【挿話】恋をしてよかったと<ディルク>
まだ十代であったが、年齢の割に大人びていて、落ち着きのある令嬢であった。
令嬢は黒髪黒目だったし、顔立ちも似ていなかった。しかし雰囲気が、二年前に婚約していた女性を思い起こさせた。
元婚約者への想いを、令嬢に重ねているわけではなかったが、彼女とならば、上手くやっていけるかもしれない。
穏やかで優しい日々を送れるだろう。
そう感じて、婚約を申し出て、了承してもらった。
彼女の両親、侯爵夫妻の許可も得て、婚約者として少しずつ距離を縮めていきたいと思っていたのだが――。
「ごめんなさい……ディルク様……」
「いや……よいのだ。気にすることはない」
ディルク・ヘルトルは内心の動揺を悟られぬよう気をつけながら、頭を下げる令嬢に柔らかく笑んだ。
「ホント、申し訳ないっす……」
令嬢に倣うように、隣にいる馬面の男が軽く言って、ぺこりと頭を下げた。
(貴様は……貴様は、ひれ伏して謝れ……)
「君のために身を引くのではない。彼女の幸せのために身を引くのだから、謝られても困る」
「それ! 名言っすね! 格好いいっす!」
苛立ちを隠し、余裕ぶった声で言うと、馬面が満面の笑みを浮かべ、親指をディルクに立てて見せた。
(……私は……こんな男に負けたというのか……、というか、この男でよいのか……)
恋愛は勝ち負けではない。
人の趣味も、それぞれだろう。
しかし自分よりもこんな軽薄な男が選ばれたという事実を前に、ディルクは激しく衝撃を受けながら、令嬢を見下ろした。
彼女は慈愛に満ちた優しげな眼差しを、馬面に向けていた。
「……ご両親には、私から言おう……君達のことも」
「ですが……ディルク様に、これ以上のご迷惑は……」
「乗りかかった船だ。あなた方の幸せに協力させて欲しい」
「ひゅ~! ディルクさん、メチャメチャ紳士っす! 紳士の中でも選ばれし紳士! 超紳士っす!」
(貴様は……貴様は、沈没しろっ……海底に沈み、あがってくるな……)
心の中の怨嗟の声を知られぬよう、ディルクは「それは言い過ぎだよ君。ハハハ!」と、乾いた笑い声をあげた。
特にこれというきっかけがあったわけではないのだが、逢瀬を重ねていくうちに、ディルクは令嬢へ違和感を覚えるようになった。
話しかければ相槌を打つものの、彼女の方からディルクに話をしてくることはなく、どこかよそよそしいというか、距離を置かれているように感じた。
その姿が元婚約者の女性と被ったのもあり、ディルクは不信感を拭うため、何気なさを装いながら、何か気がかりなことでもあるのだろうか、と彼女に訊ねた。
『ごめんなさい……ディルク様』
落ち着きがあり、穏やかな性格だと思っていた令嬢は、ディルクの問いかけに、取り乱し、泣き始め、しばらくしてそう言った。
彼女には幼い頃からずっと好きな相手がいたらしい。
しかし、その男には別に好きな人がいるようで、諦めようと思い、ディルクの求婚を受けた。
だが――先日、ディルクとの婚約を知った相手が、彼女に告白してきた。
婚約話は進んでいたし、両親も喜んでいるので当然断った。けれど。
『駄目だとわかっているんです……でも、ずっと抱いていた恋心を消すことができなくて……』
彼女は自身の心の内を、涙声でディルクに打ち明けた。
――私が訊ねなければ、黙ったまま婚約し、そしていずれは結婚するつもりだったのか。
問い質したくなる自分を律して、ディルクは彼女を慰めた。
彼女の相手はディルクより身分は低いものの、貴族であった。
結婚に障害があるわけではなく、当人同士の子どもじみた意地の張り合いで、仲が拗れていたらしい。
二人が想い合っているのを確認したディルクは、彼女の両親に婚約の取りやめを申し出た。
自分側の事情だと謝罪しながら、彼女が別の男性に求婚されているらしいという情報を知らせると、彼女の両親も察していたのか、ディルクに頭を下げてきた。
苛立ちがないといえば嘘になるが、これでよかったと思う。
