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いつもの席で珈琲を  作者: よろず
第二章
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甘い感謝の日1

 この一週間はバレンタイン週間。

 来店してくれたお客様にチョコレートを配ってる。


「坊主からじゃなくて唯ちゃんからもらいてぇな」


 不満そうに口をへの字にしてるのは源三さん。まぁそうだよなって、俺も思う。だからこの仕事、男性には唯さん、女性には俺がやるように決めたんだ。


「今日はお休みです。また明日ですね」


 いきなり連勤は疲れるだろうからって事で、二日やって唯さんは今日休み。

 二日間だけでも大分仕事を覚えてくれた彼女は、ぽやんとしているように見えて要領が良いみたいだ。


「で?やっぱりそういう関係になったのか?」

「唯さんに聞かなかったんですか?」

「"秘密です"だとよ。カーッ、可愛いねぇ!」


 人差し指を立てて口に当てる仕草。源三さんがやっても可愛くは無いけど、本人もわかってるみたいだから指摘するのはやめておく。


「そうですね。なりました」


 微笑んで答えたら、源三さんが何故か嬉しそうに笑った。


「良かったじゃねぇか!坊主は真面目だからなぁ。心配してたんだぜ?」


 常連の爺さん婆さん達で、俺が仕事ばかりで女っ気が無い事を心配していたらしい。お節介な人達だけど、胸がじんわり、温かくなる。


「ご心配お掛けしたお詫びに、チョコレートをもう一ついかがですか?」

「お前さんが淹れる珈琲が良いな」

「畏まりました」


 源三さんは、珈琲を淹れる時の香りと音が好きなんだ。俺の手元を見ながらにこにこしてる。

 俺も、店内に流れるジャズと珈琲を淹れるこの音、好きだ。


「手動のミルの音も好きなんだがなぁ…」


 店では手動だと効率が悪いから、豆を挽くのは残念ながら電動だ。


「俺も好きですよ。プライベートで時間がある時は、自分で挽いてから淹れてます」

「あの、手を伝わる感触も良いよな?」

「そうですね。心が落ち着きます」


 こんなにハマるとは自分でも思わなかったけど、珈琲の話をするのは楽しい。極たまに、常連さんが珍しい珈琲豆を手に入れたって言って分けてくれる事もある。


「…上手くなったなぁ」


 しみじみ言われて俺の口元が綻んだ。常連さんのこういう言葉は、本当に嬉しい。


「最後の一杯は気持ちなのでお代はいりません。また、お待ちしてます」

「悪いねぇ。また来るよ!」


 無闇矢鱈にはやらないけど、源三さんは毎日来てくれる。だからそのお礼だ。客商売ではたまにこういう事も大事だって、陣さんの受け売り。でも俺の気持ちでの奢りだから、俺が自分の財布から払う。これは陣さんも黙認してくれる。"店から"じゃなくて、"俺から"だから。



 昼ピーク過ぎのいつもの時間、唯さんはいつものように客として店に来た。

 いらっしゃいませって声を掛けて目が合うと、彼女はにっこり微笑んでいつもの席へ向かう。俺もいつも通り、水とおしぼりを用意して彼女のもとへ運んだ。


「いつもの、お願いします」

「畏まりました」


 いつもの席でいつもの注文。だけど彼女の俺へと向ける笑みは親密になった。俺の顔も多分、普段の接客時より緩んでると思う。


「これ、俺からのバレンタインのオマケです」


 昨日の内に作っておいたブラウニー。可愛くリボンでラッピングしてみた。

 喜ぶと思ったんだけど、彼女は何故か頬を膨らませてる。俺は理由がわからなくて、首を傾げてそれを示した。


「当日は、会う気が無いという事ですか?」


 彼女の不満の原因はそれらしい。

 俺がふっと笑うと、益々頬が膨らんだ。


「土曜は俺も休みです。会ってもらえるんですか?」

「私だけがその気満々だったなんて、ショックです」


 今度は唇を尖らせて、俺がテーブルに置いたブラウニーの包みを突ついてる。何処までも唯さんは、幼くて可愛らしい。


「楽しみです。行きたい場所、考えておいて下さいね?」

「…はい」


 拗ねながらもミックスサンドに手を伸ばして、一口齧ると唯さんの頬が緩んだ。

 俺はその場を離れて、いつも通りカウンターで彼女の様子を見守る。

 ミックスサンドを完食して珈琲を飲んで、彼女は何か悩んでる。じっと見つめているのはブラウニー。食べても良いか悩んでるみたいだ。

 ふいにこっちを向いた唯さんと、目が合った。

 "食べても良い?"

 口の動きと動作で聞かれ、俺は頷く。

 嬉しそうに笑った彼女は包みを開き、一欠片取ってパクりと一口。途端、"最高に幸せ"って顔になる。作って、良かったな。

 足を椅子から浮かせてぶらぶら揺らしてる唯さんは、残りは家で食べる用に包み直して鞄に仕舞った。

 珈琲を飲み干してほぅっと一息。

 それがあまりにも幸せそうで、俺は一人、噴き出して笑う。

 また目が合って、彼女はにっこり微笑んだ。

 客足が途絶えるこの時間。

 俺と彼女の二人きりの店内。本を取り出して読み始めた唯さんの横顔を、俺は飽きずに眺めてた。

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