隣にいる唯さんに疑問を零したら、そんな答えが返って来た。
「昨夜、春樹さんがお膝で寝ちゃってからお話したって言ったでしょう?一葉くん、春樹さんが作って持って来てくれるおにぎりが本当に嬉しかったみたいですよ」
「…俺、覚えてないんです。子供の頃のあいつも思い出せない」
一葉がそんなに大事にしてくれてる思い出なのに、思い出せない俺は薄情だなって、落ち込む。
「やってもらった方にとっては特別でも、やった方にとっては当然の事って感覚だったら覚えていないものなのかもしれませんね」
「…そういうものですかね?」
「可能性はあります。また思い出、たくさん作りましょう?」
「はい」
無性にキスしたくなって、顔を寄せたら唯さんからしてくれた。触れるだけのキスは幸せのキスだ。
「てか俺、膝で寝たんですか?」
さらっと"お膝"とか言われたけど、覚えてなくて勿体無い事をした。後悔してる俺の前で、唯さんは黙って真っ赤になる。
「思い出して赤面する、何があったんですか?」
「…唯ってたくさん呼んでくれて…心臓、壊されそうになりました」
「唯って、呼ばれたい?」
食器洗いは終わり。水止めて手を拭いて、真っ赤な唯さんを抱き寄せる。
「難しい質問です。たまにだからキュンとする、というのもあります」
「そうですか。あとは?」
「あとは、敬語じゃなくなって、声が甘くて甘くて…思い出しただけで私、ドキドキしてます」
瞳がうるうるに濡れて、唯さんは俺の胸元に顔を隠した。でも見えてる耳が赤い。
「酔った春樹さんは可愛くて。素面の春樹さんは格好良くて。どっちも好き」
「俺も、唯さんの甘えん坊な所も甘えさせてくれる所も、好きです」
「お、それは昨夜は言ってませんでした。増えました」
「マジで昨夜、俺は何を言ったんですか?」
動揺してる俺の声を聞いて、唯さんはくすくす機嫌良さそうに笑ってる。顔を上げてくれないから、可愛い旋毛を見つめた。
「酔ってるから忘れちゃうだろうけどごめんねって言って、愛の言葉をたくさん。忘れてても本心だよって」
「は、恥ず…」
愛の言葉の内容までは聞くのはよしておこう。多分心の中で思ってた事を俺は、酔って軽くなった口から垂れ流したんだと思う。覚えてたら多分、恥ずかし死んでる。
「あんなに可愛い酔い方なら、また酔って良いですよ」
「そこまで酔うのは中々無いと思います」
「私の方が先に潰れてしまいますもんね」
「昨夜は平気だったんですか?」
「はい。昨夜は春樹さんがあまりにもハイペースなので、心配で控えておきました」
「それはなんだかご迷惑を…」
「いいえ。ラッキーでした」
ふんわり微笑んだ唯さんが俺を見上げて、背伸びする。
次の日に唯さんがこんなに機嫌良くなるならまた酔うのもいいかもな、なんて…キスを受け止めながら俺は思う。
「兄さんが甘々のとろとろだ…」
「こらカズ、声出したらダメだろ」
子猿二人がこそこそ盗み見してたみたいだ。俺の腕の中で、唯さんが真っ赤になって狼狽えてる。
「ガキ共、こんなので赤くなってんなよ?」
悪戯心が湧いた。
ニヤッと口端上げて笑う俺を見た唯さんが察して逃げようとしたけど、一拍遅い。左手でがっちり腰を捕まえて、唯さんの顎を優しく掴んで口付ける。
深く、濃く、執拗なキス。
背中叩かれてるけど、段々抵抗が弱くなる。抵抗が無くなって、体重預けられる重みを感じてからやっと、俺は唯さんの唇を解放した。赤く濡れた唇がはふはふ空気を取り込もうとしてて、瞳がとろとろに蕩けてる。仕上げにべろりと唇舐めて、唯さんの頭抱き寄せて可愛い顔を隠した。