どんな事情があろうとも、愛する者とともにいるのが一番だ。
心の区切りがつかないまま、自分と一緒になったところで、互いに不幸になるのは目に見えている。
話し合いが終わり、令嬢と顔を合わせた時。
ディルクは最後に、どうしても訊ねたかったことを聞いた。
「未練がましいと笑ってくれて構わないのだが……私より、彼を選んだのは……彼とともにいるほうが、あなたにとって幸せだからだろうか」
自分は女性を幸せにする能力が欠けている。少なくともそう相手に思わせる何かがあるのだろうか。
そう思い、今後のことを考え、訊ねた。
「正直に申し上げますと……ディルク様と結婚した方が幸せになれると思うのです。身分とか、容姿だけでなく、ディルク様は頼りがいがあって、優しくて……話術も巧みで、気遣いもできて……」
令嬢はディルクの賛辞を口にする。
そうであろう。
ディルクは彼女のために、そうあろうと努力していたのだから当然だ。
かつての恋愛では、いくつか、大きな間違いを犯してしまった。
そのため、駆け引きなどせず想いを伝えるように気をつけ、常に相手の気持ちを慮った。
なのに、それでもなお、フラれてしまい別の男性が選ばれる。
もっと何か、根本的な欠点があるのだろうかと、ディルクは不安になっていた。
「あまりに男性として完璧で……だから、なのかもしれません」
「……だから……とは?」
「あなたのような素晴らしい方には、もっと別に、私以上の女性がいるのではないかと……私でなくともよい気がして……そして、完璧だからこそ緊張してしまうというか……。彼はお世辞にも頭がよいとは言えなくて、顔も悪いのですが、だからこそ私がいないとどうなるのか心配で……それに、完璧な男性でないからこそ……一緒にいて気が楽なのです……」
女心の複雑さに、ディルクは驚愕する。
そして自身の努力こそが、フラれた原因だと感じ、空しくなった。
◆◇◆
それからしばらく、ディルクは悶々として過ごした。
女性だけが人生の全てではないが、己の身分を考えれば、いずれは結婚しなければならない。
できることなら妻になる女性と、愛し愛され、穏やかな家庭を築きたいのだが――どうすれば、そのような女性と出会い、愛し愛される仲になれるのか、さっぱりわからなくなったのだ。
そして、ちょうどその頃――。
屋敷の侍女が、二年間、付き合っていた騎士の恋人にふられたという話を耳にした。
「結婚の約束もしていたようでして、消沈しているようです。こちらが話しかけてもうわの空でして、王都に帰ろうかと、周りの者に零しているとか」
侍女頭は一日の終わりに、その日、屋敷内であったことをディルクに報告する。
侍女達の色恋沙汰まで、ディルクに伝える義務はないのだが、ふった相手が辺境領の騎士で、その侍女がかつての婚約者のメイドだったのもあり、話すことにしたようだ。
侍女の名はアンネといった。
態度と口の悪い女性であったが、明るい性格で皆にも慕われていた。働きぶりは真面目で、仕事もできる。元婚約者に頼まれたのもあり、侍女として雇うことにした。
特にここ一年ほどは、初対面の頃のような無礼極まりない態度もなりをひそめ、ヘルトル家の侍女として、どこに出しても恥ずかしくないほどに淑やかな女性になっていた。
「恋人のために、ずいぶんと努力していたようです」
侍女頭の言葉に、ディルクはアンネと己を重ねた。
翌日、庭掃除をするアンネを見かけた。
アンネは庭に落ちた葉を掃除していたのだが、泣き腫らした目をして、時折、箒を動かす手を止めては、空を見上げている。
男も女も、ふられてしまった時の苦しさは同じだ。
しかし、将来を見据えて付き合う関係であったなら――女性の方が失うものが大きいのも事実であった。
ディルクはアンネに近づき、声をかけた。
「騎士と別れたと耳にしたが」
そう切り出すと、アンネの目つきが険しくなった。
「別れたんじゃなくて、捨てられたんです! ……すみません。わかっています。自分の感情を、仕事に持ち込んじゃ駄目ですよね。……きちんとしますから、お許しください」
