14騙されていたようです<ディルク>
ディルク・ヘルトルが初めて恋をしたのは十二歳の時だ。
相手は二十歳年上の、伯父が支援している画家だった。
あなたは特別よ、と熱い眼差しで囁かれ、勧められるまま彼女の弟子になった。優しくされるうちに、彼女を恋い慕うようになったディルクは、必死に学び、教えを乞うた。年の差など関係なかった。彼女の想いに応えたかった。
しかし現実は容赦なく、ディルクの甘い思春期の妄想を粉々に壊した。
彼女には自分よりも年上の息子が二人もいた。夫も健在だった。
そもそも彼女はディルクの才能に惚れ、優しく接していただけで、恋愛感情など、ひとかけらもなかった。
伯父をはじめ、生温かい目でディルクを見守っていた使用人たちは、彼女に家庭があることをディルクが知らなかったことに驚いていたのだが……ディルクは失望感と幻滅感で、しばらくの間、女性不信になった。
それから十代の終わりまで、女性不信を克服するために、積極的に女性と関わりを持つようになった。
身分は辺境伯の嫡子。見かけも良かった。寄って来る女性は、ありあまるほどいた。
しかし、付き合いを重ねているうちに、あることに気づく。
女性たちは、ディルクの内面ではなく、ディルクの容姿、そして身分に恋をしていた。ディルク自身も彼女らの内面に惹かれていたわけではないので、お互い様ではあるのだが……。薄っぺらい関係が、寂しく空しく思えた。
ディルクは要領が良く、周囲の人間関係にも恵まれていた。
父が病気で隠居してからは、使用人や部下に支えられながらも、辺境伯代行の仕事を卒なくこなした。
けれど、他の面は順調なのだが、女性に関しては上手くいかなかった。
周囲からは跡継ぎ問題もある。早く結婚するよう急かされていた。
ディルク自身も、自分だけの『運命の女』に出会い、幸せな結婚をしたいと心から願っていたのだが、女性と長く付き合うと、どうしても粗が見えてくる。
ディルクから別れを切り出すこともあったし、同じくらいの確率で、女性の方から別れを切り出されたりもした。
――思っていたような人ではなかった。
そう言われることも多々あり、ディルクは女性という存在が信じられなくなっていた。
妥協し、親戚の勧める令嬢との結婚を考えていた頃だった。
運命の出会いは、嵐のように突然訪れた。
三年前、父の代わりに訪れた王都で、ディルクは『運命の女』に出会った。
艶やかなプラチナブロンドに、青空を切り取ったかのような双眸。声は小鳥のように愛らしく、微笑みは精霊のように邪気がない。
手足は華奢で、肌は透けるほど白い。
何より――身分が王女ということもあり、ディルクに媚びへつらうことのない態度に惹かれた。
ディルクは出会ったばかりの『運命の女』……コルネリア王女に求婚した。
年若いこともあり保留にされたが、王の反応、そして王女もまんざらではない態度だったため、時が来れば、降嫁してくれるもの、と信じきっていた。
ディルクがミアと会ったのは、王女と出会い一年ほどが経った頃。
ディルクはミアの王女に似た髪と目の色に惹かれ、ミアはディルクの地位と金に眩んだ。
互いに割り切った関係ではあったが、さっぱりとした性格のミアとは気が合った。王女と婚姻後は、友人として彼女の活動の援助をしたいと思うようになっていた。
そうして月日が流れた、ある日。
いつものようにコルネリア王女からの手紙が届き、恋心に胸をときめかせながら、封を開けたディルクだったが――。
『信頼するご友人のディルク様に、ご相談したいことがあるのです。好きな殿方がいるのです。その方も本当はわたくしのことが大好きなのだけれど、邪魔をする人もいて、うまくいきません。もしものときはご協力をお願いしたく思います』
手紙にはそうあり、その後にえんえんと、恋い慕う相手がどれほど素晴らしく素敵か、書き連ねられていた。
ディルクは求婚したつもりでいた。そのはずだった。しかし、コルネリア王女には、伝わっていなかったらしかった。
――そんな男より、私を選んで欲しい。
何度もそう返答しようかと思ったが、矜持が邪魔し、出来なかった。
特に、コルネリア王女の想い人がハロルド・ランドールだと知ってからは、余計に……あのような顔だけで愛想のかけらもない伯爵家の次男に負けるのかと思うと……何も言えなくなった。
結局、ディルクは、あなたの恋が実るよう陰ながら応援している、と心にもないことを手紙に書いた。
書いた後、情けない自分に泣きたくなったが……いや、ここで、引くほうが潔い、真の男なのだ、と自身を鼓舞し、慰めた。
そういう手紙のやり取りが何度か続いた後、王家からハロルド・ランドールの元婚約者を娶るように言われた。
