10遠い日の約束
鐘が鳴っていた。
白いドレスを纏った知らない女の人が微笑んでいた。
そしてその知らない女の人が見つめる先には、セレイアの父がいた。
――おめでとう。
誰かが言って、そしてまたその隣の誰かが、同じ言葉を口にする。
セレイアは『おめでとう』なんて言いたくなかった。
だから、逃げ出した。
◇
十歳の時、長く病気を患っていたセレイアの母が亡くなった。
父は母が亡くなって、ひと月後に再婚をする。
新しく父の妻となる人は、母よりも十歳も若い、美しい人だった。
結婚式は王都で一番大きな教会で行われた。
薄黄色のひらひらしたドレスを着せられ、ほんのりと化粧をしたセレイアも、むっつり顔で参列していた。
しかし式の途中、どうしても我慢が出来なくなったセレイアは逃げ出した。
「……セレイア」
教会の裏には庭があり、小さな池があった。
池の前で足を抱えてうずくまっていると、聞き慣れた声がした。
振り向かずに黙っていると、サクっと草を踏む音がし、隣に声の主が座る。
「母上たちが探していた。戻ろう」
「いや」
「ずっとここにいるつもりか」
「……あのひとたちがいるとこには、戻らない」
セレイアが涙声で言うと、隣に座る少年が溜め息を吐いた。
池の水面には葉がいくつも浮いている。
魚か、それとも、かえるか。葉の合間から小さな飛沫があがる。
セレイアは池を食い入るように見つめていた。
母が倒れ、起き上がれなくなってから、ふた月。
青白く、細くなっていく、母の儚い微笑を思い出す。
最期の時まで弱音は吐かず、大丈夫よ、といつも口にしていた。
そんな母に寄り添う、父の姿も思い出した。
父は母に、愛してる、と何度も口にしていた。
母の葬儀の時、父は静かに涙を流していた。
伯爵家の当主なのだ。貴族である以上、再婚することは仕方ないのだと、セレイアは幼いなりに、理解していた。
けれど、こんなに早く……母が亡くなり、一年も経たないうちに再婚するとは思ってもいなかった。
そして心ない参列者が、母が亡くなる前から、父は今日結婚する女の人と親しくしていた――、と話しているのを耳にしてしまう。
胸が痛くてたまらない。父に裏切られた。おめでとう、なんて嘘は言えるわけがなかった。
「お母さま……どうして死んでしまったんだろう……」
「胸に腫瘍があったが、亡くなった直接の原因は、体が弱っているときに肺炎にかかったせいだと聞いている」
「…………お母さまに会いたい」
「死んだ人間に会うことなど出来ない。お化けは弱った心が見せる幻だ」
「……ねえっ!あっち、行って!」
セレイアが聞きたい言葉は事実ではない。
優しく慰める、心に寄り添ってくれるような、言葉だ。
「一緒に、戻ろう」
「戻らないってばっ!」
「継母と一緒に暮らすのはいやなのか?」
「イヤよ。きっと、イジめられるわ。明日から馬小屋暮らしよ」
血の繋がらない母親に虐げられる。セレイアの読む『お話』の中には、頻繁にそんな出来事が起こっていた。
「なら、うちで暮らせばいい。母上も喜ぶ」
「……でも……いいのかしら」
「どうせ結婚するんだ……いいと……思う」
少年は少し不安げな声音で答えた。
少年は物心ついたときには、すでに婚約者だった。
思いやりのない言動をすることが度々あって、腹が立つこともある。けれどセレイアが怒りをぶつけても、少年はそもそもなぜ怒っているのかがわからないらしく、今まで一度も喧嘩らしい喧嘩はしたことがなかった。
いろいろ不満はあったけれど、誰よりも気兼ねなく一緒にいられる相手であったし、綺麗な顔立ちも好ましく思っていた。
結婚をしたくないわけではない。けれど――。
「あなたも、私が死んだらすぐに、お父さまみたいに、再婚するんでしょ」
