思い出の上書き4
途中下車した駅で、有名な風景の写真を撮った。坂を上った所にある学校まで行ってみて、海が見える高校って良いよななんて話しながら駅に戻って江ノ電に乗る。車内はまたぎゅうぎゅうで、黙って抱き締め合って鎌倉まで行った。
暗くなるまでぶらついて、そういえば今日、煙草一本も吸ってないなって気が付いた。イライラもしないし、特に口さみしくもない。これはイケるって感じた。
今度はエスカレーターで楽してのぼって、ぶらぶら歩いてイルミネーションを見る。展望台は昼間のぼったからもういいだろうって二人の意見が合って、車に戻った。
車に乗り込んで、暖房付けてちょっと休憩。流石に歩き疲れた。
「たくさん歩きましたね。運転、大丈夫ですか?」
助手席で寒い寒いって手を擦り合わせてる唯さん。助手席に身体を向けて、俺は意識してにっこり笑う。
「飴、食べて下さい。元気もらったら大丈夫です」
暗がりでも唯さんの顔が真っ赤になったのがわかった。昼間の仕返しが成功して、俺は黙って待つ。
ごそごそ鞄から飴を出して、彼女はからんと口に放り込んだ。
「何味ですか?」
「桃です」
「うまい?」
「うまい、です。食べますか?」
袋のまま差し出された飴は、受け取らない。飴を持った唯さんの手を片手で包み込んで、身を乗り出す。
「その、口の中のが欲しいです」
顔近付けて囁いたら、間に差し込まれた掌に阻まれた。
「そ、それはさすがに…」
「ダメですか?」
「上級者です。それは、無理です」
昼間あれだけ自分からベタベタくっついて来たくせに、アンバランスさが謎だ。真っ赤で狼狽えてるのが可笑しくて、俺は喉の奥で笑う。
「わ、笑わないで下さい」
「可愛くて。…飴くれないなら、唯さんからして下さい」
「えぇ?!」
「それも無理?」
「無理、では、ないです」
助手席のヘッドレストに左手置いてじっと待つ。
視線彷徨わせた唯さんの顔が素早く近付いて、短く唇が触れ合った。
「早いです」
「精一杯です」
俺の抗議に反論して、唯さんは俯いた。
短いのも可愛くて嬉しかったけど、やっぱりまだ足りない。
「桃の香り、美味しそうでした。味わいたいです。唯さん…」
囁いて、身体を伸ばして覆い被さろうとしたら唯さんの手が口に当てられて隙間から甘い固まりを押し込まれた。
「同じ味です。味わって下さい」
してやったり顔で彼女は笑う。
口の中の飴をカラカラ舐めて、俺も微笑んだ。
「お預けですか?」
右手で彼女の頬を撫でて、親指で柔らかい唇をなぞる。
「お預けです。…春樹さん、色気がだだ漏れです。私、心臓が飛び出します。口から」
「それはグロいです。でも、あなたの心臓ならそのまま食べてしまうかも」
「本当にグロいじゃないですか!食べたらダメですよ!」
焦り出した彼女が可愛くて堪らない。喉の奥で笑いを押し殺して、俺は運転席に戻った。
車内も暖まって来たし、着てたコートを脱いで後部座席に投げる。唯さんもコートを脱いで後ろに置いた。
「お預けの後のご褒美、期待してます」
「そんなの、ありません」
真っ赤な顔で唯さんは唇を尖らせてる。
子供っぽいと思ったら積極的で、積極的だと思ったら奥手。彼女のアンバランスさに、とことんハマりそうだ。
「眠くなったら寝て下さいね」
「そんなの、悪いです」
「気にしないで下さい。あなたの寝顔、見たいです」
「頑張って起きてます。見せてなんてあげません」
そんな事を言ってた彼女は高速で首がかくかく揺れ出して、結局眠気には勝てなかった。
車内には小さな寝息とラジオから流れてくる洋楽。ごーごー車外で聞こえる風の音も、唯さんの子守唄。
ぐっすり眠ってる彼女が愛しくて、俺の心は穏やかに満たされる。
「唯さん、着きましたよ」
アパート前に車を停めて、静かに声を掛ける。車が止まった事でゆるゆる目を覚ました彼女は、キョロキョロと視線を彷徨わせてから謝罪を口にした。
「ご褒美をくれたら許します」
怒ってないし、むしろ寝顔が見られてラッキーだと思ってる。けど、良いカードは使うべきだ。
「唯さん、こっちに来て下さい」
寝起きでまだぼんやりしてるのか、従順に彼女は俺に近付いた。
右手で頭を固定して、唯さんの柔らかい唇を啄ばむ。数回啄ばむキスをして、少しだけ長く唇を合わせてから解放した。
「おやすみなさい。唯さん」
「はい。また、連絡します。…おやすみなさい」
頬を赤く染めた照れ笑い。
車外に出た唯さんが手を振って、俺も振り返す。彼女が階段を上って部屋に入るまで俺は見守った。彼女が無事に家の中に入ったのを確認してから車を発進させる。
運転しながら溢れる笑いが止められなくて、叫び出したいような幸福抱えて、俺も家に帰り着いた。