なぜ、自分が?と思いはしたが、コルネリア王女から、嫌がらせを散々されたから王都で顔を合わせるのが怖いのです、信頼出来るのはあなただけ、あなたに彼女を見張っていてほしい、などと彼女の美貌のごとく、美しい筆跡で頼まれると、断ることが出来なくなった。
コルネリア王女から悪評は聞かされていた。王家も彼女を邪魔者扱いしているのだろうと思った。
そして――。
ハロルド・ランドールの尻拭いをさせられた苛立ち、コルネリア王女、そして王家に軽んじられた不満。男の矜持が邪魔して、文句すら言えない自分への腹立たしさ。
そういったものが、全て。
初対面の押し付けられた婚約者へと向かった。
女を離れへ追いやって、数日経つと、ミアがやけにあの女のことを庇い始めた。
『先日、機会があり、セレイア様と少しお話をしました。ディルク様が思われているような方ではありません。セレイア様のお立場を悪くしている私に対しても、優しく接してくださいました』
ミアが愛人になりたくないということは知っていた。ディルクと穏便に別れ、手切れ金を欲しがっていることも。
そのため、ディルクが婚約者と上手くいくよう、必死になっているように感じた。
『……おそらく私に近づくため、君を取り込もうとしているのだ。騙されてはならぬ』
『騙されてはいません。セレイア様はそのような方ではありません。……騙されているのは、あなたの方では?』
『何?』
『コルネリア様です。セレイア様に会うまでは、半信半疑でしたが、お会いして確信しました。セレイア様がコルネリア様に陰湿な嫌がらせをしたと仰っていましたが……そもそも王女の身分にあるコルネリア様に、セレイア様が嫌がらせをするなど、普通に考えたらあり得ない話です』
『コルネリア様は、気弱なお方なのだ』
『一度しかお会いしたことがないのでしょう?どうしてわかるのです?』
『文通していた。手紙を読めば、字を見れば、人となりはわかる』
『……セレイア様と、しっかり話し合いをなさってください』
ミアは心底呆れた、といった風にディルクを見つめ、溜め息交じりにそう言った。
その後、セレイアと会って話をしたが、何というか、ミア以上に素っ気無い女だと思った。
馬鹿にされている気がしたが、もしかしたらああいう態度で、自分の気を引こうとしているのかも、とも思っていた――。
――……でも……結果的にはふられてしまっても、これほど素晴らしい絵を描けるようになったのだから、恋をして良かったですね。
廊下で聞こえてきた、女の声に、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
十二歳の時の愚かな恋心を、認めてもらえたような、救われたような、そんな気持ちになった。
――まだ妻ではありません。お飾りの婚約者ですよ。
王都から来た騎士ニコラスと親しげに話したあげく、そのようなことを口にされ、咄嗟に、ふっくらした唇を奪った。
自身の中に芽生え始めていた気持ちにも気づかぬままに……。
◇
「それは……どういうことなのだ……」
「どういうことって、言ったままのことですよ」
真実とは違う噂を耳にされていては困るので一応言っておきます、と前置きした後、ニコラスがセレイア・ファルマについて語り始めた。
王女に対する嫌がらせなど全くしていない。王女と婚約者の噂がたつようになってからは、屋敷に引き篭もっていた。
王女から願われ、あっさりと婚約を解消した。むしろ婚約解消を最後まで拒み、嫌がっていたのはハロルド・ランドールの方だった、と聞かされる。
王女がハロルド・ランドールに横恋慕したのが、そもそもの原因なのだとも。
「コルネリア様は……そのような方ではない」
「社交界では猫を被っておられますから、知ってるのは僕を含め、一部の、ごく限られた者達だけです。まあ、信じるか信じないかはあなた次第になりますけれど……とにかく、セレイアさんのことは王太子殿下も心に留めておられます。王女殿下に何を言われたかは知りませんが、丁重に扱ったほうが良いですよ。これは、僕からの忠告です」
「コルネリア様は、嘘を吐かれるような方ではない……」
「……あなた、王女殿下の何を知っているんです?」
「文通していた。手紙を読めば、字を見れば、人となりはわかる……」
前に、ミアに言ったことと、同じ言葉を返した。
ディルクの返答に、ハハ、とニコラスが声を立てて笑った。
「コルネリア王女って……びっくりするくらい悪筆ですよ。もともとお勉強が大嫌いで、お洒落やダンスがお好きな方ですから。文法も出鱈目ですし。おそらく手紙は、代筆で、侍女が書いていたのでは?」
ニコラスはミアと同じような――心底呆れた風な視線をディルクに向け、そう言った。