「盗み見は後悔するって、学んだか?」
「まな、学びました」
「卑猥!春樹の変態オヤジ!カズ、子供の私らはゲームしよ!」
「猿子さんの所為だよ!恥ずかしいなぁもう!」
「逃げた。カズ、お前ぜってぇチェリーだろ」
「はぁ?!女の子が何言っちゃってるの?はしたない」
「"はしたない"とか、いつの時代の人だよ」
「猿子さんそれで大学生?なんだか残念」
「お前に言われたくねぇわ!」
逃げながらぎゃいぎゃい騒いでる二人の声を聞きながら、俺は唯さんに背中を拳で叩かれて叱られる。
もうもう牛の唯さんは真っ赤で、俺が怒られながらデレデレしてたら余計に怒らせて、機嫌を取るのが大変で少しだけ反省した。
*
「車で送らなくて良いのか?」
陣さんも交えてみんなでゲームして、夕飯は俺が作って歩と一葉も一緒に食べた。二人とも明日学校だって言うから送ろうとしたんだけど、一葉が電車で帰るって言い張る。
「バレたら来られなくなるから危険は犯したくないんだ。また、来ても良い?」
「…わかった。飯、食いに来い。平日は毎日店にいるから、何かあったら来いよ?」
「うん!また来る」
何度も振り返りながら去っていく一葉を見送って、俺は歩を車へ促した。唯さんもドライブがてら一緒に行く。
「なんで送ってくだけでバレる危険があるの?どうしてバレたらまずいの?」
後部座席に座った歩が首を傾げてる。唯さんも不思議そうにしてて、どうするかなって、俺は悩む。
「俺が逃げたから、あいつが跡取りなんだ」
「だから?」
「…だから多分、見張られてる」
「は?」
運転しながらチラ見した二人の顔は、見事にぽかんとしてる。歩は坂上の家の事までは知らない。だから余計に理解出来ないと思う。
「俺の事があったから、一人暮らしをしたいって我儘がはいそうですかだけでは許されなかったと思う。毎日べったりではなくても何か側にいるんだろうな」
一葉はそれを俺に言う気はないみたいだけど、多分当たりだと思う。あいつは俺たちと携帯番号の交換もしなかった。念の為、だろうな。
「俺と陣さんと会ってるってバレたらあいつは連れ戻される。下手したら軟禁されるかも」
「うぇ…あんた達の家ってなんなの?」
「一般的じゃないお家」
この事に関して俺は何も出来ない。俺が関わると、上手く行く事も上手くいかなくなる。あの家や親や親戚連中との付き合い方は、一葉の方が比べ物にならないくらいに上手いんだ。
「で、俺は役立たずで厄介者の兄貴」
乾いた笑いが漏れる。
唯さんは無言で俺の腿に手を置いて、後部座席では歩がうんうん唸ってる。普通の家庭で育った歩には理解出来ないだろうな。
「私さぁ、昨夜陣さんとカズの話をちょこっと聞いたの。カズは、春樹を助けたかったけど助けられなかったって言ってた。でも陣さんは会いに来たのが偉いから良いんだってカズを褒めてて…。んーと、よくわかんねぇけど、なんかカズはずる賢そうだし春樹に会えるだけで嬉しそうだし、それで良いんじゃねぇの?」
だから辛そうな顔で一葉に会うなっていう歩の言葉で、俺はふはって噴き出して笑いが溢れる。
「真面目に言ってんのに笑うなよ!」
「悪い。馬鹿にした訳じゃなくてすっげぇ嬉しくて。ありがとな」
「お、おぅよ」
こんな俺でも慕ってくれるのなら、俺も精一杯返せる事を返そう。
信号待ちの時にチラリと見た唯さんは、俺と目が合うとにっこり笑ってくれた。それだけでどうしようもなく満たされて、一葉にもそういう気持ちを分けてやれたら良いなって、思った。