男の人は移り気だ。年頃のメイドが溜め息を吐きながら言っていたのを耳にしたことがある。
「俺は君が死んだら、誰とも結婚しない。……兄上に何かあり、爵位を継ぐことになったら、そういうわけにもいかないが」
「ほら、再婚するんじゃない」
「仕方がないだろう。貴族である以上、結婚は義務だ。君だって、俺が死ねば、すぐに別の男と婚約するはずだ」
先日、ひとつ上の従兄弟に会った。
体が大きく、乱暴で、声が大きかった。年上なのに落ち着きが全くなくて、セレイアのふわふわ揺れる薄茶色の髪を、何が気に触ったのか、引っ張った。
(あんなのが婚約者になったりしたら……)
「いや。ハロルド……死なないでね。私、あなた以外の人と結婚するのなんてイヤ……」
セレイアは声を震わせ、隣にいる少年の方を向く。
縋るように腕を掴むと、黒曜石のように澄んだ双眸がセレイアを映した。
少年は目を瞠り、硬直する。しばらくして、視線を彷徨わせたかと思うと、横を向いた。
なぜか、白い滑らかな頬がみるみるうちに赤くなっていく。
「……どうしたの?」
「どうもしない」
「でも、顔が赤いわよ」
「なんでもない」
「本当に?大丈夫?」
「ああ」
池の方を向いたまま、不機嫌そうに口を結んだ。横顔は赤いままだ。
どうしたのだろう、と思いながらも、セレイアも黙る。
ミシミシミシミシ……と、虫の声がした。
何の虫だろうと考えていると、少年が口を開いた。
「俺は君を残して、死んだりしない。死なないよう、努力する。もちろん、人の力ではどうしようもないこともあるだろう。だが俺は、必死で生きる。生きることを諦めない。それから……結婚後は、君が未亡人になっても、生活に困り、再婚なんてしなくてもいいように、たくさん、たくさんお金を稼ぐ。……だから……君も、死なないでくれ。……お、俺も……結婚するのは……君でないと、いやだ」
最初は異様なくらい早口で、最後の方は訥々とした口調になった。
「わ、わかったわ……死なないように、頑張る」
セレイアは何だか急に恥ずかしくなってきて、動揺しつつ、答えた。
「約束だ」
「約束ね」
互いに池の方を向いたまま、セレイアは彼と約束を交わした。
◇
(……懐かしい夢をみたわ……)
目が覚めて、一瞬どこにいるのかわからなかった。
しばらくして、ヘルトル辺境伯の屋敷の離れにいるのだと気づいた。
あれから、セレイアは彼と一緒に、親たちの元に戻った。
彼の家に引き取られて暮らすなんて、当然許されるはずもなく、結局セレイアはファルマ家に戻ることとなる。
戻る際には――馬小屋で暮らしを強要されたら、すぐに教えろ、と。一緒に馬小屋で暮らすから、と少年は真面目な顔で言っていた。
彼が大人たちに相談したのかわからないが……数日後、父から謝られた。
母のことを心から大切に思っていたこと。義母とは以前から顔見知りであったこと。決してセレイアを虐げさせたりはしないこと。
許せるところもあったし、許せなくて納得できないところもあった。
大人になって、父の気持ちがわかるようになり、許し、納得したこともあった。
そして、義母との関係は、よそよそしくはあったけれど、馬小屋に追いやられたりはしなかったし、虐げられたりもしなかった。
『馬小屋には行かず、平和に暮らしているわ』
セレイアが数日後、報告をすると、彼は良かったな、と言った。
(……約束した通り、彼は死ななかった……私も死ななかった……)
なのに、セレイアの隣に彼はいない。
互いに別の人と結婚をしようとしている。
隣の部屋で就寝しているアンネが朝の挨拶に来るまで。
セレイアは寝台の上で半身を起こし、ぼんやりと……夢で見た面影に、想いを馳せていた。