自分でも気にしていたのだろう。
仕事ぶりが不真面目なことを、ディルクが注意すると思ったらしい。
「恋人と別れて、傷つくのは当然だ。そして、すぐに割り切って仕事をするのも容易ではないということも理解している。……みな、お前のことを心配していた。何なら数日、休みを取り、それから気持ちを改めて働いてもよかろうと思い、声をかけた」
失恋休暇である。
侍女頭からアンネは、病欠もせず、里帰りもせず、他の者が困っている時には進んで休みを代わってやっているとも聞いている。
真面目に働いているアンネを『ずるい』と罵る者は、ヘルトル家にはいない。
アンネが目を丸くさせ、ディルクを見上げた。
「……申し訳ありません。ご厚意で声をかけていただいたのに……私、てっきり……。でも、休みはいいです。一人になると、余計に落ち込んでしまいそうで。迷惑かけているなら……ごめんなさい。きちんとします」
「いや……それはよいのだが……」
「私……考えなしで、すぐに突っ走って、感情的になってしまうんです。それでたくさん、失敗もしてきて。……でも……彼、そういう私を知らないんです。ずっと彼の前では、物わかりがよく、大人しくて、淑やかな女性を演じていましたから。彼に相応しい女性になりたくて……でも結局、彼が私をふって選んだのが、十歳も年下の、何もできない明るくて無邪気な子で。私が必死に努力していたことは、いったい何だったのだろうって……わかんなくなって」
アンネは訥々と自身のことを話した。
「すみません……わけわかんないですよね……愚痴なんか聞かせてしまって……」
「いや……構わない」
「本当、こんなことになるなら……恋なんてしなきゃよかった……」
アンネは空を見上げ、ぽつりと呟いた。
――……でも……結果的にはふられてしまっても、これほど素晴らしい絵を描けるようになったのだから、恋をしてよかったですね。
ディルクは、かつての婚約者の言葉を思い出した。
「お前は、以前よりもしっかり仕事をするようになった。皆もお前を頼りにしているし、私もどこに出しても恥ずかしくない侍女になったと思っている。……今のお前があるのは、恋のために努力したからだろう? ならば、たとえ、ふられてしまっても、恋をしてよかったはずだ」
アンネはパチパチと瞬きし、しばらく考え込むように俯いた後、
「ディルク様も……セレイア様に恋してよかったと思っていますか?」
と、訊ねてきた。
「よかったと思っている」
「……コルネリア王女様にも?」
「あ……ああ」
じとりと見据えられ、ディルクは大きく息を吐いた。
「王女を娶るに相応しいと人物だと思われるために、人脈も作り、領地も新たな事業を進めた。それらがあるから、近年ハズバに旅行客が増えた。王女のおかげだとも言える。そして、セレイアに出会ったからこそ、お前という有能な侍女を得た」
「……っ。お世辞でも、嬉しいです!」
驚きの表情を満面の笑みに変え、アンネが元気よく言った。
コルネリア王女に恋をしたことを愚かだったと後悔していた――しかし、その恋をきっかけに、出会えた人もいる。
セレイアのことも、ミアのことも。
己の行動を恥じ、傷つけたことを後悔はするが、そのおかげで学んだことも多くあった。
婚約間近だった令嬢に、完璧なところを駄目出しされたことも……きっと、何か意味があり、いつかはそこから学ぶこともあるのだろう。
その意味が、いつか出会う誰かを救い、愛し愛されるきっかけになればよいと、ディルクは思った。
それから――。
アンネはしばらくして、別の若い騎士と付き合い始めた。
どうやらその騎士は、恋人がいるので諦めていたが、アンネにずっと片想いしていたらしい。
『前の時の失敗を繰り返さないように、演技じゃなくて、素の自分も見せてます……まあもともと友人だったんで、演技しなくても、バレているんですけど』
恥ずかしげに報告してきたアンネは、ディルクが羨ましくなるくらい、幸せそうだった。




